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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

柔らかな芯をもつ。

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「信念」、「理想」、「自分軸」

そんな言葉から、あなたは何を想像するだろう?

  

あたしはずっと、「こうありたい」という
未来予想図や理想を持った人は素敵だと思って

そんな"芯のある人"になりたいと、思ってた。

 

 

"芯のある人"とは

 

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 (あたしの中の"芯のある人"のイメージは、こんな感じだった)

 

「ブレない」

「媚びたりしない」

「強くて、カッコいい」

 

芯がある人=そんなイメージを持っていて

まずは形から!と
キツめのメイクや振る舞いをしてみた。

そして次に内面と、自分の軸や理想を必死で探した。

 

もちろん、自分の軸や理想が言葉になった瞬間は嬉しかったし

 

「これだ!あたしはこうやって生きていけばいいんだ!」

心から、そう思った。


そうやって自分の世界に潜って見つけた
自分軸という名の未来や理想。

 

けれど、1歩、現実の世界に踏み出してみると

 

そう、上手くはいかなかった・・・。

そうあろうとすればするほど、苦しくなっていく。

 

 

「未来」や「理想」のワナ

 

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「なんで、うまくいかないんだろう?」

 

あれほど探し求めていた
未来や理想が見つかったのに、思うように生きられない。

そんな現実に直面するたびに


自分の努力が足りないとか
自分にはやっぱり無理なのかもしれない

 

そうやって、自分を責めるようになった。

 

そして、あるとき気付いてしまった・・・。

 

 

 

「こうありたい」と思えば思うほど、

「こうでないといけない」そんな風に思うようになって

 

自分の思い描いた未来や理想に縛られていた

ということに。

 

そして、その事実に気付いてしまった瞬間

どうしようもないほどの絶望を感じた。

 

だって、

 

自分軸や未来や理想が見つかって
そうやって生きていけば、変われる。

自分らしく、生きられる。

幸せになれる。

 

そう、信じていたから。

 

 

絶望の中で、気が付いたこと

 

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ブレない芯のある人は、カッコいいと思ってきたし
自分もそんな風に生きていきたいと思った。

 

そうすれば、周りの反応なんて気にせず
堂々と、自分のまま、生きていけると、信じてた。

 

ブレちゃいけない。

周りに左右されちゃいけない。

 

そうやって、いつの間にか

「”芯”とは、硬くなければならない」

そう思い込んでいた。

 

 

そうか、芯を硬くしようとして
誰かにその芯を折られてしまうのが怖くて

あたし自身が頑なになっていたから、苦しかったんだ。

 

 

 

 

"芯"は、硬くなくても、いい

 

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なにかの本で

「欲しいものへの想いが強すぎると、
 それはないことを強調してしまって逆効果になる」

そんなことを読んだのを、思い出した。

 

 

「こうありたい」

「こんなことがしたい」

「こんな風に生きたい」

 

そうやって、未来や理想を描く時間は、楽しいし、必要だと思う。

 

でも、あまりにもそこに執着しすぎると
未来や理想は、自分を縛り付ける最強で最悪の鎖になってしまう。

だって、まさか誰もそんな幸せの象徴みたいなものが、
悪さをするなんて予想もしないから。

 

だからもし、


未来や理想に縛られているのに気付いたら
未来や理想のために生きてるはずなのに、苦しいと感じたら、


思い切って、破り捨ててしまえばいいと思う。

 

どんなにワクワクする未来の理想の自分でも、勝てないものがある。

 

 

それは、"今この瞬間の自分"。

 

 

どんなに未来や理想を描いていても
今この瞬間、目の前で起きていること、感じていることから

目を背けることはできない。

 

できなくはないけど、
目を背けようとするから、苦しくなるんだと思う。

 

無理に未来や理想の自分になろうとする必要なんてない。
未来や理想を描こうとする必要なんてない。

 

あたしは、

今この瞬間の自分を
1つ1つ積み重ねたものが、

 

ホンモノの未来であり、理想の自分

 

なんじゃないかなと思う。

 

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未来や理想に縛られず、

今この瞬間を大切に。

 

そうやって、柔らかな芯を、育てていく。

 

認めたくない感情にほど、そっと寄り添う。

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昨日の代表*1からの電話が気付かせてくれたこと。

 

基本的に、代表や他の校舎からの電話は、
非常勤のあたしが出たところで2度手間になるだけだし
最近は、新入社員さんたちの電話対応の練習もあるしで、


他に人がいる場合は、あんまり電話をとることもなくなった。

 

 

 

でも昨日は、たまたまみんな授業に入っていたので

「あ、代表だ。めずらしい」

それくらいの軽い気持ちで電話に出た。

 

 

 

『お疲れ様です。島津です』

 

初っ端、声がかすれて、上手くでなかった。

 

『・・・』

 

反応がなかったので、聞こえなかったのかな?と思い、

『お疲れ様です?』

 

と、少し探る感じで、聞き返した。
そしたら返事があり、その後、すぐに上司に引き継いだ。

 

たった、それだけのこと。
ほんの一瞬、電話に出ただけだった。

 

 

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それから上司が電話を済ませて、言いにくそうに一言。

 

「代表からの電話だけは、明るく出よう」

 

そう言えば、何度か聞いたことがあった。
代表は、電話や挨拶にすごく厳しいって。

 

あたしとしては、普通に明るく出たつもりだった。
最初、かすれてたから、聞こえてなかったのかもしれないし
聞こえてたけど、あまりいい印象じゃなかったのかもしれないけど

そんなことで、言い訳するのもめんどくさかったし
いずれにせよ、あたしの電話応対で
上司が注意を受けてしまったんだと思ったので、

 

「すみません。何か言われたんですか?」

 

気を付けなきゃなと、思って謝った。

 

「うん。まあ、”あれじゃ、期待できんな”って・・・」

 

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・・・はぁ?

 

たった 電話1本で、
なんでそんなこと決められなあかんねん。

 

沸々と色んなどす黒い感情が生まれるのを感じたけれど
まだ授業も残っていたので、必死に押し殺した。

 

 

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どす黒い感情はずっと渦巻いて、家に帰って一気に吐き出した。

 

「明るい」=「有能」ってわけちゃうやん。

てか、よく知りもせんのに、決めつけんな。

頭固すぎやろ。
古くさい考え。
めんどくさすぎるわ。

正社員になんて、絶対なりたないわ。

ボケ。

 

・・失礼しました。笑

 

でも、そうやって吐き出して、
どす黒い感情に居場所を与えることで、

今までやったら無理に押し殺してた感情を
素直に受け入れることができるようになってきている。

 

 

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そうやって、自分の中に生まれた
全ての感情をちゃんと受け止めることで、気付けたこと。

 

昔から自分を認めてくれる人がごく一部しかいなくて
それがずっと自分の引け目だったこと。

何より、素直に悔しかった。

 

そうやって、1つずつ受け止めていくことで、

 

正しいとか、正しくないとかは関係なくて
代表には、代表の大切にしているものがある。
その1つが、あいさつであり、電話応対の明るさ。

 

だということも、素直に受け止められた。

 

だってそれは、あたしにも大切にしているものがあるのと同じだから。

 

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同じ「元気よく電話に出る」という行動を選ぶとしても

 

1:めんどくさいから、そうしてやってやる

2:権力的に、そうやらされている

3:納得して、自分でそうやる

 

その行動の裏にどんな気持ちがあるかで
自分の心地よさは全然、違ってくると思う。

 

だとしたら、あたしは

相手も、自分も、大切にする行動をしていきたいな。

 

 

あ、でも、無理やり明るくは性に合わないから、適度にだけどね♡

 

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最後に、こうしてどす黒い感情を受け止めようと思わせてくれた
坂爪さんのツイートをご紹介。

 

 

孤独も、寂しさも、悲しみも、怒りも
無理に昇華したり、押し殺したりする必要なんてなくて

そっと寄り添って、居場所を与えてあげればいいのだと思う。

 

そうすることで少なくとも
自分の心はとっても穏やかになるから。

それで、十分だなーとあたしは思うのです。

*1:うちの塾はフランチャイズ経営なので、本社があってほぼ全国に校舎がある。なので、代表とはそれらすべてのトップ。ようするに1番、偉い人

今も、ちゃんと、幸せ。

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よく「大切なものはもうすでにある」そんな言葉を聞くけれど
今日はまさに、それを実感した1日だった。

 

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ふと、Facebookにこんなことを書いた。

 

 

 【たくさんの反応が「羨ましい」と思った】
 
少しずつブログや発信を再開してみて
やっぱり自分の想いを
言葉や形にすることが好きだと思ったし
そうすることで改めて、自分の想いを感じることができる。 
 

 
けど、やっぱり、「いいねの数やコメントの数」は気になるもので。。
 
昨日も、母の日にちなんだブログを書いたんだけど
友達の投稿にはめっちゃコメントあって・・
(あたしもコメントしたから、コメントが入る度に、通知が届くんだよね。笑)
 
 
正直、「羨ましい」って、思った。
 
 
もちろん、そんな風に反応してもらえるのは
彼女の人柄であり、努力の賜物。
 
わかってる、わかってるけど、、
一瞬、「あたしはダメなんだ。努力が足りないんだ」
そうやって自分を責めそうになった。
 
でも、違うんだよね。
 
 
そこにあるのは、
 
 
あたしの「反応してもらいたい」って気持ちと
彼女の「人柄と努力」
 
 
ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
 

 
それでいいじゃないか。
 
羨ましいなら、その気持ちを認めて、やれることやればいいし、
彼女の人柄と努力を心から認めればいいし、
 
自分を責める必要なんてないんだよね。
 
って、認めたらスッキリした。
 
ただ、あたしの場合は
「反応してもらう」にフォーカスしちゃうと
自分の感じたことを後回しにしちゃうから
あたしは、あたしのペースで(*´▽`*)
 

 
こうして表現できるようになった。
次は、たくさんの人に届きますように・・♡
ぼちぼち、いきます(*'ω'*)

 

やっぱりこうして発信をするからには
1人でも多くの人に届けたいって思うわけで。

 

もちろん、この投稿にも
決してたくさんのいいねがあったわけじゃない。
そもそも、広める工夫や努力なんてしてないもん。当たり前っちゃ、当たり前)

 

でもね、ふと気付いたんだ。

 

 

あたしは、発信を何度もやめたりしてるのに、
それでもコメントやいいね!をくれる人がいる。

 

しかも、それは大好きな人たちだった。

 

ちゃんと、届いてた。
ちゃんと、受けとってもらってた。

 

なんだ、今もちゃんと幸せじゃないか。

 

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あたしたちは、

目の前にある幸せを
つい、当たり前だと思ってしまって
見過ごしてしまうこともある。

 

お金がない。友達がいない。恋人がいない。
才能がない。誰もわかってくれない。

 

そんな風に
ないものばかり探してしまって、悲しくなることもある。

 

 

でもね、今"も"ちゃんと"幸せ"なんだよ。

 

 

そして、これからも。

 

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たぶん、人間ってどん欲な生き物だから、
きっと心から満足することってないんじゃないかなと思う。
(満足したときって、成長をやめたり、諦めたときだと思う)
 

少なくともあたしは、1つ手に入れたら、次が欲しくなる。
1つできるようになったら、次のことにチャレンジしたくなる。

 

そうやって、人は成長して、
どんどん素敵になっていくんだと思う。

 

どん欲だからこそ
つい、あるものよりも、ないものを探してしまって
羨ましくなったり、嫉妬したりする。

 

それで、いいんじゃないかな。

 

ただ、忘れないでほしいのは
今も決して不幸じゃないってこと。

 

だって、振り返ってみれば、後ろにはたくさんのものが「ある」


そして、少し遠くを見すぎてた目を、
戻してあげれば、そこにもたくさんのものが「ある」 から。

 

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誰だって、

 

今も

 

ちゃんと

 

幸せ。

  

「生まれてきてくれて、ありがとう」

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今日は、母の日。

ささやかだけれど、手紙を添えて、プレゼントを贈った。

 

そしたら、2回に分けて、母からLINEが届いた。

 

1通目は、プレゼントに対するお礼。
それから少しして、2通目は手紙への返事。

 

この時間差は、きっと母のことだから、

届いた瞬間にLINEをくれて
それからゆっくりと中身を整理していて、手紙に気付いて
慌てて、またLINEをくれたんだろうな。

…なんて、想像してたら、自然と笑みがこぼれた。

 

あたしと同じで不器用だけれど
とっても純粋で、可愛い人だから。

 

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そんな母からの2通目のLINEにあった

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 

という言葉。
この言葉自体、とっても嬉しいのだけれど、

それ以上に、
そんな言葉を交わせるようになったことが
たまらなく嬉しかった。

  

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母の日、父の日、それぞれの誕生日。
今でさえ、 当たり前にお祝いをしているけど
こんな風に祝うようになったのは、最近のことだったりする。

 

あたしは、ずっと【家族】と距離を置いてきた。

 

正直、厳しくて、感情の起伏が激しい
母のことが嫌いだったし、顔を合わせばいつもケンカをしていた。
酷い言葉をぶつけて、傷付けてしまったことだってある。

 

父は、母とは正反対で、
物静かで、いまだに何を考えているのかわからない人。笑
だから、怒られることもないから、よく一緒にいたけれど
決して、好きってわけではなかった。

 

そうやって、いつも距離をとっていたように思う。

 

2人が悪いわけじゃない。
ただ、あたしに余裕がなかったんだよね。

 

あたしは「素直に自分の想いを伝える」勇気がなかったんだ。

 

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だから、あたしはずっと、
自分が伝えようとしてもいないのに

「わかってくれない」

 

そう思い込んで、自分から距離をとってた。

友達やテレビの中で

【仲のいい家族】を見るたび、

本当はずっと羨ましかった。

 

「なんで家は、あんな風になれないんだろう」って。

 

そうしてたのは、自分なのにね。

 

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でも、自分と向き合うことを知って、
ようやく、少しずつ「自分の想いを伝える」ことができるようになった。

 

 

「ありがとう」

 

「おめでとう」

 

「ごめんね」

 

「身体に気を付けてね」

 

そんなささやかな言葉だけれど
まだ照れくさくて、直接言えないときもあるけれど

それでも少しずつ
今までの距離を埋めていってくれた。

 

そうやって、あたしが想いを伝えられるようになったら
家族関係はもちろん、夫婦関係も変わっていった。

 

「応援してるよ」

 

「まりななら、大丈夫」

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

ずっと言われたいと思ってた言葉も
自然と言われるようになった。

 

一緒にいる時間が楽しくて、愛しくなった。

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自然と、誰かの誕生日には、家族3人で集まるようになった。

 

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小さいころ以来、撮ってなかった3人での写真も増えた。

 

 

今なら胸を張って言える。

 

 

あたしは【家族】が、大好きだ。

 

 

なんて想いはまだ、面と向かっては言えないけれど
(というか、そればっかりは言えるようになる気がしない。笑)

 

それでも3人で、もっともっと【家族】になっていきたいと思う。

 

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「上手くやろう」となんて、しなくていい。

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何があったわけでもない。

 

どちらかと言えば、むしろ上手くいってるほう。

 

授業で自分の伝えたいことをちゃんと伝えられたし、
目が合っても、そらさなかったし、
自分のつくった掲示物が他県の校舎で評価されたし、
距離感があるなって思ってた生徒が名前呼んでくれたし、

 

上手く、上手くいってるのに…

 

どうしようもないほどの、憂うつ感。
満月だから?なんて思っても、ちっともスッキリしない。

 

何が嫌なのか全くわからないけど

「いやだなあ…」

そんな想いがずっと頭の中を浮遊してて
もやもやして、イライラしたから、


嫌な理由を、必死にかき集め始めた。

不安な理由を、
上手くいってないことを、

必死に探した。

 

そんなことしても、落ち着けるはずもなにのに。

 

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そんな負のループに自ら陥りかけていたとき
たまたま坂爪さんのツイートが目に留まった。

  

 

そう、まさに誰かに訊きたかった。

 

 

「ねえ、あたしの生き方、これでいいのかな?」


「本当に、間違ってないのかな?」

 

 

って。

 

誰かに言って欲しかったんだ。

 

「大丈夫だよ」

 

って。

 

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それは、あたしが大きな1歩を踏み出したからだった。

 

marinashimazu.hatenablog.com

 

もっと【自分】を大切にする教育がしたい。

 

そんな想いで、今週の授業は色んな挑戦をした。

今まで止まってたのに、急にギアをあげたんだ。
要するに緩急が激しすぎたんだよね。笑

 

それで、不安になったんだ。

 

 

 

 

「これで、本当に上手くいくのかな?」

 

って。

 

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あたしは教育が変えたいわけじゃなくて
ただ「自分の感じたことを表現したい」それだけなんだ。

 

だから、【自分】を大切にする教育。

 

そこには、もちろん、あたし自身も含まれてる。
そう、ただ「自分を信じたい」だけ。

 

自分を信じるってことは、
「自分」で、「自分」を信じるってことなのに

いつも気が付けば、
「自分じゃない誰か」の承認を求めてた。

 

そうやって、誰かの承認を求めるから、「上手くやろう」としてしまう。

 

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自分で自分を大切にしたいと思ったから

 

【自分】を大切にする教育、を伝えていこうと思ったのに


いつの間にか
誰かに自分を大切にしてもらうために

「上手くやろう」としてる自分がいた。

 

 

誰かに承認して欲しくて、嫌われたくなくて、

上手くやろうとしてして、
どうすればいいかにばかり目が向いてしまって、苦しくなってた。

 

それが正しいとか、正しくないとかじゃなくて
あたしは、それを求めてないってこと。

 

誰かよりも、まずは自分で自分を認めたいってこと。

 

苦しさは、それを教えてくれてたのかな。

 

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どうしたら上手くいくかとか、どうしたら傷付かないか

あたしが大切にしたいのは、そういうことじゃない。

 

ダメージを受けることだってあるだろう。
また、不安になることだってあるだろう。

 

でも、それでもいいじゃない。

 

それも含めて「自分を生きた証」なんだから。

 

自分が信じているものがあるなら、
それをどう上手く伝えるかよりも、

 

まずはそれを自分が楽しんで、幸せな姿を見せることから。
そんな姿こそ、人に伝わっていくものだから。

 

明日からまた「自分を生きる」ことを、楽しもうと思う。

逆転の発想と挑戦。

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このGWは、本当にゆっくりと自分と向き合えた。


自分がこれまで何を感じてきたのか。
今、何を感じているのか。
そして、これからどうしていきたいのか。

 

そんなことをじっくり、自分のペースで、考えることができた。

 

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そんな中やっぱり、切っても切れないのが「仕事」のこと。

 

かれこれ今の塾で、英語を教えてもう4年。

小学生だった子が、高校生になり。
高校受験でぎゃあぎゃあ言ってた子が、大学生。

ほんと、不思議な空間だよ。塾って。

 

もちろん生徒たちだけじゃなくて
あたし自身も色々と変わっていて、

 

許可なしで自由にやれることが増えていたり、
週3~4という理想の勤務時間と収入を保障してもらい、
授業以外で、高3生とのカウンセリングもさせてもらえるようになったり

正社員でも、非常勤でもない
よくわからない立場をしっかりと築いている。笑

 

1年目よりも、2年目。
2年目よりも、3年目。

振り返ってみたら、色々と変わったなぁ。

そもそも、2年目はストレス溜まりすぎて、
上司との中も最悪で、辞めようとしてたしね。

なつかしい(´ー`)笑。

 

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さらに、学歴コンプレックスで

ごまかし、ごまかしでやってきた英語力も
少しはマシになってきたと思う。

 

色んな生徒に出逢って、
色んな経験をさせてもらって、
色んなことに挑戦させてもらった。

そのたびに

嫉妬や不安に押しつぶされそうになったり
小さなことに飛び上がるほど喜んだり
自分のふがいなさに泣けてきたり・・・


そうやってこの4年間、色んなことを感じてきて、

 

また1つ、やりたいことが見つかった。

 

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もっと【自分】を大切にする教育がしたい。

 

【自分】は、あたし自身でもあり、生徒たち1人1人でもあって

自分自身や生徒たち1人1人が感じていることを、
もっと大切にして、

「自分で自分を大切にする」って、ことを知るきっかけにしたい。

 

誰しもが通る教育という道。
もっともっと、やれることってあると思うから。

 

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ずっとこの教育という現場にいると
あまりにも融通が利かな過ぎて、うんざりすることが多い。

 

でもそれを、
どうこうするほどの力が自分にないこともよくわかってて
だからこそ、自分にも教育にも幻滅して
この世界を外から変えていこうとしていた時期もあった。

その試みの1つが

「高校生とのカウンセリングにコーチングを取り入れること」

だった。

 

そんな機会を与えてくれた上司には
本当に心から感謝しているし
よくわからないカウンセリングに付き合ってくれた生徒たちにも
本当に感謝しかない。 

 

そうやって、たくさんの人の協力のおかげで、気付けたんだ。

 

 

『やっぱり、中から変えていきたい』

 

 

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まずは・・「結果や答え重視の考えを変えていきたい」

 

そう思った。


だから、あーでもない、こーでもないと、
途中、何度も投げ出しながらも、考え続けた。

 

自分にできること。授業で、できること。

 

結果や答え重視の風潮をなんとかしたくて
そこにたどり着くまでの「過程」の大切さをずっと伝え続けてきた。

 

でも、あたし自身の伝えることのスキルもまだまだだし、
やっぱり「当たり前」の意識は強くて

生徒たちが求めて、満足するのはいつも「答え」だった。


それはテストってものがあって
そのテストや結果で評価されてきたから
仕方のないことなんだけれど、

そんな中で毎日、毎日、過ごしてるから、



「答え」さえ合っていればよくて
「過程」を改ざん、もしくは無視することさえある。

 

だから、どうしても、上手くいかなかった。
そのたびに、答えを重視するしかない自分が情けなくて、悲しかった。

 


でも、諦めたくなくて、考え続けた。

 

そして、ようやくひらめいた。

 

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だったら、そもそも「答え」を軽視してしまえばいい。

 

 

そうだ、初めから「答え」を教えてしまえばいいんだ。

 

 

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「これだ!」という想いの反面、
「おいおい、マジで?大丈夫?」という自分もいる。

 

でもまあ、やってみないとわからないし、
何かは得られると思うので、明日からちょっとやってみようと思う。

 

 

「英語を勉強する」こと

「あたしの授業を受ける」ことが

 

自分の声を聴いて、

受け止めて、

行動していくきっかけに

 

❝自分を大切にする❞

 

きっかけになっていって欲しいから。

「理想の教育」が苦手だった理由。

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今年のGWはもっぱら読書。

 

気になった本を読んでは
気になった言葉やフレーズを書き留め
そこから自分の感情を探る。

 

飽きたり、疲れたりしながら、
そんなことばかりしております。

 

 

これがね、、幸せなんだけどね。

 

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今日はいつ買ったのか覚えてないけど
ちょっと別の視点も知っておこうと思って買ったけれど
なかなか読む気になれなくて、ひょっこり顔を出した、これ。

 

世界で大活躍できる13歳からの学び

世界で大活躍できる13歳からの学び

 

 

「別の視点」って表現を使ったのは、ちょっと理由があって


確かにあたしは、今の教育制度に対して賛成派ではないし
基本的に教育者って呼ばれる人たちが、昔も今も好きじゃない。

 

だけど、現場にいるからこそ、

 

そうなってしまうのもわかるし、

自分も同じように振る舞ってしまったり
同じような思考をしてしまっている
自分に気付いては、情けなくなったりもする。

 

じゃあ、だからといって、

 

今の日本の教育を真っ向から否定して

いわゆるグローバルな視点を取り入れた
アクティブラーニングだとか
個性を大事にした教育だとか
褒める教育だとか

そういうのも、なんかちょっと違うのよね。

 

というか、
そんな授業をしてる自分が思い浮かばないし


そういう教育改革的なものを叫んでる人たちって
キラキラ?ギラギラ?しすぎて
やっぱり、あんまりお近づきになろうとは思えなくて。。

 

というわけで、この本はあたしにとって「別の視点」なんだ。

 

そして、いわゆる「理想の教育」。

 

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あたしはこの「理想の教育」が、、「も」苦手なんだよね。

だからこの本も、あんまり得意なジャンルではなかった。
もちろん、納得することだって、たくさんあった。

 

例えば、

 

日本の教育が「知っている」を求めるもので
世界の教育は「理解する」を求めるもの

 

なんていう描写は
日頃ずっと感じてた言葉にできない違和感を
見事に表現してくれて、かなりスッキリした。

 

他にも、たくさんの言葉を書き留めた。

 

それと同時に

 

子どもたちの未来を考え、
本当に教育を変えようとしている想いに
そして、そんな人がいるってことに
安堵感を覚えたし、心から尊敬した。

 

 

でも、やっぱり”違和感”は、拭いきれなかった。

 

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だから、ひたすら、
書き留めた言葉とそこにある自分の想いと
向き合い続けてみた。

(時間を気にせず、没頭できるGW、ホントに幸せ、、♡)

 

そして、ようやく見つけた。

 

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それは、単なる「価値観の違い」

 

そして、それが、あたしが大切にしたいもの。

 

 

いわゆる今、「理想の教育」と言われている教育は 
楽しさを重視しているものが多いような気がする。

それは、今のSNS起業ブームにも似たところを感じてる。

 

勉強も、仕事も、人生も、
我慢して、苦労するものが当たり前だった昔。

そして時代は変わって


その対極というか個性や自由が注目されるようになって
今は何でも「楽しむもの」という考えがブームというか、

"正解"とされつつあるような気がする。

 

どうやら、あたしはそれが"苦手"だったみたい。

 

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確かにね、勉強も、仕事も、人生も
やらされじゃモチベーションは上がらない。

「楽しむ」ことって、大切だと思う。

 

だけど、なんでも加減も大切だと思ってて


あまりにも「楽しむ」ことにフォーカスを当てすぎると
「楽しもうよ」が「楽しめ!」に聞こえてくる。。

 

アクティブラーニングとか
ディスカッションとか双方向授業とか
おもしろいし、画期的だと思うれど、、

 

自分がもし生徒だったとしたら・・・やりたくない。笑

みんなでわいわい、がやがやよりも
自分のペースで黙々と、のんびりとやってたい。

 

だいたい、今の教育方法でも、上手くいってる子もいるし
新しい教育方法で、上手くいく子もいるだろう。

 

だから、どっちでもよくない?

 

てか、そもそも「上手くいく」ってなんだよ、って話。

 

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あたしがずーーっと
「理想の教育」ってものに感じてた"違和感"は
「今の教育はダメだから、こうするべき!」っていう
決めつけ感なんだと思う。

(もちろん、提唱してる人たちにそんなつもりがあるかどうかはわかんないけど)

 

要するに、


たとえどんなに"いい"と言われる教育をしようと
1人1人違うわけだから、反応は違って当たり前なわけで。

 

別に、勉強が教育が楽しくある必要はない。
もちろん、楽しくてもいいんだけど。

 

 

結局、「自分はどう感じて、そして、どうするか」

 

あたしは、英語が好きだし、
こうやって教育について考えるのも好き。

 

だけど、それは生徒たちには関係なくて
ただあたしが好きだから、楽しいからやってるだけ。

 

そのうえで、
生徒1人1人の「感じたこと」を大切にできる教育が
できればいいかな、と思う。
そのやり方は、これからやりながら考えてく。

 

それが"あたしにとって"の「理想の教育」

 

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この本があたしに気付かせてくれたのは

「自信や確信は、ときに押し付けになりうる」

って、ことなのでした。