「上手くやろう」となんて、しなくていい。
何があったわけでもない。
どちらかと言えば、むしろ上手くいってるほう。
授業で自分の伝えたいことをちゃんと伝えられたし、
目が合っても、そらさなかったし、
自分のつくった掲示物が他県の校舎で評価されたし、
距離感があるなって思ってた生徒が名前呼んでくれたし、
上手く、上手くいってるのに…
どうしようもないほどの、憂うつ感。
満月だから?なんて思っても、ちっともスッキリしない。
何が嫌なのか全くわからないけど
「いやだなあ…」
そんな想いがずっと頭の中を浮遊してて
もやもやして、イライラしたから、
嫌な理由を、必死にかき集め始めた。
不安な理由を、
上手くいってないことを、
必死に探した。
そんなことしても、落ち着けるはずもなにのに。
そんな負のループに自ら陥りかけていたとき
たまたま坂爪さんのツイートが目に留まった。
おれの生き方は間違ってないよなと、誰かに訊きたくなる時がある。そんな時、ああ、こいつらは肯定してくれるだろうな【笑い飛ばしてくれるだろうな】と思える人間の存在、それを友達と呼ぶのだと思う。友達は、生きているひとだけじゃない。友達と、友達のままでいられるような自分でありたいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年5月11日
そう、まさに誰かに訊きたかった。
「ねえ、あたしの生き方、これでいいのかな?」
「本当に、間違ってないのかな?」
って。
誰かに言って欲しかったんだ。
「大丈夫だよ」
って。
それは、あたしが大きな1歩を踏み出したからだった。
もっと【自分】を大切にする教育がしたい。
そんな想いで、今週の授業は色んな挑戦をした。
今まで止まってたのに、急にギアをあげたんだ。
要するに緩急が激しすぎたんだよね。笑
それで、不安になったんだ。
「これで、本当に上手くいくのかな?」
って。
あたしは教育が変えたいわけじゃなくて
ただ「自分の感じたことを表現したい」それだけなんだ。
だから、【自分】を大切にする教育。
そこには、もちろん、あたし自身も含まれてる。
そう、ただ「自分を信じたい」だけ。
自分を信じるってことは、
「自分」で、「自分」を信じるってことなのに
いつも気が付けば、
「自分じゃない誰か」の承認を求めてた。
そうやって、誰かの承認を求めるから、「上手くやろう」としてしまう。
自分で自分を大切にしたいと思ったから
【自分】を大切にする教育、を伝えていこうと思ったのに
いつの間にか
誰かに自分を大切にしてもらうために
「上手くやろう」としてる自分がいた。
“「学びたければ勝手に学ぶものだと思うから、教えるとか、学ぶとか、そんなことはどうでもいいんじゃないのかな【まずは自分が幸せそうに生きている背中を見せること】」” https://t.co/aDOAdXf8e5
— marina (@marina1988s) 2017年5月12日
まさに今、欲しかった言葉。
誰かに承認して欲しくて、嫌われたくなくて、
上手くやろうとしてして、
どうすればいいかにばかり目が向いてしまって、苦しくなってた。
それが正しいとか、正しくないとかじゃなくて
あたしは、それを求めてないってこと。
誰かよりも、まずは自分で自分を認めたいってこと。
苦しさは、それを教えてくれてたのかな。
どうしたら上手くいくかとか、どうしたら傷付かないか
あたしが大切にしたいのは、そういうことじゃない。
ダメージを受けることだってあるだろう。
また、不安になることだってあるだろう。
でも、それでもいいじゃない。
それも含めて「自分を生きた証」なんだから。
自分が信じているものがあるなら、
それをどう上手く伝えるかよりも、
まずはそれを自分が楽しんで、幸せな姿を見せることから。
そんな姿こそ、人に伝わっていくものだから。
明日からまた「自分を生きる」ことを、楽しもうと思う。