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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

純粋。だから、あまのじゃく

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ショッキングピンクにゴールドの模様。
ど派手なセンスの塊。

明らかに他とは違うオーラを放つ
中島美嘉のオーディオブックに、それは書かれていた。


***

仕事が休みの今日は少し早めに起きて、
簡単なトレーニングを済ませ、シャワーを浴びる。

朝食代わりのプロテインを飲みながらインスタを更新して
お気に入りの真っ白なデスクに向かい、
最近始めたばかりの、まだ新しい英語のテキストを開く。

充実した、理想の1日の始まり。

 

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の、はずだった。

まだなじみのない英単語の羅列を眺めていたら、
昨夜の夜更かしが祟ってか、抗えないほどの睡魔に襲われた。


「30分だけ・・・」


そう思ってベッドに横になって、
目が覚めたときには、30分が4回も過ぎていた。

明らかに寝すぎて、働かなくなった頭でコーヒーを淹れながら
ブラックのまま胃に流し込み、強制的に覚醒させようと試みる。


「もう、かかってくることはないんだよね」

スマホの画面には、無意識に開いたのか通話履歴と
そこに並ぶ、無機質な文字で書かれたあの人の名前があった。

 

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数時間前の私は一体どこへ行ってしまったのか
一気に、センチメンタルモードに切り替わる。

その瞬間、

いつになったら結果が出るのかわからないトレーニングも
時間とお金をかけてやる英語の勉強も
前向きな自分の言葉も

全て、馬鹿らしく思えてくる。


我ながら、ジェットコースターみたいな思考回路だと思う。

そんな落差の激しい自分に振り回されて
かれこれもう、28年になる。

 

https://www.instagram.com/p/BYmnVAVhBZN/


そして、いつも思う。

「彼女たちのように、生きていけたらいいのに」

私が惹かれる女性は皆、強く、美しい。
自分を貫くという強さが、私には何よりも美しく感じる。

間違いなくそこに惹かれているにもかかわらず
つい、表面的な部分に振り回されてしまう。

そして、その人のマネをして、その人になろうとしてしまう。


でも、

純粋でも
あまのじゃくでも
アーティストでも
表現者でも
センスの塊でも

何だっていい。


大切なのは「自分を生きている」かどうかということ。

 

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ジェットコースターのような浮き沈みの激しい思考回路だろうと
1人が好きな人見知りの癖に、寂しがり屋だろうと、
熱しにくく、冷めやすい性格だろうと、


結局のところ、それが「私」なのだ。


そんなところを他の誰かの真似をして隠したところで
きっと、それは堂々巡りでしかなくて

いつまでたっても、私が惹かれるような女性にはなれないだろう。


姿形は変えることができても、
感じることは、変えることができないのだから。

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感じることこそ「自分という存在」の象徴であり、

だから私は、こうして感じたことを言葉したい衝動に駆られる。
きっとそうすることで、

自分という存在を再確認しているのだと思う。


この先に、何があるのかはまだわからないけれど、
とにかく続けてみようと思う。

必要ないと感じるその時まで。


自分を感じながら、自分を生きていくために。

 

さよならの先に

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身体の芯まで凍えてしまいそうな夜。

寒いのは得意ではないけれど、手袋があまり好きでない私は、
仕事からの帰り道、ボルドーに彩られた冷たい指先を温めながら
1人、寒空の下を歩く。

こんな日の夜空は、なんだかいつもより少し高く思えて 、
寒さで澄んだ空と雲がすごく綺麗だ。

なんだか眠るのがもったいなく感じる、そんな夜が続いている。


それでも眠くはなるし、眠ってしまえば、もちろん朝が来る。
そして朝が来れば、そこからまた新しい1日が始まる。

何も、変わっていない。

 

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自分の想いを言葉にしたいと、少し前に始めたインスタは、
図らずも、あの人への切ない想いで埋まり始め、

切ない想いを綴れば綴るほど、
少しずついいねやフォロワー数が増えていった。

表現者でありたいと願う私にとって
それはもちろん嬉しかったけれど、本当は少し、戸惑ってもいた。


あそこに載せた言葉に嘘は1つもないけれど
私は、四六時中、あの人のことを考えていられるほど器用でも、強くもない。

何より、あの人への想いは、あくまでも私の一部であって、
本当は他にも、形にしていきたい想いがたくさんある。


けれど、増えていくいいねやフォロワー数に、

いつからか、無意識に「求められる私」でいようとして
少しずつ、苦しさや窮屈さを覚え始めていた。


そして、感じずにいはいられない別れの予感。

さらには、仕事でもクレームや上手くいかないことが続き、
あの頃の私は、すっかり自信をなくしてしまっていた。

自分の創りたい世界の不安定さと
周囲から求められる世界の安定さが私を揺さぶり、

自分がどこに向かいたいのか、わからなくなり、
そこから進むことも、戻ることもできずに、

踏み出そうとしていた世界の前で
私は、ずっと前から

動けなくなっていた。

 

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そんな得体の知れない何かに怯え
ただその場に立ち尽くし、焦点の合わない
ぼやけた毎日をただ眺めているしかなかった。

そんなときだった。


あの人から「さよなら」が届いたのは。

いくら予感していたとは言え、
本当に久しぶりに心から愛しいと思えた人だったから

もちろん、悲しみはあった。


けれどそれ以上に、


「君の本当に創りたい世界は、そんなもんじゃないだろ?」


まるで、そう言われたような気がしてならなかった。


そうだ。こんなところで、
止まってる場合じゃないんだ。

 

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不器用な私たちは自分たちの抱く夢について、
じっくり話をするようなことはしなかったけれど

それでもお互いに挑戦したい夢や創りたい世界を
持っていることは知っていたし、

少なくとも私は、そういうところも好きだった。

 

そして、先に1歩を踏み出したのは、あの人だった。

なんだってそうだった。

2人で一緒にいることを決めるときも、
出かける行き先を決めるときも、何を食べるか決めるときも、

そして、別の別の道を歩むことを決めるときさえも。 

いつもあの人は、私の半歩先にいた。

そして、本当はそれを望んでいるのに踏み出せずにいる私を
いつも、引っ張っていってくれた。


このさよならの先に、もうあの人はいないけれど、
この道をまっすぐ突き進んでいけばまたどこかで、

半歩先にいるあの人の姿が見えてくるような気がする。

そしてきっとそのときは、
半歩後ろではなく、ちゃんと隣を歩いていけるような気がする。


だから、振り返らない。

このさよならの先へ
前を向いて、1人、進んでいこうと思う。

 

 

寂しさと、ほんの少しの幸せと

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部屋の明かりを消して目を閉じれば、
あなたと初めて眠った日のことを思い出す。

炊き込みご飯を作れば、
いつもはお米はそんなに食べないくせに、
美味しいとあなたがおかわりをしていた姿を思い出す。

ふと街中で、あなたと似た香りがすれば、
1日シャワーを浴びれずに帰ってきた日、自分を汚物だと言って
騒いでいたあなたの無邪気な笑顔を思い出す。


・・・


写真とかアクセサリーとか、
あの人を思い出させるような"物"は、何一つないのに、

どうしてこんなにも、思い出してしまうんだろう。

形がある物なら捨てれば済むけれど
形がない物は一体、どうすればいいんだろう。

 

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そうやってあの人と過ごした日々を思い出す度に、

もうあの笑顔を見ることができないこと
そして、もうこれ以上、思い出が増えることがない現実に

たまらなく寂しさが押し寄せ、軽い絶望すら覚える。


寂しくてたまらない。


けれど、あの人を思い出すと、そこには必ず「幸せ」があった。 

正直、見た目はちっともタイプじゃなかったし、
本当に自由すぎる人だから、
世間一般のカップルの常識なんて通じなかったし、
だから、不満だっていっぱいあった。

なのにそんなことを思い出しても、そこには必ず「幸せ」があって、
そんなダメなところでさえも、

思い出せば、自然と顔がほころんでしまう。

 

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「寂しさ」と「幸せ」が混ざり合う。


それは、すごくすごく不思議な感覚。

この感覚も、時が経てば、薄れてしまうのだろうけれど
今はこの不思議な感覚が、私を守り、支えていてくれる気がする。


だから、あの人のことを思い出す度、

踏み出そうとしていた世界の前で躊躇している私の背中を、
あの人が押してくれているような、そんな気がする。

 

もう、迷わない。

 

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寂しさと、ほんの少しの幸せが
きっとこの先も、私を強くしてくれるから。


そうやって私は、あの人が知らない私になっていく。

きっと、私をもっと好きになれる。

 
そしたらいつかまた、あの大好きな笑顔を見られる気がするから。

true love story...

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あなたは、一体どこまで、私の背中を押してくれるのだろう。


少しずつ自分の創りたい世界が見えてきて、
自分のことも、ほんの少しだけれど、好きになれた。


それでもやっぱり、
今まで過ごした世界から1歩踏み出すのには、勇気が必要で、
どうしても踏み出せなくて、迷いを捨てきれなかった。


あなたと過ごす、ありきたりだけれど、幸せな未来が、
もしかしたら、あるんじゃないかって

いつも、心のどこかで思ってた。

 

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そんな私の元に届いた、あなたからの2度目の「さよなら」


本当はとっくにお互い別々の道を歩いていたのに
その事実を認められなくて、

あなたを見送ったあの日、分かれてしまった2本の道が
いつか1本になるんじゃないかって、


そうやって、気付かないふりをしてきた。


「ほら、行かなきゃ」


あなたにそう言われているような気がして、
不思議と涙は出なかった。

1度目のさよならは、あんなに涙が止まらなかったのに。

 

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本当は一瞬、引き留めそうになったけれど、
その時、昔どこかで読んだシャネルの言葉が頭をよぎった。


❝ 愛の物語が幕を閉じたときは、そっと爪先立って抜けだすこと。
相手の男の重荷になるべきではない ❞


散々泣いて、あなたを困らせた1度目のさよならの後、
もしまた、あなたにさよならを言わなければならない時が来たら、

こんな風に離れられる女性でありたいと、思ってた。


そんなことを思い出しながら、
あなたに送った精一杯の「ありがとう」と「さよなら」


これで、少しは私もシャネルのような女性になれるだろうか。

 

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何度、経験しても、恋の終わりは、悲しくて、
そんな自分の辛さを隠すため、上書き保存するために、

どんなに幸せだった頃のことさえ、
なかったことにしてきたのだけれど

あなたと過ごした時間は、そうはできないみたい。

あなたに出逢い、あなたに恋をして、
たくさん笑って、たくさん泣いて、

決して長い時間ではなかったけれど
それ以上に、本当にたくさんのことを気付かせてもらった。

たくさんの愛と幸せをもらった。

それだけは変わらない、真実。

 

あなたを好きになって、本当によかった。

 

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もしもまた、あなたに会える日が来るのなら、
それこそ、本当に運命なんだと思う。

けど、そんな日が来るかどうかは、私にはわからない。

 

だから私は、私の道を歩いていく。

 

ありがとう、大好きでした。

 

自分で選んだ孤独

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雨上がりの少しひんやりする帰り道。


仕事でミスというか、久々に保護者からのクレーム。
そもそも、クレームをもらって嬉しい人なんていないだろうけれど、
マニュアルもなく、自由度の高い仕事でのクレームは一段と堪える。


塾講師という仕事は、まさにそんな仕事。

授業という枠を与えられるくらいで、後はほぼ自分次第。
方針も、授業内容も、教材も、自分で決めることができる。

自分の思うように、自分の大切にしたいことを伝えていける。

だからこそ、同じ教育という仕事でも、
学校の先生ではなく、この仕事を選んだのだけれど、

当然、メリットしかないものなんて、この世にあるわけもなく、
デメリットだって存在する。


私にとっては、その1つが「クレーム」だ。

本当に自分のやりたいように、
思い切った授業ができるようになったのは
ここ数年だけれども、

そうなる前から、自分の授業へのクレームがあった日は、
やはり、その度に、ひどく落ち込んでいた。

考えすぎなのはわかっていても、それでもやっぱり、
こうして自分の価値観を全面に出したものへのクレームは、
自分自身の存在への否定と感じてしまう。


「あなたは、ダメだ」


そう、烙印を押されたような気がして、
一気に自己嫌悪という真っ暗な世界へ引きずり込まれそうになる。

 

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色んな価値観の人がいるのだから、
全ての人に受け入れられるのは不可能だと頭ではわかっていても、

それでもやっぱり、批判やクレームは辛い。

この先、どれだけ自分に自信を持てるようになったとしても、
そんな予定もないけれど、
もしも、カリスマ講師と呼ばれるような存在になったとしても、

やっぱり、辛いものだと思う。


けど、それでいいのだとも思う。

今の私はまだ、「批判のおかげで気付けることがある」なんて台詞を
一点の曇りもなくまっすぐな瞳で言うことはできないけれど

この心臓をえぐられるような痛みを
全く感じられなくなったら、終わりのような気がする。


こういう痛みもきっと、必要なものなんだと思う。

 

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そうは言っても、まだ瞬時に感情処理ができない私はやっぱり、
ひとまず、最悪な気分へと堕ちていく。

「あなたは、ダメだ」


誰に言われたわけでもないその言葉が
しばらく、頭の中で繰り返される。



仕事中は、必要以上に会話をしたいとは思わないからと
自分から距離をとっている癖に、
楽しそうに話をしている他の講師たちと同じ空間にいると
こんな日はいつもより余計に、孤独を感じてしまう。

耳に入ってくる笑い声が
烙印を押された自分を蔑んでいるような気がして
足早に職場を出た。

それでも、
自己嫌悪という真っ暗な世界にもう完全に堕ちつつある私は
見ず知らずの人たちの笑い声さえ、自分を蔑んでいるように感じてしまう。

そんな笑い声に耳を塞ぎながら速足で家に向かっていても
仕事とは何の関係もないのに、これからのことやお金、恋愛、
自分に関するすべてのことが上手くいってないし、いかないと思い始めてしまう。


イヤフォンから流れる音楽が
真っ暗な闇へと堕ちていかないように、
私の精神を保つための、唯一のよりどころだ。

 

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イヤフォンから耳に流れてくる心地よいメロディーと
そこにのせられた言葉が、冷え切った心にゆっくりと沁みていく。

そうして、誰かのつくった言葉に、私の心の居場所が生まれていく。


そうやって、少しひんやりとした帰り道を
ゆっくり歩きながら、少しずつ、平静を取り戻していく。

真っ暗だった視界が、少しずつ、明るくなる。



人と違う道。

それを選んだのは、まぎれもない自分だし、
そうやって孤独を選んだのも、自分だ。

無理に孤独であろうとする必要はないけれど、
かといって孤独を選んだ自分を否定する必要もない。

それに、

例えどんなに孤独だと思っても、
自分が思っているほど、孤独じゃない。

そうやって孤独を感じさせてくれる人がいたり、
同じような孤独を抱えている人がいたり。


もし本当に「独り」なら、私たちは生きてはいけないから。

 

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自分の選んだ道さえ信じることができず
何もかも、悪いことのように思えてしまうのは、

心が疲れている証。


そんな日は、少しゆっくり休めばいい。

それを繰り返しながら、

私たちは、自分で選んだ道を
胸を張って歩いていけるようになるのだから。

ファインダー越しの私の世界

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自分が人よりも多感なのか、それともこれが普通なのか、
こんな話を誰かとしたことがないからわからないけれど

私は時々、感情の整理が追い付かなくなることがある。

それはいつも定期的にやってくるのだけれど
なんだかまるで、生理が2回来ているようで
つい最近まではとにかく、この時期が嫌で嫌で仕方なかった。


だけど今は、そんなごちゃごちゃになってしまった
目に見えない自分の感情を「言葉」という形に変え、
そして、その言葉に、ノートという「居場所」を与えてやることで

頭の中にかかった靄が少しずつ晴れていく
そんな瞬間がとても好きだったりする。


その度に、自分が生まれ変わっているような気がするからだ。

 

https://www.instagram.com/p/BaipG4bhDVm/


たぶん、もともと、自分の手で
自分の感情に形を与えるということが、好きなのだと思う。

昔から文章を書いたりすることが好きだったし、
自分と向き合うようになってからは特にこう思うことが増えた。


表現者、アーティストでありたい」と。


といっても、初めはそんな自分の想いが不可解で仕方なかった。

学校での美術の成績はいつも悪かったし、
美術品の良さもいまいちわからないし、
音楽は好きだけれど、歌手になりたいわけでもない。

もちろん文章を書くのは好きだけれど、
小説家になりたいわけでも、ブロガーと呼ばれる人たちのような
お役立ちブログを書いていきたいわけでもない。


どうやら、私にとっての表現者、アーティストとは、
世間一般のそれとは少し位置づけが違うようだ。

「自分の感じたものを、形にしたい」

そんな想いから、私はその言葉を選んでいた。

 

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つい先日、それに気が付いたと同時に、頭に浮かんできた言葉がある。


「ファインダー越しの私の世界」という言葉だ。

たぶん、TwitterInstagramで見たものが
たまたま印象に残っていたのだろうけど
それがなんだか妙にその時の自分の想いを表していた。

 

「自分というファインダー越しに見える世界を、形にしていきたい」


あんなに靄だらけで、何も見えなかったはずの頭の中に
その瞬間、一筋の光が差し込むのを感じた。

投げ出さずに向き合ったからこそ得られる、全てが繋がる感覚。

もしかしたら、他のどんな瞬間よりも
この感覚を味わっているときが私にとって、

1番幸せな瞬間なのかもしれない。

だとすれば、つくづく変態だと思う。

 

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表現者、アーティストでありたいという想いに
気が付いたのは、もうずっと昔のこと。

その想いを満たすためにブログを書き始めてみるのだけれど
なぜかいつも、気が付いたときには
自分が何を書きたいのかわからなり、書けなくなる。

そしてまた、想いに突き動かされ書き始めては、書けなくなる。

そんなことをずっと、繰り返してきた。


ところで、学生時代のアルバイトを含めれば、
私が、塾講師として教育の世界に関わって、もう10年近くになる。
自分で選んだ場所とはいえ、ずっと疑問だった。

さほど人に興味がなく、1人でいることを好むにも関わらず、
ずっと離れることができずにいたこの世界。


そんな矛盾だらけだった自分がまた1つ、繋がった。

 

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私は、私というファインダー越しに見ているこの世界を
「言葉」や「授業」という形で、表現していきたい。

そして、そうやって表現することで、
そこに1人でも多くの人の「居場所」をつくりたい。

私の表現した言葉や授業に共感したり、そこから気付きを得たり、
時には反感や苛立ちを覚えるかもしれない。

それでも、その瞬間、私のつくった"世界"がその人の居場所になる。

そして、そうやってそこが誰かの居場所になることで、
それは、私の「居場所」にもなる。


物理的な制約も、時間的な制約も、何一つない。
自分が好きなときに、好きなだけいられる。

そんな「目には見えない居場所」というものを、
私はずっと、求めていた。

1人が好きで、独りが嫌いな私に、ぴったりな居場所を。


きっとそれが、
私が表現者でありたいと願う1番の理由なのだと思う。

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だからきっとこれからも、

自分というファインダー越しに見える世界を
そんな自分という"世界"を愛し、
そこに見知らぬ誰かと自分の「居場所」をつくっていくために、

私は、表現し続けてくのだと思う。
表現者、アーティストで、あり続けるのだと思う。

 

鳴らない、携帯。

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「また今日も来ない…」


鳴らない君からのLINEの通知に、というよりも
来ないとわかっていながら期待することをやめられない自分自身に

今日もまた落胆している。

 


「もう、どうでもいいってわけ?」

そうやって何度も何度も期待を裏切られ続ければ
自然と不安や怒りが顔を出し始める。


そもそもその期待すら、
約束したわけではなく、自分が勝手にしているものなのに。

もうそこには、遠距離でも大丈夫。
なんて言っていたあの頃の私はいない。

 

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とにかく私はイライラしていた。

自分からは全く連絡をくれない彼にも
Instagramに溢れる見知らぬ幸せそうなカップルにも
Facebookでキラキラしたオーラを放つSNS起業家たちにも

テンションの高いクラスメイト達が毎日飽きもせず
騒いでいた高校の教室のような職場にも。

とにかく、全てが煩わしくて仕方なかった。


そんなときはできるだけ1人でいる時間を多くしたいのに
そういうときに限って仕事で休日出勤や早出が続く。

イライラを溜め込みながらやるべき仕事を片付けても
相変わらず私の携帯の画面には彼からの連絡通知はないし、

インスタのカップルたちは幸せそうだし、
フェイスブックにはキラキラした自撮りが溢れている。


もう、何ひとつ上手くいってないような気がした。

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ようやく1人になれても、彼とのトーク画面に
何度も「さよなら」の文字を、書いては消してを繰り返していた。

辛いのを全て彼のせいにして、楽になりたかった。


不安も苛立ちも、全部自分がつくりだしたものなのに。


もちろん、寂しさはあった。
けど、そんなことは遠距離を、というより彼を選んだ時からわかっていたこと。

それに毎日、連絡が欲しいわけじゃない。
たとえ、どんなに好きな人であろうと、私は1人の時間が必要だし、
なんだかんだ仕事も忙しいし、やりたいことだってある。

会えないことにも、そこまでストレスを感じているわけでもない。

彼も似たような人だからそんなことはありえないけれど
内容のない連絡が毎日来るのは、正直うっとおしい。

 

それなのに、私が彼からの連絡を求めていたのは、
ただ、「必要とされているのか」確かめたかったから。

 

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なにか大きなきっけがあるわけでもなく、
昔から私は「自分は必要なんだろうか」とすぐ考えてしまうところがある。

それはきっと私が
人と同じことをするのが嫌いで、
代わりの効く人間になりたくないという想いが強い癖に
人と違うことで指をさされることを恐れている

矛盾だらけの性格だからなのだと思う。


「一人」は好きだけれど、「独り」は嫌いだ。


物理的な孤独は、むしろ好むけれど、
精神的な孤独には、耐えられない。

そんな、めんどくさい性格。


だから自分から人と距離をとっておきながら
ふと、「自分は必要なんだろうか」と考え始めてしまう。

 

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そうやって考え始めてしまうきっかけに共通点はないけれど
それが何のサインなのかはわかるようになった。

 
「私自身が自分を信じられてない」


そのサインだ。


もともと1人が好きで
物理的な居場所をさほど必要としない私は、

きちんと自分さえ自分を信じることができていれば
他人からの承認なんて気にも留めず、
躊躇なく、前例のない道を突き進んでいける。


けれど何かの拍子に、自分を信じられなくなると急に、
他人からの承認を求めてしまう。
そして、ひどいときはそれをこじらせ、ドツボにはまっていく。

彼からの連絡を強く求めていたのは、まさしく、
その承認欲求の表れだったのだろう。


それに気付いてしまえば、もうなんてことはない。
自分が本当に大切にしたいもの、信じたいものを再確認するだけだ。

 

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なんて、コーヒーを飲みながら、これを書いていると
もう彼からの連絡なんて、どうでもよくなっている私がいた。

それでも、こうして
大切にしたいことに気付かせてくれる
彼という存在には、本当に感謝しているのだけれど、


なんだか悔しいから

その感謝を伝えるのは、
彼が自分から連絡をしてきたときにしようと思う。