「感じる」ことは、めんどくさい。
だいたいどんな本でも
1日か2日で読み切ってしまうのだけれど
この本はなかなか読み進めることができなくて
1週間以上かけて、ようやく読み終えることができた。
『あなたは、なぜ、つながれないのか』/高石宏輔
読後感としては
「・・・疲れた」というのが1番近い感情な気がする。
疲れたと言っても
学問書や専門書ではないので
決して小難しいことが書いてあるわけでもない。
高石さんの細やかな観察力、表現力で
様々な人間の反応が描写されてあるだけ。
そう。かなり、おもしろい。
めちゃくちゃおもしろいのだけれど、読めば読むほど疲れる。
そんな不思議な本だった。
あんなにも疲れたのは
高石さんの描写を通して色々な感情を「感じた」からだと思う。
彼の言葉を通して
これまで自分が色んな場面で感じた感情が蘇り
それをただただ感じ続けていた。
そして、「感じる」ことは、めんどくさい。
自分がそう思っていたこと
そのきっかけ、そう思うようになる前と揺れ動く"感情"
ふと、昔のことを思い出していた。
きっと、はっきりとした原因なんてなかったんじゃないかな。
仮にあったとしても、今となってはもうどうでもいい。
思春期の不安定なやり場のない心の揺れが、
ただあたしに向けられただけ。
ただ、それだけだったんだと思う。
けれど、あたしは少しだけ人より敏感で、感じやすかった。
だから
彼女たちのエネルギーを受け止めることも
傷付いた自分の感情を外に出すこともできなかった。
そして、内に押し込めた。
「感じてはいけない」というルールをつくった。
あの時、あたしにとって
「感じる」ことは、苦しいことだったから
「感じる」ことを、してはいけないことにした。
そしたら、いつの間にか
「感じる」ことは、めんどくさいことに変わっていた。
そうやって、これまでずっと感じないようにしてきて
それでも消えることはなくて
ずっと心の奥底で眠っていた感情。
なんで?どうして?
信じたい。でも、信じられない。
怖い。辛い。守って欲しい。
1人になりたくない。
そんな色んな感情が一気に押し寄せてきて、しんどくなった。
・・・ほら、めんどくさいじゃん。
ずっと押さえつけてきた感情たちの逆襲を受けながら
「ほら、感じないほうが楽じゃん」そう思った。
でも、それと同時に思い出した。
「感じる」ことを、やめる前の自分。
ああ、あの子、無理して笑ってる。
今の言葉、先生傷付いたよね。
あの2人、喧嘩でもしたのかな。
ほらまた、伝わらないからって、伝えることを放棄した。
あ、今この人、嘘ついた。
こうしたら、上手く覚えられる気がする。
今、ボール返せば、落ちる気がする。
そうやって、色んなものを「感じてた」
日常も、勉強も、スポーツも
あたしは「理解する」よりも「感じる」ことが当たり前で
それで色んなことが上手くいってた。
そして何より、そうやって「感じる」ことを楽しんでた。
「感じる」ことは、めんどくさい。人より感じやすいと尚更だ。
「感じる」ことは、めんどくさい。
でも、あたしは「感じる」ことの"楽しさ"も知っている。
感じることも、感じやすいことも
何も恥じることじゃない。
だから、もう1度、あの頃のように「感じて」生きてみたい。
今は、そう思う。