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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

あたしは、"ここ"で 生きていく。

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それは、突然やってきた。

 

 

 

 

とある生徒に対して、感情的になってしまった、その日。

 

自分の感情に負けて
1人の生徒を傷付けてしまった、その日。

 

生徒に対してレッテルを貼り
生徒を「変えよう」として
先生という立場を利用して、力でねじ伏せようとしていた

そんな自分に気付いた、その日。

 

 

すぐに力を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる
心の底から大嫌いだったはずの
"教師"という生き物と同じことをしていた

 

そんな自分が

 

あまりにも情けなくなった、その日。

 

 

 

 

そしてそれは、全て

 

自分に自信がないからだと受け止めた、その日。

 

 

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「あたしは、"ここ"で 生きていくんだ」

 

 

 

そう、思った。

 

 

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それは、とても不思議な感覚で、

今までの「気付き」が「これがいいと思うから、こうしよう」と
言葉にすることで、自分に言い聞かせるような
どこか「決意」に近いものがあったとしたら、

 

今回の「気付き」は、

 

『初めから、こう決まっていたんだ』と

 

生き別れの母親に初めて会って
理屈もなにもないんだけれど
直観的に「この人が母親だ」とわかったような感じ。

いや、生き別れたことなんてないけどね。笑

 

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だから、理由は全くわからない。

 

ただ、準備が整ったのかな?なんて思う。

 

 

予兆は、ずっと前からあったのかもしれない。

 

 

約1年前、
コーチングやSNS起業に出逢って

「これで、変われるかもしれない」

 

そんな想いで、ただただひたすら
がむしゃらに突き進んだ。

 

ブログやFacebookを1日何投稿もしてみたり、
自撮りもたくさんあげたし、色んな人に会いにも行った。
ブログの読者やFacebookの友達をひたすら増やしたりもした。

セッションをやって、お金を頂くという経験もした。

 

 

そんな経験を通して
間違いなくあたしは変われたと思う。

 

 

けれど、いつからか、そうしたことに魅力を感じなくなって
少しずつ手離していった。

 

 

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去年、1年間が"非日常"だったとすれば、

今年は”日常”に、戻る年なのだと思う。

 

それは決して
非日常をなかったことにするというわけではなくて

1度、非日常を経験して、こうしてまた日常に戻ることで

今までとは違う日常を感じることができる。

 

あたしが生きる日常自体は、何も変わってないのだけれど

 

受け止められるもの
受け入れられるものが、増えた。

 

 

 

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そうは言ってもやっぱり、

 

「読者が増えた」

「売上が上がった」

「セミナーを開催する」

「出版することになりました」

 

そんな投稿を見れば、心はざわつく。人間だもの。

 

 

こうして言葉を綴るからには
たくさんの人に読んで欲しいし、

お金だって欲しいし、

仕事だって、自分の名前でできるようになりたいし、

本だって、出版したい。

 

でも、

 

今、生きていきたいのは、そんな"お外"の世界じゃない。

 

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今は”外”の世界より、"自分"の世界を、旅していたい。

 

 

「どんな自分も、自分なんだ」

 

 

ようやく、この世界の楽しみ方がわかったから
今はまだ、もう少し、この世界を旅してたいと思う。

 

そうやって、この世界を楽しんだら、

 

きっとまた、お外に出たくなるから。

 

そして、そのときは、

 

きっとお外は、もう”非日常”じゃなくて、
"日常"になってると思うから。 

 

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だから、まだもう少し、このままで。