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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

自分で選んだ孤独

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雨上がりの少しひんやりする帰り道。


仕事でミスというか、久々に保護者からのクレーム。
そもそも、クレームをもらって嬉しい人なんていないだろうけれど、
マニュアルもなく、自由度の高い仕事でのクレームは一段と堪える。


塾講師という仕事は、まさにそんな仕事。

授業という枠を与えられるくらいで、後はほぼ自分次第。
方針も、授業内容も、教材も、自分で決めることができる。

自分の思うように、自分の大切にしたいことを伝えていける。

だからこそ、同じ教育という仕事でも、
学校の先生ではなく、この仕事を選んだのだけれど、

当然、メリットしかないものなんて、この世にあるわけもなく、
デメリットだって存在する。


私にとっては、その1つが「クレーム」だ。

本当に自分のやりたいように、
思い切った授業ができるようになったのは
ここ数年だけれども、

そうなる前から、自分の授業へのクレームがあった日は、
やはり、その度に、ひどく落ち込んでいた。

考えすぎなのはわかっていても、それでもやっぱり、
こうして自分の価値観を全面に出したものへのクレームは、
自分自身の存在への否定と感じてしまう。


「あなたは、ダメだ」


そう、烙印を押されたような気がして、
一気に自己嫌悪という真っ暗な世界へ引きずり込まれそうになる。

 

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色んな価値観の人がいるのだから、
全ての人に受け入れられるのは不可能だと頭ではわかっていても、

それでもやっぱり、批判やクレームは辛い。

この先、どれだけ自分に自信を持てるようになったとしても、
そんな予定もないけれど、
もしも、カリスマ講師と呼ばれるような存在になったとしても、

やっぱり、辛いものだと思う。


けど、それでいいのだとも思う。

今の私はまだ、「批判のおかげで気付けることがある」なんて台詞を
一点の曇りもなくまっすぐな瞳で言うことはできないけれど

この心臓をえぐられるような痛みを
全く感じられなくなったら、終わりのような気がする。


こういう痛みもきっと、必要なものなんだと思う。

 

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そうは言っても、まだ瞬時に感情処理ができない私はやっぱり、
ひとまず、最悪な気分へと堕ちていく。

「あなたは、ダメだ」


誰に言われたわけでもないその言葉が
しばらく、頭の中で繰り返される。



仕事中は、必要以上に会話をしたいとは思わないからと
自分から距離をとっている癖に、
楽しそうに話をしている他の講師たちと同じ空間にいると
こんな日はいつもより余計に、孤独を感じてしまう。

耳に入ってくる笑い声が
烙印を押された自分を蔑んでいるような気がして
足早に職場を出た。

それでも、
自己嫌悪という真っ暗な世界にもう完全に堕ちつつある私は
見ず知らずの人たちの笑い声さえ、自分を蔑んでいるように感じてしまう。

そんな笑い声に耳を塞ぎながら速足で家に向かっていても
仕事とは何の関係もないのに、これからのことやお金、恋愛、
自分に関するすべてのことが上手くいってないし、いかないと思い始めてしまう。


イヤフォンから流れる音楽が
真っ暗な闇へと堕ちていかないように、
私の精神を保つための、唯一のよりどころだ。

 

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イヤフォンから耳に流れてくる心地よいメロディーと
そこにのせられた言葉が、冷え切った心にゆっくりと沁みていく。

そうして、誰かのつくった言葉に、私の心の居場所が生まれていく。


そうやって、少しひんやりとした帰り道を
ゆっくり歩きながら、少しずつ、平静を取り戻していく。

真っ暗だった視界が、少しずつ、明るくなる。



人と違う道。

それを選んだのは、まぎれもない自分だし、
そうやって孤独を選んだのも、自分だ。

無理に孤独であろうとする必要はないけれど、
かといって孤独を選んだ自分を否定する必要もない。

それに、

例えどんなに孤独だと思っても、
自分が思っているほど、孤独じゃない。

そうやって孤独を感じさせてくれる人がいたり、
同じような孤独を抱えている人がいたり。


もし本当に「独り」なら、私たちは生きてはいけないから。

 

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自分の選んだ道さえ信じることができず
何もかも、悪いことのように思えてしまうのは、

心が疲れている証。


そんな日は、少しゆっくり休めばいい。

それを繰り返しながら、

私たちは、自分で選んだ道を
胸を張って歩いていけるようになるのだから。