変わる必要なんてないのだ。
満月だったからなのか、それともただの暑さのせいか。
ひどく身体がだるくて、ただ身体を休ませ続けた1日だった。
そろそろ本格的に夏期講習のテキストを作らなければいけないし
以前だったら、こんな風に1日を過ごした日はかなりの自己嫌悪に陥って、せめて何か理由を探そうと必死になったりもした。
でも今は、「ああ、今日はそんな日なんだな」と素直に受け入れるようになった。
だって、あたしたちはロボットでもコンピュータでもない。
ふと原因不明の疲れを感じたり、落ち込みやすい日があることは
何もおかしいことではないのだから。
むしろ、人間らしくていいじゃん。なんて、思ってしまう。
ここまで書いてみて、随分と能天気な思考になったものだなー、なんて感心してしまった。
なったというより、元々そうだった。
そもそも、こんなのどかな場所で生まれ育って、
能天気じゃない人間ができるわけがない。
子ども頃のことはあんまり覚えてないのだけれど、
とりあえず自由奔放で、我が強くて、よく周りを困らせていたような気がとてもする。
そんな野生児だったはずなのだけれど、街に出て、たくさんの人と関わっていく中で、着飾ることを覚え、痛い目を見ながら人と合わせることを学び、常識というものを体感して、そうやって、縛られるものが少しずつ増えていった。
いや、自分で増やしていったと言ったほうが正確かもしれない。
そんな日々は苦しかったけれど、否定する気はない。
間違いないくあたしは、ただがむしゃらに生きてた。それだけだった。
だけどあたしは、そんな自分に嫌気がさし、「変わろう」と必死になっていた。
変わる必要なんてないのだ。
飾ることや、空気を読むこと、常識や他人の目
そんなものに縛られて生きている自分が苦しくて、嫌になって、
「自分らしさ」だとか「自分を生きる」とか、そういう生き方をずっと追い求めてきた。
あたしにはそれがないから、
手に入れるために「変わらなければならない」ずっとそう思ってきた。
でも、今はそうじゃないと思っている。
「自分らしさ」は、誰しも持っているし、「自分を生きる」ことだって、誰でもできることなのだと思う。
じゃあなぜ今、あたしを含め多くの人がそれを求め、そんな生き方ができないのか。
答えは意外と簡単で、みんな「変わろう」としすぎなんだと思う。
本当は変わる必要なんてなくて、変わらないほうがずっと幸せに生きていける。
それなのに変わろうとしてしまうのは、「変わらなくていい」ことを誰も教えてくれないから。
「このままでいい」と自分で、自分を認められないから。
変わらないと、自分を認められないと思い込んでいるからなのだと思う。
「自分を認める」ということ。
「変わらなきゃ」と思っていた頃、いろんな人に会ったし、いろんな人のブログや本を読んだ。もちろんそのたびに、色んな気付きをもらってきたのだけれど、
今まで出会ったどの言葉よりも、先日、ある人が言ったこの言葉に衝撃が走った。
今までずっと自分が抱えてた矛盾というか、もどかしさが一瞬にして消えたし、心から「素敵な人だな」と思った。本当に輝いて見えた。
変わる必要なんてない。
あたしたちが自分らしく、幸せに生きていくために必要なものは、
ただありのままの自分を認める「変わらない覚悟」なのだと思う。
そろそろ「変わらない」覚悟を、しようと思う。
ばっさり髪を切る時は「変わる」ことを選んで、髪を伸ばす時は「変わらない」ことを選んできた。
— marina (@marina1988s) 2017年6月22日
ここ2年「変わる」ことを何度も選び、「変わる」覚悟を何度もしては、色んなことに挑戦してきた。
そして今、そろそろ「変わらない」覚悟をするときのような気がしてる。髪も、あたしの生き方も。