NO TITLE

本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

「NO TITLE」という始まり

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今年もようやく無事に大学受験が終わったと、ひと息つく間もなく
講師不足のため、久しぶりに朝から夜までずっと授業という生活を
約3週間続けて、昨日ようやくそんな生活が終わった。

 

体力的にも決して楽ではなかったけど
それ以上に、頭とか心とか、胃とかで育っていく
「違和感」のほうがしんどかった。

  

「違う」

  

確かに自分がそこにいて
確かに自分が喋っているんだけれど
自分じゃない感覚。

 

 

この3週間、あたしの口から出ていた言葉は
あたしという1人の人間が伝えたいことなんかじゃなくて
当たり障りのない、いかにも塾講師らしいこと。

 

自分に興味を持ってくれない生徒たちの
「勉強」という「不安」を揺さぶる言葉ばかり。

 

かれこれもう約10年の講師生活。
生徒たちを緊張させることぐらい朝飯前になってしまった。

 

 

でもいつも、そんな風にスラスラと喋る自分を
もう1人の自分がただ黙って見つめている。喋りながらそんな感覚になる。

 

 

 「なに、やってんの?」「また、逃げるんだ」

 

 

そう言いたげな眼差しで。

 

 

 

嫌われないように。

間違わないように。

傷付かないように。

 

  

 

そんな自分に気付き、
他の先生と比べて、自分をひたすら責め続けた。
何1つ 自分を認めることなく、自分で自分をボロボロにしていった。

 

誰かに何かを言われたわけでも、批判されたわけでもないのに
勝手に自分で自分を批判する。長年の癖も困ったもんだ。

 

たぶん、こうやって人は鬱になっていくのかもしれない。

 

メンタル的には結構やられているんだけど
それさえもどこか人ごとで

 

 

「さて、どうするかな」

 

 

そんな風に考えられるのが
あたしの強みなんだろうなと思う。
なんて、のんきに考えてる自分もいる。 

 

とはいえ、
自分を責め続ける生き方はしんどいことに変わりはないし
別にあたしはドMなわけでもないから、こんな生き方はもう勘弁なのだ。

  

 

嫌われない

間違わない

傷付かない

  

 

そんな風に生きれたら幸せだとずっと思っていた。
でも、そうやって生きようとしたこの3週間、幸せどころか地獄だった。

  

 この3週間を振り返ったら、「楽しむ」とか「笑う」ってこと忘れてた。

  

あたしは、嫌われない、間違わない、傷付かない生き方より
「楽しんで、笑って」生きてたい。

 

 

 

じゃあ、あたしの好きなこと、楽しいことって何だろう?

  

ブログ、音楽、オシャレ、写真、読書、教えること、人の想いを整理すること

  

そんな好きなことに共通すること。

 

  

"感じたことを表現すること"

   

そして何より、自分の"感じたこと"を認めること。

 

 

そうやって生きていけたら、もう最高だろうなと。
この苦しかった3週間が気付かせてくれた。 

 

 

この3週間だけじゃない。
アメブロにも、自分の発信内容にも
実のところ、結構前から違和感を覚えていた。

 

でも「まあ、気のせいか」そうやって、ずっと誤魔化してきた。

  

それはきっと今まで
嫌われない、間違わない、傷付かない
そんな基準がずっとあたしの中にあって
自分の感じたことを認めることができてなかったんだと思う。

 

 

だから、これからは、
自分の感じたことを大切に、感じたままに綴っていこうと思う。

 

タイトルは思いつかないから「NO TITLE」で。
そんな新たな始まり。

 

感じたことを認めて、表現することが、1番幸せだと気付いたからね。