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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

ファインダー越しの私の世界

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自分が人よりも多感なのか、それともこれが普通なのか、
こんな話を誰かとしたことがないからわからないけれど

私は時々、感情の整理が追い付かなくなることがある。

それはいつも定期的にやってくるのだけれど
なんだかまるで、生理が2回来ているようで
つい最近まではとにかく、この時期が嫌で嫌で仕方なかった。


だけど今は、そんなごちゃごちゃになってしまった
目に見えない自分の感情を「言葉」という形に変え、
そして、その言葉に、ノートという「居場所」を与えてやることで

頭の中にかかった靄が少しずつ晴れていく
そんな瞬間がとても好きだったりする。


その度に、自分が生まれ変わっているような気がするからだ。

 

https://www.instagram.com/p/BaipG4bhDVm/


たぶん、もともと、自分の手で
自分の感情に形を与えるということが、好きなのだと思う。

昔から文章を書いたりすることが好きだったし、
自分と向き合うようになってからは特にこう思うことが増えた。


表現者、アーティストでありたい」と。


といっても、初めはそんな自分の想いが不可解で仕方なかった。

学校での美術の成績はいつも悪かったし、
美術品の良さもいまいちわからないし、
音楽は好きだけれど、歌手になりたいわけでもない。

もちろん文章を書くのは好きだけれど、
小説家になりたいわけでも、ブロガーと呼ばれる人たちのような
お役立ちブログを書いていきたいわけでもない。


どうやら、私にとっての表現者、アーティストとは、
世間一般のそれとは少し位置づけが違うようだ。

「自分の感じたものを、形にしたい」

そんな想いから、私はその言葉を選んでいた。

 

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つい先日、それに気が付いたと同時に、頭に浮かんできた言葉がある。


「ファインダー越しの私の世界」という言葉だ。

たぶん、TwitterInstagramで見たものが
たまたま印象に残っていたのだろうけど
それがなんだか妙にその時の自分の想いを表していた。

 

「自分というファインダー越しに見える世界を、形にしていきたい」


あんなに靄だらけで、何も見えなかったはずの頭の中に
その瞬間、一筋の光が差し込むのを感じた。

投げ出さずに向き合ったからこそ得られる、全てが繋がる感覚。

もしかしたら、他のどんな瞬間よりも
この感覚を味わっているときが私にとって、

1番幸せな瞬間なのかもしれない。

だとすれば、つくづく変態だと思う。

 

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表現者、アーティストでありたいという想いに
気が付いたのは、もうずっと昔のこと。

その想いを満たすためにブログを書き始めてみるのだけれど
なぜかいつも、気が付いたときには
自分が何を書きたいのかわからなり、書けなくなる。

そしてまた、想いに突き動かされ書き始めては、書けなくなる。

そんなことをずっと、繰り返してきた。


ところで、学生時代のアルバイトを含めれば、
私が、塾講師として教育の世界に関わって、もう10年近くになる。
自分で選んだ場所とはいえ、ずっと疑問だった。

さほど人に興味がなく、1人でいることを好むにも関わらず、
ずっと離れることができずにいたこの世界。


そんな矛盾だらけだった自分がまた1つ、繋がった。

 

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私は、私というファインダー越しに見ているこの世界を
「言葉」や「授業」という形で、表現していきたい。

そして、そうやって表現することで、
そこに1人でも多くの人の「居場所」をつくりたい。

私の表現した言葉や授業に共感したり、そこから気付きを得たり、
時には反感や苛立ちを覚えるかもしれない。

それでも、その瞬間、私のつくった"世界"がその人の居場所になる。

そして、そうやってそこが誰かの居場所になることで、
それは、私の「居場所」にもなる。


物理的な制約も、時間的な制約も、何一つない。
自分が好きなときに、好きなだけいられる。

そんな「目には見えない居場所」というものを、
私はずっと、求めていた。

1人が好きで、独りが嫌いな私に、ぴったりな居場所を。


きっとそれが、
私が表現者でありたいと願う1番の理由なのだと思う。

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だからきっとこれからも、

自分というファインダー越しに見える世界を
そんな自分という"世界"を愛し、
そこに見知らぬ誰かと自分の「居場所」をつくっていくために、

私は、表現し続けてくのだと思う。
表現者、アーティストで、あり続けるのだと思う。