「証」なんて、なんの意味もない。
昔、初めてペアのネックレスを貰ったとき、たまらなく嬉しかった。
まだお互い学生だったから高いものではなくて
お風呂に入るとき以外はずっと身につけていたから
少しずつ少しずつ、塗料がはがれていってしまったけれど、
なんだかそれさえも、嬉しかった。
そんな淡い恋をしていたあの頃から、月日は流れ、
行方のわからなくなったネックレスとともに
そんな気持ちも、どこかに置いてきてしまったのかもしれない。
正直、過去の恋愛話は好きじゃない。
相手を責めるつもりはないし、あの頃の自分を否定する気もないけれど、
少なくとも、あの頃のあたしは、相手も自分も大切にしない恋愛ばかりしていた。
今じゃ考えられないけれど、
四六時中、相手のことを考えていたし、相手にも同じでいて欲しかった。
束縛こそしなかったけれど、されるのは嬉しかったし
求められることが、愛されている証だと思い込んでいた時期もあった。
相手のことも、自分のことも、見ようとしていなかった。
そんなどうしようもない恋愛ばかりして、自分で自分を傷付けてきた。
だからいつも不安で、人一倍「証」を、求めてしまっていたのかもしれない。
昔から「グレーな関係」が苦手で、
友達か恋人か、好きだと言われればなぜ、どこが好きなのか
そんなことをいつもはっきりさせたがっていた。
もちろんそれは、恋愛に限ったことではなくて
中学の頃、クラスの女子の間で孤立していたあたしに
何の迷いもなく差し伸べてくれた友人の手さえも、握ることができなかった。
そうやってあたしはいつも
相手の気持ちも、自分が愛されていることも
何ひとつ信じられなくて、疑って、
常に何か「証」となるものを求めていたんだと思う。
きっとあの時もらったネックレスは
そんなあたしにとって、心地よい鎖であり、
自分が愛されていると信じられる唯一の「証」だったのかもしれない。
そんな歪んだ愛しか知らなかったあたしも
ようやく、少しずつ「証のない愛」がわかるようになった。
それはとても不思議な感覚で
初めは2人の関係に
はっきりとした「名前」を欲しがって、困らせてしまった恋。
2人の関係に
はっきりとした「約束」を欲しがって、1度終わってしまった恋。
そして終わったその瞬間に
自分がどれだけ愛されていたのかを
そして、自分がどれだけ愛していたのかを
思い知らされた恋。
そのとき、やっとわかったんだ。
あんなに欲しかった「名前」にも「約束」にも
そして「証」にも、なんの意味もないということ。
私はあなたが好き。
ただそれだけで十分なんだということ。
そう胸を張って言える自分でいようと、思わせてくれた恋ができた。
昔のような恋をもう繰り返したくはないけど
全部、必要だったと思える。
恋愛なんて必要ないと思った時期もあったけど
きっとこうやって、理想の自分になっていく、そんな気がしてる。