あたしは、"ここ"で 生きていく。
それは、突然やってきた。
とある生徒に対して、感情的になってしまった、その日。
自分の感情に負けて
1人の生徒を傷付けてしまった、その日。
生徒に対してレッテルを貼り
生徒を「変えよう」として
先生という立場を利用して、力でねじ伏せようとしていた
そんな自分に気付いた、その日。
すぐに力を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる
心の底から大嫌いだったはずの
"教師"という生き物と同じことをしていた
そんな自分が
あまりにも情けなくなった、その日。
そしてそれは、全て
自分に自信がないからだと受け止めた、その日。
「あたしは、"ここ"で 生きていくんだ」
そう、思った。
それは、とても不思議な感覚で、
今までの「気付き」が「これがいいと思うから、こうしよう」と
言葉にすることで、自分に言い聞かせるような
どこか「決意」に近いものがあったとしたら、
今回の「気付き」は、
『初めから、こう決まっていたんだ』と
生き別れの母親に初めて会って
理屈もなにもないんだけれど
直観的に「この人が母親だ」とわかったような感じ。
いや、生き別れたことなんてないけどね。笑
だから、理由は全くわからない。
ただ、準備が整ったのかな?なんて思う。
そうやってその都度、自分の感情を味わい尽くすのは、結構しんどい。身体にも出る。けど、今年はそうやって『どんな自分も受け止めて生きる』年なのだと、なんの根拠もないけど、そう思う自分を信じてる。
— marina (@marina1988s) 2017年5月25日
予兆は、ずっと前からあったのかもしれない。
「これで、変われるかもしれない」
そんな想いで、ただただひたすら
がむしゃらに突き進んだ。
ブログやFacebookを1日何投稿もしてみたり、
自撮りもたくさんあげたし、色んな人に会いにも行った。
ブログの読者やFacebookの友達をひたすら増やしたりもした。
セッションをやって、お金を頂くという経験もした。
そんな経験を通して
間違いなくあたしは変われたと思う。
けれど、いつからか、そうしたことに魅力を感じなくなって
少しずつ手離していった。
去年、1年間が"非日常"だったとすれば、
今年は”日常”に、戻る年なのだと思う。
それは決して
非日常をなかったことにするというわけではなくて
1度、非日常を経験して、こうしてまた日常に戻ることで
今までとは違う日常を感じることができる。
あたしが生きる日常自体は、何も変わってないのだけれど
受け止められるもの
受け入れられるものが、増えた。
つい最近まで『自分を信じる』って、しっかりとした軸を持って「ずっと変わらないこと」だと思ってた。でも今は「どんな自分でも、自分なんだ。と、その瞬間、瞬間の自分を1つ1つ受け入れること」なのかなと思う。
— marina (@marina1988s) 2017年5月25日
そうは言ってもやっぱり、
「読者が増えた」
「売上が上がった」
「セミナーを開催する」
「出版することになりました」
そんな投稿を見れば、心はざわつく。人間だもの。
こうして言葉を綴るからには
たくさんの人に読んで欲しいし、
お金だって欲しいし、
仕事だって、自分の名前でできるようになりたいし、
本だって、出版したい。
でも、
今、生きていきたいのは、そんな"お外"の世界じゃない。
今は”外”の世界より、"自分"の世界を、旅していたい。
「どんな自分も、自分なんだ」
ようやく、この世界の楽しみ方がわかったから
今はまだ、もう少し、この世界を旅してたいと思う。
そうやって、この世界を楽しんだら、
きっとまた、お外に出たくなるから。
そして、そのときは、
きっとお外は、もう”非日常”じゃなくて、
"日常"になってると思うから。
だから、まだもう少し、このままで。