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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

寂しさと、ほんの少しの幸せと

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部屋の明かりを消して目を閉じれば、
あなたと初めて眠った日のことを思い出す。

炊き込みご飯を作れば、
いつもはお米はそんなに食べないくせに、
美味しいとあなたがおかわりをしていた姿を思い出す。

ふと街中で、あなたと似た香りがすれば、
1日シャワーを浴びれずに帰ってきた日、自分を汚物だと言って
騒いでいたあなたの無邪気な笑顔を思い出す。


・・・


写真とかアクセサリーとか、
あの人を思い出させるような"物"は、何一つないのに、

どうしてこんなにも、思い出してしまうんだろう。

形がある物なら捨てれば済むけれど
形がない物は一体、どうすればいいんだろう。

 

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そうやってあの人と過ごした日々を思い出す度に、

もうあの笑顔を見ることができないこと
そして、もうこれ以上、思い出が増えることがない現実に

たまらなく寂しさが押し寄せ、軽い絶望すら覚える。


寂しくてたまらない。


けれど、あの人を思い出すと、そこには必ず「幸せ」があった。 

正直、見た目はちっともタイプじゃなかったし、
本当に自由すぎる人だから、
世間一般のカップルの常識なんて通じなかったし、
だから、不満だっていっぱいあった。

なのにそんなことを思い出しても、そこには必ず「幸せ」があって、
そんなダメなところでさえも、

思い出せば、自然と顔がほころんでしまう。

 

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「寂しさ」と「幸せ」が混ざり合う。


それは、すごくすごく不思議な感覚。

この感覚も、時が経てば、薄れてしまうのだろうけれど
今はこの不思議な感覚が、私を守り、支えていてくれる気がする。


だから、あの人のことを思い出す度、

踏み出そうとしていた世界の前で躊躇している私の背中を、
あの人が押してくれているような、そんな気がする。

 

もう、迷わない。

 

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寂しさと、ほんの少しの幸せが
きっとこの先も、私を強くしてくれるから。


そうやって私は、あの人が知らない私になっていく。

きっと、私をもっと好きになれる。

 
そしたらいつかまた、あの大好きな笑顔を見られる気がするから。

true love story...

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あなたは、一体どこまで、私の背中を押してくれるのだろう。


少しずつ自分の創りたい世界が見えてきて、
自分のことも、ほんの少しだけれど、好きになれた。


それでもやっぱり、
今まで過ごした世界から1歩踏み出すのには、勇気が必要で、
どうしても踏み出せなくて、迷いを捨てきれなかった。


あなたと過ごす、ありきたりだけれど、幸せな未来が、
もしかしたら、あるんじゃないかって

いつも、心のどこかで思ってた。

 

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そんな私の元に届いた、あなたからの2度目の「さよなら」


本当はとっくにお互い別々の道を歩いていたのに
その事実を認められなくて、

あなたを見送ったあの日、分かれてしまった2本の道が
いつか1本になるんじゃないかって、


そうやって、気付かないふりをしてきた。


「ほら、行かなきゃ」


あなたにそう言われているような気がして、
不思議と涙は出なかった。

1度目のさよならは、あんなに涙が止まらなかったのに。

 

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本当は一瞬、引き留めそうになったけれど、
その時、昔どこかで読んだシャネルの言葉が頭をよぎった。


❝ 愛の物語が幕を閉じたときは、そっと爪先立って抜けだすこと。
相手の男の重荷になるべきではない ❞


散々泣いて、あなたを困らせた1度目のさよならの後、
もしまた、あなたにさよならを言わなければならない時が来たら、

こんな風に離れられる女性でありたいと、思ってた。


そんなことを思い出しながら、
あなたに送った精一杯の「ありがとう」と「さよなら」


これで、少しは私もシャネルのような女性になれるだろうか。

 

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何度、経験しても、恋の終わりは、悲しくて、
そんな自分の辛さを隠すため、上書き保存するために、

どんなに幸せだった頃のことさえ、
なかったことにしてきたのだけれど

あなたと過ごした時間は、そうはできないみたい。

あなたに出逢い、あなたに恋をして、
たくさん笑って、たくさん泣いて、

決して長い時間ではなかったけれど
それ以上に、本当にたくさんのことを気付かせてもらった。

たくさんの愛と幸せをもらった。

それだけは変わらない、真実。

 

あなたを好きになって、本当によかった。

 

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もしもまた、あなたに会える日が来るのなら、
それこそ、本当に運命なんだと思う。

けど、そんな日が来るかどうかは、私にはわからない。

 

だから私は、私の道を歩いていく。

 

ありがとう、大好きでした。

 

自分で選んだ孤独

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雨上がりの少しひんやりする帰り道。


仕事でミスというか、久々に保護者からのクレーム。
そもそも、クレームをもらって嬉しい人なんていないだろうけれど、
マニュアルもなく、自由度の高い仕事でのクレームは一段と堪える。


塾講師という仕事は、まさにそんな仕事。

授業という枠を与えられるくらいで、後はほぼ自分次第。
方針も、授業内容も、教材も、自分で決めることができる。

自分の思うように、自分の大切にしたいことを伝えていける。

だからこそ、同じ教育という仕事でも、
学校の先生ではなく、この仕事を選んだのだけれど、

当然、メリットしかないものなんて、この世にあるわけもなく、
デメリットだって存在する。


私にとっては、その1つが「クレーム」だ。

本当に自分のやりたいように、
思い切った授業ができるようになったのは
ここ数年だけれども、

そうなる前から、自分の授業へのクレームがあった日は、
やはり、その度に、ひどく落ち込んでいた。

考えすぎなのはわかっていても、それでもやっぱり、
こうして自分の価値観を全面に出したものへのクレームは、
自分自身の存在への否定と感じてしまう。


「あなたは、ダメだ」


そう、烙印を押されたような気がして、
一気に自己嫌悪という真っ暗な世界へ引きずり込まれそうになる。

 

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色んな価値観の人がいるのだから、
全ての人に受け入れられるのは不可能だと頭ではわかっていても、

それでもやっぱり、批判やクレームは辛い。

この先、どれだけ自分に自信を持てるようになったとしても、
そんな予定もないけれど、
もしも、カリスマ講師と呼ばれるような存在になったとしても、

やっぱり、辛いものだと思う。


けど、それでいいのだとも思う。

今の私はまだ、「批判のおかげで気付けることがある」なんて台詞を
一点の曇りもなくまっすぐな瞳で言うことはできないけれど

この心臓をえぐられるような痛みを
全く感じられなくなったら、終わりのような気がする。


こういう痛みもきっと、必要なものなんだと思う。

 

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そうは言っても、まだ瞬時に感情処理ができない私はやっぱり、
ひとまず、最悪な気分へと堕ちていく。

「あなたは、ダメだ」


誰に言われたわけでもないその言葉が
しばらく、頭の中で繰り返される。



仕事中は、必要以上に会話をしたいとは思わないからと
自分から距離をとっている癖に、
楽しそうに話をしている他の講師たちと同じ空間にいると
こんな日はいつもより余計に、孤独を感じてしまう。

耳に入ってくる笑い声が
烙印を押された自分を蔑んでいるような気がして
足早に職場を出た。

それでも、
自己嫌悪という真っ暗な世界にもう完全に堕ちつつある私は
見ず知らずの人たちの笑い声さえ、自分を蔑んでいるように感じてしまう。

そんな笑い声に耳を塞ぎながら速足で家に向かっていても
仕事とは何の関係もないのに、これからのことやお金、恋愛、
自分に関するすべてのことが上手くいってないし、いかないと思い始めてしまう。


イヤフォンから流れる音楽が
真っ暗な闇へと堕ちていかないように、
私の精神を保つための、唯一のよりどころだ。

 

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イヤフォンから耳に流れてくる心地よいメロディーと
そこにのせられた言葉が、冷え切った心にゆっくりと沁みていく。

そうして、誰かのつくった言葉に、私の心の居場所が生まれていく。


そうやって、少しひんやりとした帰り道を
ゆっくり歩きながら、少しずつ、平静を取り戻していく。

真っ暗だった視界が、少しずつ、明るくなる。



人と違う道。

それを選んだのは、まぎれもない自分だし、
そうやって孤独を選んだのも、自分だ。

無理に孤独であろうとする必要はないけれど、
かといって孤独を選んだ自分を否定する必要もない。

それに、

例えどんなに孤独だと思っても、
自分が思っているほど、孤独じゃない。

そうやって孤独を感じさせてくれる人がいたり、
同じような孤独を抱えている人がいたり。


もし本当に「独り」なら、私たちは生きてはいけないから。

 

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自分の選んだ道さえ信じることができず
何もかも、悪いことのように思えてしまうのは、

心が疲れている証。


そんな日は、少しゆっくり休めばいい。

それを繰り返しながら、

私たちは、自分で選んだ道を
胸を張って歩いていけるようになるのだから。

ファインダー越しの私の世界

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自分が人よりも多感なのか、それともこれが普通なのか、
こんな話を誰かとしたことがないからわからないけれど

私は時々、感情の整理が追い付かなくなることがある。

それはいつも定期的にやってくるのだけれど
なんだかまるで、生理が2回来ているようで
つい最近まではとにかく、この時期が嫌で嫌で仕方なかった。


だけど今は、そんなごちゃごちゃになってしまった
目に見えない自分の感情を「言葉」という形に変え、
そして、その言葉に、ノートという「居場所」を与えてやることで

頭の中にかかった靄が少しずつ晴れていく
そんな瞬間がとても好きだったりする。


その度に、自分が生まれ変わっているような気がするからだ。

 

https://www.instagram.com/p/BaipG4bhDVm/


たぶん、もともと、自分の手で
自分の感情に形を与えるということが、好きなのだと思う。

昔から文章を書いたりすることが好きだったし、
自分と向き合うようになってからは特にこう思うことが増えた。


表現者、アーティストでありたい」と。


といっても、初めはそんな自分の想いが不可解で仕方なかった。

学校での美術の成績はいつも悪かったし、
美術品の良さもいまいちわからないし、
音楽は好きだけれど、歌手になりたいわけでもない。

もちろん文章を書くのは好きだけれど、
小説家になりたいわけでも、ブロガーと呼ばれる人たちのような
お役立ちブログを書いていきたいわけでもない。


どうやら、私にとっての表現者、アーティストとは、
世間一般のそれとは少し位置づけが違うようだ。

「自分の感じたものを、形にしたい」

そんな想いから、私はその言葉を選んでいた。

 

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つい先日、それに気が付いたと同時に、頭に浮かんできた言葉がある。


「ファインダー越しの私の世界」という言葉だ。

たぶん、TwitterInstagramで見たものが
たまたま印象に残っていたのだろうけど
それがなんだか妙にその時の自分の想いを表していた。

 

「自分というファインダー越しに見える世界を、形にしていきたい」


あんなに靄だらけで、何も見えなかったはずの頭の中に
その瞬間、一筋の光が差し込むのを感じた。

投げ出さずに向き合ったからこそ得られる、全てが繋がる感覚。

もしかしたら、他のどんな瞬間よりも
この感覚を味わっているときが私にとって、

1番幸せな瞬間なのかもしれない。

だとすれば、つくづく変態だと思う。

 

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表現者、アーティストでありたいという想いに
気が付いたのは、もうずっと昔のこと。

その想いを満たすためにブログを書き始めてみるのだけれど
なぜかいつも、気が付いたときには
自分が何を書きたいのかわからなり、書けなくなる。

そしてまた、想いに突き動かされ書き始めては、書けなくなる。

そんなことをずっと、繰り返してきた。


ところで、学生時代のアルバイトを含めれば、
私が、塾講師として教育の世界に関わって、もう10年近くになる。
自分で選んだ場所とはいえ、ずっと疑問だった。

さほど人に興味がなく、1人でいることを好むにも関わらず、
ずっと離れることができずにいたこの世界。


そんな矛盾だらけだった自分がまた1つ、繋がった。

 

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私は、私というファインダー越しに見ているこの世界を
「言葉」や「授業」という形で、表現していきたい。

そして、そうやって表現することで、
そこに1人でも多くの人の「居場所」をつくりたい。

私の表現した言葉や授業に共感したり、そこから気付きを得たり、
時には反感や苛立ちを覚えるかもしれない。

それでも、その瞬間、私のつくった"世界"がその人の居場所になる。

そして、そうやってそこが誰かの居場所になることで、
それは、私の「居場所」にもなる。


物理的な制約も、時間的な制約も、何一つない。
自分が好きなときに、好きなだけいられる。

そんな「目には見えない居場所」というものを、
私はずっと、求めていた。

1人が好きで、独りが嫌いな私に、ぴったりな居場所を。


きっとそれが、
私が表現者でありたいと願う1番の理由なのだと思う。

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だからきっとこれからも、

自分というファインダー越しに見える世界を
そんな自分という"世界"を愛し、
そこに見知らぬ誰かと自分の「居場所」をつくっていくために、

私は、表現し続けてくのだと思う。
表現者、アーティストで、あり続けるのだと思う。

 

鳴らない、携帯。

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「また今日も来ない…」


鳴らない君からのLINEの通知に、というよりも
来ないとわかっていながら期待することをやめられない自分自身に

今日もまた落胆している。

 


「もう、どうでもいいってわけ?」

そうやって何度も何度も期待を裏切られ続ければ
自然と不安や怒りが顔を出し始める。


そもそもその期待すら、
約束したわけではなく、自分が勝手にしているものなのに。

もうそこには、遠距離でも大丈夫。
なんて言っていたあの頃の私はいない。

 

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とにかく私はイライラしていた。

自分からは全く連絡をくれない彼にも
Instagramに溢れる見知らぬ幸せそうなカップルにも
Facebookでキラキラしたオーラを放つSNS起業家たちにも

テンションの高いクラスメイト達が毎日飽きもせず
騒いでいた高校の教室のような職場にも。

とにかく、全てが煩わしくて仕方なかった。


そんなときはできるだけ1人でいる時間を多くしたいのに
そういうときに限って仕事で休日出勤や早出が続く。

イライラを溜め込みながらやるべき仕事を片付けても
相変わらず私の携帯の画面には彼からの連絡通知はないし、

インスタのカップルたちは幸せそうだし、
フェイスブックにはキラキラした自撮りが溢れている。


もう、何ひとつ上手くいってないような気がした。

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ようやく1人になれても、彼とのトーク画面に
何度も「さよなら」の文字を、書いては消してを繰り返していた。

辛いのを全て彼のせいにして、楽になりたかった。


不安も苛立ちも、全部自分がつくりだしたものなのに。


もちろん、寂しさはあった。
けど、そんなことは遠距離を、というより彼を選んだ時からわかっていたこと。

それに毎日、連絡が欲しいわけじゃない。
たとえ、どんなに好きな人であろうと、私は1人の時間が必要だし、
なんだかんだ仕事も忙しいし、やりたいことだってある。

会えないことにも、そこまでストレスを感じているわけでもない。

彼も似たような人だからそんなことはありえないけれど
内容のない連絡が毎日来るのは、正直うっとおしい。

 

それなのに、私が彼からの連絡を求めていたのは、
ただ、「必要とされているのか」確かめたかったから。

 

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なにか大きなきっけがあるわけでもなく、
昔から私は「自分は必要なんだろうか」とすぐ考えてしまうところがある。

それはきっと私が
人と同じことをするのが嫌いで、
代わりの効く人間になりたくないという想いが強い癖に
人と違うことで指をさされることを恐れている

矛盾だらけの性格だからなのだと思う。


「一人」は好きだけれど、「独り」は嫌いだ。


物理的な孤独は、むしろ好むけれど、
精神的な孤独には、耐えられない。

そんな、めんどくさい性格。


だから自分から人と距離をとっておきながら
ふと、「自分は必要なんだろうか」と考え始めてしまう。

 

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そうやって考え始めてしまうきっかけに共通点はないけれど
それが何のサインなのかはわかるようになった。

 
「私自身が自分を信じられてない」


そのサインだ。


もともと1人が好きで
物理的な居場所をさほど必要としない私は、

きちんと自分さえ自分を信じることができていれば
他人からの承認なんて気にも留めず、
躊躇なく、前例のない道を突き進んでいける。


けれど何かの拍子に、自分を信じられなくなると急に、
他人からの承認を求めてしまう。
そして、ひどいときはそれをこじらせ、ドツボにはまっていく。

彼からの連絡を強く求めていたのは、まさしく、
その承認欲求の表れだったのだろう。


それに気付いてしまえば、もうなんてことはない。
自分が本当に大切にしたいもの、信じたいものを再確認するだけだ。

 

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なんて、コーヒーを飲みながら、これを書いていると
もう彼からの連絡なんて、どうでもよくなっている私がいた。

それでも、こうして
大切にしたいことに気付かせてくれる
彼という存在には、本当に感謝しているのだけれど、


なんだか悔しいから

その感謝を伝えるのは、
彼が自分から連絡をしてきたときにしようと思う。

ラブソングなんて、いらない。

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いつからかさっぱり聴かなくなったラブソングが聴きたくなって、
久々の美しい旋律に浸りながら、これを書いている。

 

今日は、「君と最後の日」

 

ついに来てしまったこの日に、見えない未来に、
それでも、いつもと何一つ変わらない君に、

不安を感じてしまえばきりがなかった。

それでも、ずっと前から
今日という日を、君と過ごす時間を

ちゃんと楽しもうと、幸せを感じようと決めていた。

 

いつもと変わらず、
冗談を言い合いながら過ごす時間はあっという間で、幸せで、
それでも時々見せる、何かを言いたそうな君の目だけは、

どうしても、ちゃんと見ることができなかった。

 

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朝、まだ薄暗い朝焼けの中に向かう背中。


何度もこうしてこの背中を見送ってきたはずなのに、
もう2度と会えないような気がして、思わずその背中に抱き着いた。

そして、軽くキスをして、


「いってらっしゃい」


笑顔でそう、君に言った。

「いってらっしゃい、なのかな」と君は少し困った顔で「またね」と、微笑んだ。

 

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始まりから普通とは違う2人だったし、
私は恋愛がすごく下手だったから、

ラブソングやネットに溢れる誰かの恋愛と比べてしまえば
不安が募るばかりで、そうやって何度も君を困らせたけれど

それでも、幸せな日々だった。

 

あの時「いってらっしゃい」と言ったのは、
また君に「おかえり」と笑顔で言えるようにって

そんな私の小さな願掛け。

 

誰もが共感できるような
羨ましがるようなラブソングのような恋ではないけれど

それでも、いい。


そう思えるほど、強くなれたから。
君を、好きになれたから。


私はきっと大丈夫。
私たち2人もきっと、大丈夫。


今度、君に「おかえり」を言うときには、

あの時、君が言いかけた言葉も
きっとちゃんと受けとめられる。

 

だから、今日は「最後の日」なんかじゃない。
ラブソングには、なれない2人の「新たな始まりの日」で、

そして、私がラブソングを聴けるようになった日。

 

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キミの瞳に光が蘇る時。

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最近は、言葉にしたい衝動に任せて
自分の感じたことをありのまま、言葉にするようにしている。


そうやって自分の衝動に従うと、別に意識しているわけではないのに
気が付けば、恋愛についてばかり書いてしまっている。

実際、数字も別のことについて書いたときに比べて
恋愛について書いたときのほうが断然いい。

それだけ、恋愛は多くの人の心を揺さぶるものなのだと思う。

だからこういった場合、
ブランディングマーケティングの視点から見れば
このまま恋愛に関することに特化したほうがいいなんてことは
そういうことに疎い私でさえ、わかる。

けど、それでも、私は自分の書きたいことを書く。 

 

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と言っても、ただ想いを表現したいというだけで
こうして書き綴っているわけではない。


そもそも、自分の想いを表現したいだけなら
わざわざこうして、全世界の人の目に触れる可能性のある
インターネットに自分の想いを公開したりはしない。
せいぜい、日記帳に書き綴って終わりでいい。

つまり、こうして公開しているのには、それなりの理由がある。


SNSでよくいう承認欲求を満たしたいのかと問われて
違うと答えれば、おそらくそれは嘘になるけれど、

「承認してもらいたい」という想い以上に
「少しでも多くの人に自分の言葉を届けたい」という想いが強い。

なんならいつか、エッセイ本を出版したいと本気で思っているくらいに。 

 

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だったら余計、万人受けするものを書いた方がいいんだろうけど
それじゃあ意味がないのだ。

「私の世界を、私の言葉で、伝えたい」


本気でそう思う私は、ナルシストでエゴイストだ。

だから、万人受けするものよりも
自分が書きたいと思ったものを書いていく。

そんな私が1番心を動かされる瞬間であり、

ずっと書きたいと思いながらも、
なかなか書けない瞬間がある。

 

それは、生徒と関わっていると度々出会う


「彼らの瞳に光が蘇る瞬間」 

 

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その瞬間はたいてい
塾講師としてではなく、1人の人間として
生徒たちと1対1で向き合っているときに訪れる。

 

それは去年から進めている
進路面談ではなく「自分がどうしたいのか」について
生徒たちととことん向き合う時間。

詳しい内容はこの記事に書いたので
興味を持ってくれた人は1度、読んでみて欲しい。

 

marinashimazu.hatenablog.com

 

そこで生徒たちと話す内容が
自分と向き合うことだからなのか
私自身が生徒の心に意識を集中しているからなのか

原因はよくわからないけれど

直感で空気が変わるというか
生徒たちの瞳に光が蘇る瞬間を何度も体験した。 


その瞬間がどういうものなのか
上手く表現することができなくて

今までずっと書けずにいた。


一見、たわいもない会話のようで
自分の想いを問いかけていく質問を投げかけていく中で
生徒自身が自分の中にある"何か"に気付く。


そして、その瞬間、瞳に光が蘇る。

 

それは楽しいとか嬉しいとかではなく、鳥肌に似た感覚なのだけれど
とにかく私は、その瞬間がたまらなく好きだ。

そしてその度、いつも思う。


「もう、大丈夫」


そして生徒たちは、自分でしっかりと歩きはじめる。

そんな瞬間を少しでも多く経験したいから
私はこの取り組みを絶対に形にしたいと強く思うのかもしれない。


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この取り組みを形にしていくための一環として
というよりも、どうしてもこの瞬間を言葉にしてみたくなったから

これから少しずつ、それぞれの瞬間を言葉にしていこうと思っている。


もちろんプライベートなことを含むから
多少の脚色や修正は加え、あくまでも実話を基にしたフィクションとして。


そうすることで、いま子どもたちが感じている苦悩や秘めた想いと
そんな子どもたちの瞳に光が蘇る瞬間を1人でも多くの大人が感じてくれれば嬉しい。

そして同じような苦悩や想いを持つ子どもたちの
何かヒントになれば、最高に嬉しい。

 

「もう、大丈夫」


そんな想いを込めて、これから少しずつ書いていこうと思う。

 

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今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」