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日常で感じたことを 感じたままに綴るブログ。名前はまだない。

キミの「一部」に なりたい。

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なんだか、まるで恋人への愛の言葉ようなタイトルだけれど

 

残念ながらこれは、恋人への愛ではなく、

 

 

 

"生徒たち"への愛の言葉。

 

 

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昨日は、去年から仕事として、やらせてもらっている
高3生対象のセッションの日だった。

 

勉強をするということも、
塾に行くことも、
大学に行くことも、

 

何もかもが、当たり前になってしまった今の子たち。

 

彼らにとって
選ぶことのない世界も当たり前。

 

授業は受けなきゃいけないし
校則は守らなきゃいけない。

 

塾にだって、大学にだって、「行かなきゃいけない」

 

親の言うことや先生の言うことは、聴かなきゃいけない。
でも、本当は聴きたくないから、

聴いている"振り"をする。

 

あたしたちゆとり世代は、さとり世代と呼ばれたりするけど

 

今の高校生たちは、なんというか、
その斜め上を行っているような気がする。

 

さとるとかどうこうの前に
彼らの生きる現代社会は、選ぶことが多すぎるけれど
その選ぶものは誰かが与えてくれるもんだから

自分の意志が抜け落ちているか
他人の意志を自分の意志だと信じ込んでいることが多い。

 

 

「ああ、受験?しなきゃいけないものなんでしょ?」

 

 

どこか常に諦めている。そんな印象をよく受ける。

 

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とはいえ、とても繊細で、
本当はたくさん迷っていて、考えようとしている。

 

けれど、迷ったり、考える時間を与えてもらえない。

 

「志望校が決まっていない」

「なりたい職業がない」

 

そんなことを口にしようものなら
四方八方から、大人のお節介や押し売りが飛んでくる、、らしい。

 

「まだ決めてないのか?」

「ここ、なんてどうだ?」

「今の時代、資格を持っておいたほうがいい」

 

先生や親の言葉として
生徒たちから聞くこんな言葉たちは
何も間違ってないと思うし

生徒たちのことを想ってなのかもしれない。

 

 

いや、でもね。

 

 

…まだ、6月ですけど?

 

高3になって、2ヵ月も経ってませんけど?

 

 

そして何より、

 

答えを急かして

迷い、考える時間を

 

 

自分の人生を生きようとする機会

 

奪うな。

 

 

もう少し、落ち着け。

 

 

生徒たちから話を聴くたび、そう思う。
大人がそんなに焦るから、子どもたちだって焦るんだ。

 

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迷えばいい。

悩めばいい。

考えればいい。

 

 

そうやって、自分で「答え」を選べばいい。

 

 

去年は、あたしが少し焦ってしまったこともあって
今年は、このスタンスを貫いている。

 

約1時間、たくさん話をするけれど
そこで「答え」を出さないことにしてる。

 

それでいいのかなんて、わからないけれど
あたしがそうやって焦ったら、生徒たちに伝わってしまうし

何より、今こうしてやってることに
意味があると信じようと言い聞かせていた昨日。 

 

 

1人の生徒が、あたしに教えてくれた。

 

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「迷えばいい」とは言いつつも、

その生徒は、あまりに盛大に迷っていたので(笑)
1ヶ月前に話を聴いたばかりだけれどまた、話を聴く時間を取った。

 

正直、前回の迷い具合を考えたら
ほとんど進展はしていないだろうと思ってた。

おそらく、長期戦になるだろうなと。

 

けれど、その生徒の口から出てきた言葉は、

 

 

 

「先生、やりたいこと、見つかったよ」

 

 

 

あたしに、さらに衝撃を与えたのは、その後の一言。

 

 

「前にね、先生がやってくれたみたいに、紙に書き出してみたの」

 

 

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確かに、前回のセッションのとき
色んなことを考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだったから

今感じることを付箋に書き出してもらって
それをグルーピングしながら、一緒に整理をしていった。

時間にして、20分程度。

 

やり方も、意図も、そこまで詳しく説明なんてしてない。

 

けど、前のセッションでやってみて
これだと思ったから、ひたすら自分でやってみた、と。

 

つい1ヶ月前まで

多すぎる選択肢と現実に揉まれ
自分の考えがわからなくなってた彼女は、 

 

自分が好きなこと、やってみたいと思うこと
そして、どんな人の役に立ちたいのか

 

そこまで、自分の考えを整理してきていた。

 

まだ自分の想いを語ることは、少し恥ずかしそうだけれど
そこには、間違いなく

 

前回と違う彼女の姿があった。

 

 

はにかみながら想いを語る彼女を見ながら、

あたしは、気付いた。

 

彼女がやりたいことを見つけたことは、もちろん嬉しい。

 

 

けど、それ以上に

 


その「きっかけ」になれたことが、あたしは、嬉しいのだと。

 

 

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教育とは、「正解を教える」こと。

正解を教えるため、「絶対的な正解を持っていなければならない」と。

 

あたしの頭の中には、いつの間にかそんな想いがあった。

 

だから

 

教育者というものは
間違ってはいけないし、

生徒が間違わないように
日々、最善の努力を尽くすべきだと。

 

 

常に、生徒たちの「答え」であらなければいけないと。

 

 

その想いがいつの間にか
目の前の1人の人間を「生徒」としか見られなくなり
その人間を「変えよう」としてしまう。

正解である「自分」のように、変えようとしてしまうんだ。

まるでクローンをつくるかのように。

 

そうして、アメとムチを使い分けながら、
自分の言うことをきかせようとしてしまってきた。

 

でも、本当はいつも、そんな自分に違和感を覚えていた。

 

 

 

 

「クローンなんてつくっても、何の意味もない」

 

 

 

 

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でも、それ以外の方法がわからなくて、
ずっと、もがいてきたけれど

 

自分で考え、1つの答えを見つけ、はにかむ生徒の顔

そんな彼女の顔を見ながら感じた感情

 

ようやく、わかった。

 

 

 

あたしは、キミの「一部」になりたい。

 

 

 

「答え」になんて、なりたくない。

「答え」を見つけるための、「きっかけ」になりたい。

 

 

あたしがやりたい理想の教育は、

 

あたしの中に「あたしの答え」がちゃんとあって、

それが絶対的な正解だと押し付けるのではなく

「こんなやり方、考え方もあるんだよ」と

ただ、見せ続けるだけ。

 

伝え続けるだけ。

 

その中のどれをやるか、やらないかは生徒たち次第で
その決定にどうこう介入はしない。

ただ、見守り、受け止め、また自分の中の正解を伝えていく。

 

返事が来るかどうかわかならいラブレターを
ただただ、書き続けるだけ。

 

それで、いい。

ううん、それが、いい。

 

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「答え」なんてものは、1人1人違って当たり前。 

 

もちろん

自分の「答え」という想いに自信を持つことは大切だけれど
それを人に押し付けてしまうのは、悲しいなと思う。

 

だから、あたしは「答え」や「全て」になりたいとは思わない。

 

 

キミの「一部」でいい。

 

あたしを通して、何かに気付いて、
自分の「答え」を見つけて、行動を起こしてほしい。

 

それが何よりも嬉しいのだ。

 

そして、

そうやって進んでいく後姿こそが
あたしが送り続けたラブレターへの最高の返事だと思う。

 

 

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行け、自分の道を。

 

 

あたしは、"ここ"で 生きていく。

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それは、突然やってきた。

 

 

 

 

とある生徒に対して、感情的になってしまった、その日。

 

自分の感情に負けて
1人の生徒を傷付けてしまった、その日。

 

生徒に対してレッテルを貼り
生徒を「変えよう」として
先生という立場を利用して、力でねじ伏せようとしていた

そんな自分に気付いた、その日。

 

 

すぐに力を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる
心の底から大嫌いだったはずの
"教師"という生き物と同じことをしていた

 

そんな自分が

 

あまりにも情けなくなった、その日。

 

 

 

 

そしてそれは、全て

 

自分に自信がないからだと受け止めた、その日。

 

 

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「あたしは、"ここ"で 生きていくんだ」

 

 

 

そう、思った。

 

 

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それは、とても不思議な感覚で、

今までの「気付き」が「これがいいと思うから、こうしよう」と
言葉にすることで、自分に言い聞かせるような
どこか「決意」に近いものがあったとしたら、

 

今回の「気付き」は、

 

『初めから、こう決まっていたんだ』と

 

生き別れの母親に初めて会って
理屈もなにもないんだけれど
直観的に「この人が母親だ」とわかったような感じ。

いや、生き別れたことなんてないけどね。笑

 

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だから、理由は全くわからない。

 

ただ、準備が整ったのかな?なんて思う。

 

 

予兆は、ずっと前からあったのかもしれない。

 

 

約1年前、
コーチングやSNS起業に出逢って

「これで、変われるかもしれない」

 

そんな想いで、ただただひたすら
がむしゃらに突き進んだ。

 

ブログやFacebookを1日何投稿もしてみたり、
自撮りもたくさんあげたし、色んな人に会いにも行った。
ブログの読者やFacebookの友達をひたすら増やしたりもした。

セッションをやって、お金を頂くという経験もした。

 

 

そんな経験を通して
間違いなくあたしは変われたと思う。

 

 

けれど、いつからか、そうしたことに魅力を感じなくなって
少しずつ手離していった。

 

 

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去年、1年間が"非日常"だったとすれば、

今年は”日常”に、戻る年なのだと思う。

 

それは決して
非日常をなかったことにするというわけではなくて

1度、非日常を経験して、こうしてまた日常に戻ることで

今までとは違う日常を感じることができる。

 

あたしが生きる日常自体は、何も変わってないのだけれど

 

受け止められるもの
受け入れられるものが、増えた。

 

 

 

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そうは言ってもやっぱり、

 

「読者が増えた」

「売上が上がった」

「セミナーを開催する」

「出版することになりました」

 

そんな投稿を見れば、心はざわつく。人間だもの。

 

 

こうして言葉を綴るからには
たくさんの人に読んで欲しいし、

お金だって欲しいし、

仕事だって、自分の名前でできるようになりたいし、

本だって、出版したい。

 

でも、

 

今、生きていきたいのは、そんな"お外"の世界じゃない。

 

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今は”外”の世界より、"自分"の世界を、旅していたい。

 

 

「どんな自分も、自分なんだ」

 

 

ようやく、この世界の楽しみ方がわかったから
今はまだ、もう少し、この世界を旅してたいと思う。

 

そうやって、この世界を楽しんだら、

 

きっとまた、お外に出たくなるから。

 

そして、そのときは、

 

きっとお外は、もう”非日常”じゃなくて、
"日常"になってると思うから。 

 

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だから、まだもう少し、このままで。

 

 

柔らかな芯をもつ。

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「信念」、「理想」、「自分軸」

そんな言葉から、あなたは何を想像するだろう?

  

あたしはずっと、「こうありたい」という
未来予想図や理想を持った人は素敵だと思って

そんな"芯のある人"になりたいと、思ってた。

 

 

"芯のある人"とは

 

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 (あたしの中の"芯のある人"のイメージは、こんな感じだった)

 

「ブレない」

「媚びたりしない」

「強くて、カッコいい」

 

芯がある人=そんなイメージを持っていて

まずは形から!と
キツめのメイクや振る舞いをしてみた。

そして次に内面と、自分の軸や理想を必死で探した。

 

もちろん、自分の軸や理想が言葉になった瞬間は嬉しかったし

 

「これだ!あたしはこうやって生きていけばいいんだ!」

心から、そう思った。


そうやって自分の世界に潜って見つけた
自分軸という名の未来や理想。

 

けれど、1歩、現実の世界に踏み出してみると

 

そう、上手くはいかなかった・・・。

そうあろうとすればするほど、苦しくなっていく。

 

 

「未来」や「理想」のワナ

 

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「なんで、うまくいかないんだろう?」

 

あれほど探し求めていた
未来や理想が見つかったのに、思うように生きられない。

そんな現実に直面するたびに


自分の努力が足りないとか
自分にはやっぱり無理なのかもしれない

 

そうやって、自分を責めるようになった。

 

そして、あるとき気付いてしまった・・・。

 

 

 

「こうありたい」と思えば思うほど、

「こうでないといけない」そんな風に思うようになって

 

自分の思い描いた未来や理想に縛られていた

ということに。

 

そして、その事実に気付いてしまった瞬間

どうしようもないほどの絶望を感じた。

 

だって、

 

自分軸や未来や理想が見つかって
そうやって生きていけば、変われる。

自分らしく、生きられる。

幸せになれる。

 

そう、信じていたから。

 

 

絶望の中で、気が付いたこと

 

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ブレない芯のある人は、カッコいいと思ってきたし
自分もそんな風に生きていきたいと思った。

 

そうすれば、周りの反応なんて気にせず
堂々と、自分のまま、生きていけると、信じてた。

 

ブレちゃいけない。

周りに左右されちゃいけない。

 

そうやって、いつの間にか

「”芯”とは、硬くなければならない」

そう思い込んでいた。

 

 

そうか、芯を硬くしようとして
誰かにその芯を折られてしまうのが怖くて

あたし自身が頑なになっていたから、苦しかったんだ。

 

 

 

 

"芯"は、硬くなくても、いい

 

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なにかの本で

「欲しいものへの想いが強すぎると、
 それはないことを強調してしまって逆効果になる」

そんなことを読んだのを、思い出した。

 

 

「こうありたい」

「こんなことがしたい」

「こんな風に生きたい」

 

そうやって、未来や理想を描く時間は、楽しいし、必要だと思う。

 

でも、あまりにもそこに執着しすぎると
未来や理想は、自分を縛り付ける最強で最悪の鎖になってしまう。

だって、まさか誰もそんな幸せの象徴みたいなものが、
悪さをするなんて予想もしないから。

 

だからもし、


未来や理想に縛られているのに気付いたら
未来や理想のために生きてるはずなのに、苦しいと感じたら、


思い切って、破り捨ててしまえばいいと思う。

 

どんなにワクワクする未来の理想の自分でも、勝てないものがある。

 

 

それは、"今この瞬間の自分"。

 

 

どんなに未来や理想を描いていても
今この瞬間、目の前で起きていること、感じていることから

目を背けることはできない。

 

できなくはないけど、
目を背けようとするから、苦しくなるんだと思う。

 

無理に未来や理想の自分になろうとする必要なんてない。
未来や理想を描こうとする必要なんてない。

 

あたしは、

今この瞬間の自分を
1つ1つ積み重ねたものが、

 

ホンモノの未来であり、理想の自分

 

なんじゃないかなと思う。

 

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未来や理想に縛られず、

今この瞬間を大切に。

 

そうやって、柔らかな芯を、育てていく。

 

認めたくない感情にほど、そっと寄り添う。

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昨日の代表*1からの電話が気付かせてくれたこと。

 

基本的に、代表や他の校舎からの電話は、
非常勤のあたしが出たところで2度手間になるだけだし
最近は、新入社員さんたちの電話対応の練習もあるしで、


他に人がいる場合は、あんまり電話をとることもなくなった。

 

 

 

でも昨日は、たまたまみんな授業に入っていたので

「あ、代表だ。めずらしい」

それくらいの軽い気持ちで電話に出た。

 

 

 

『お疲れ様です。島津です』

 

初っ端、声がかすれて、上手くでなかった。

 

『・・・』

 

反応がなかったので、聞こえなかったのかな?と思い、

『お疲れ様です?』

 

と、少し探る感じで、聞き返した。
そしたら返事があり、その後、すぐに上司に引き継いだ。

 

たった、それだけのこと。
ほんの一瞬、電話に出ただけだった。

 

 

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それから上司が電話を済ませて、言いにくそうに一言。

 

「代表からの電話だけは、明るく出よう」

 

そう言えば、何度か聞いたことがあった。
代表は、電話や挨拶にすごく厳しいって。

 

あたしとしては、普通に明るく出たつもりだった。
最初、かすれてたから、聞こえてなかったのかもしれないし
聞こえてたけど、あまりいい印象じゃなかったのかもしれないけど

そんなことで、言い訳するのもめんどくさかったし
いずれにせよ、あたしの電話応対で
上司が注意を受けてしまったんだと思ったので、

 

「すみません。何か言われたんですか?」

 

気を付けなきゃなと、思って謝った。

 

「うん。まあ、”あれじゃ、期待できんな”って・・・」

 

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・・・はぁ?

 

たった 電話1本で、
なんでそんなこと決められなあかんねん。

 

沸々と色んなどす黒い感情が生まれるのを感じたけれど
まだ授業も残っていたので、必死に押し殺した。

 

 

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どす黒い感情はずっと渦巻いて、家に帰って一気に吐き出した。

 

「明るい」=「有能」ってわけちゃうやん。

てか、よく知りもせんのに、決めつけんな。

頭固すぎやろ。
古くさい考え。
めんどくさすぎるわ。

正社員になんて、絶対なりたないわ。

ボケ。

 

・・失礼しました。笑

 

でも、そうやって吐き出して、
どす黒い感情に居場所を与えることで、

今までやったら無理に押し殺してた感情を
素直に受け入れることができるようになってきている。

 

 

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そうやって、自分の中に生まれた
全ての感情をちゃんと受け止めることで、気付けたこと。

 

昔から自分を認めてくれる人がごく一部しかいなくて
それがずっと自分の引け目だったこと。

何より、素直に悔しかった。

 

そうやって、1つずつ受け止めていくことで、

 

正しいとか、正しくないとかは関係なくて
代表には、代表の大切にしているものがある。
その1つが、あいさつであり、電話応対の明るさ。

 

だということも、素直に受け止められた。

 

だってそれは、あたしにも大切にしているものがあるのと同じだから。

 

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同じ「元気よく電話に出る」という行動を選ぶとしても

 

1:めんどくさいから、そうしてやってやる

2:権力的に、そうやらされている

3:納得して、自分でそうやる

 

その行動の裏にどんな気持ちがあるかで
自分の心地よさは全然、違ってくると思う。

 

だとしたら、あたしは

相手も、自分も、大切にする行動をしていきたいな。

 

 

あ、でも、無理やり明るくは性に合わないから、適度にだけどね♡

 

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最後に、こうしてどす黒い感情を受け止めようと思わせてくれた
坂爪さんのツイートをご紹介。

 

 

孤独も、寂しさも、悲しみも、怒りも
無理に昇華したり、押し殺したりする必要なんてなくて

そっと寄り添って、居場所を与えてあげればいいのだと思う。

 

そうすることで少なくとも
自分の心はとっても穏やかになるから。

それで、十分だなーとあたしは思うのです。

*1:うちの塾はフランチャイズ経営なので、本社があってほぼ全国に校舎がある。なので、代表とはそれらすべてのトップ。ようするに1番、偉い人

今も、ちゃんと、幸せ。

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よく「大切なものはもうすでにある」そんな言葉を聞くけれど
今日はまさに、それを実感した1日だった。

 

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ふと、Facebookにこんなことを書いた。

 

 

 【たくさんの反応が「羨ましい」と思った】
 
少しずつブログや発信を再開してみて
やっぱり自分の想いを
言葉や形にすることが好きだと思ったし
そうすることで改めて、自分の想いを感じることができる。 
 

 
けど、やっぱり、「いいねの数やコメントの数」は気になるもので。。
 
昨日も、母の日にちなんだブログを書いたんだけど
友達の投稿にはめっちゃコメントあって・・
(あたしもコメントしたから、コメントが入る度に、通知が届くんだよね。笑)
 
 
正直、「羨ましい」って、思った。
 
 
もちろん、そんな風に反応してもらえるのは
彼女の人柄であり、努力の賜物。
 
わかってる、わかってるけど、、
一瞬、「あたしはダメなんだ。努力が足りないんだ」
そうやって自分を責めそうになった。
 
でも、違うんだよね。
 
 
そこにあるのは、
 
 
あたしの「反応してもらいたい」って気持ちと
彼女の「人柄と努力」
 
 
ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
 

 
それでいいじゃないか。
 
羨ましいなら、その気持ちを認めて、やれることやればいいし、
彼女の人柄と努力を心から認めればいいし、
 
自分を責める必要なんてないんだよね。
 
って、認めたらスッキリした。
 
ただ、あたしの場合は
「反応してもらう」にフォーカスしちゃうと
自分の感じたことを後回しにしちゃうから
あたしは、あたしのペースで(*´▽`*)
 

 
こうして表現できるようになった。
次は、たくさんの人に届きますように・・♡
ぼちぼち、いきます(*'ω'*)

 

やっぱりこうして発信をするからには
1人でも多くの人に届けたいって思うわけで。

 

もちろん、この投稿にも
決してたくさんのいいねがあったわけじゃない。
そもそも、広める工夫や努力なんてしてないもん。当たり前っちゃ、当たり前)

 

でもね、ふと気付いたんだ。

 

 

あたしは、発信を何度もやめたりしてるのに、
それでもコメントやいいね!をくれる人がいる。

 

しかも、それは大好きな人たちだった。

 

ちゃんと、届いてた。
ちゃんと、受けとってもらってた。

 

なんだ、今もちゃんと幸せじゃないか。

 

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あたしたちは、

目の前にある幸せを
つい、当たり前だと思ってしまって
見過ごしてしまうこともある。

 

お金がない。友達がいない。恋人がいない。
才能がない。誰もわかってくれない。

 

そんな風に
ないものばかり探してしまって、悲しくなることもある。

 

 

でもね、今"も"ちゃんと"幸せ"なんだよ。

 

 

そして、これからも。

 

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たぶん、人間ってどん欲な生き物だから、
きっと心から満足することってないんじゃないかなと思う。
(満足したときって、成長をやめたり、諦めたときだと思う)
 

少なくともあたしは、1つ手に入れたら、次が欲しくなる。
1つできるようになったら、次のことにチャレンジしたくなる。

 

そうやって、人は成長して、
どんどん素敵になっていくんだと思う。

 

どん欲だからこそ
つい、あるものよりも、ないものを探してしまって
羨ましくなったり、嫉妬したりする。

 

それで、いいんじゃないかな。

 

ただ、忘れないでほしいのは
今も決して不幸じゃないってこと。

 

だって、振り返ってみれば、後ろにはたくさんのものが「ある」


そして、少し遠くを見すぎてた目を、
戻してあげれば、そこにもたくさんのものが「ある」 から。

 

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誰だって、

 

今も

 

ちゃんと

 

幸せ。

  

「生まれてきてくれて、ありがとう」

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今日は、母の日。

ささやかだけれど、手紙を添えて、プレゼントを贈った。

 

そしたら、2回に分けて、母からLINEが届いた。

 

1通目は、プレゼントに対するお礼。
それから少しして、2通目は手紙への返事。

 

この時間差は、きっと母のことだから、

届いた瞬間にLINEをくれて
それからゆっくりと中身を整理していて、手紙に気付いて
慌てて、またLINEをくれたんだろうな。

…なんて、想像してたら、自然と笑みがこぼれた。

 

あたしと同じで不器用だけれど
とっても純粋で、可愛い人だから。

 

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そんな母からの2通目のLINEにあった

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 

という言葉。
この言葉自体、とっても嬉しいのだけれど、

それ以上に、
そんな言葉を交わせるようになったことが
たまらなく嬉しかった。

  

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母の日、父の日、それぞれの誕生日。
今でさえ、 当たり前にお祝いをしているけど
こんな風に祝うようになったのは、最近のことだったりする。

 

あたしは、ずっと【家族】と距離を置いてきた。

 

正直、厳しくて、感情の起伏が激しい
母のことが嫌いだったし、顔を合わせばいつもケンカをしていた。
酷い言葉をぶつけて、傷付けてしまったことだってある。

 

父は、母とは正反対で、
物静かで、いまだに何を考えているのかわからない人。笑
だから、怒られることもないから、よく一緒にいたけれど
決して、好きってわけではなかった。

 

そうやって、いつも距離をとっていたように思う。

 

2人が悪いわけじゃない。
ただ、あたしに余裕がなかったんだよね。

 

あたしは「素直に自分の想いを伝える」勇気がなかったんだ。

 

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だから、あたしはずっと、
自分が伝えようとしてもいないのに

「わかってくれない」

 

そう思い込んで、自分から距離をとってた。

友達やテレビの中で

【仲のいい家族】を見るたび、

本当はずっと羨ましかった。

 

「なんで家は、あんな風になれないんだろう」って。

 

そうしてたのは、自分なのにね。

 

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でも、自分と向き合うことを知って、
ようやく、少しずつ「自分の想いを伝える」ことができるようになった。

 

 

「ありがとう」

 

「おめでとう」

 

「ごめんね」

 

「身体に気を付けてね」

 

そんなささやかな言葉だけれど
まだ照れくさくて、直接言えないときもあるけれど

それでも少しずつ
今までの距離を埋めていってくれた。

 

そうやって、あたしが想いを伝えられるようになったら
家族関係はもちろん、夫婦関係も変わっていった。

 

「応援してるよ」

 

「まりななら、大丈夫」

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

ずっと言われたいと思ってた言葉も
自然と言われるようになった。

 

一緒にいる時間が楽しくて、愛しくなった。

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自然と、誰かの誕生日には、家族3人で集まるようになった。

 

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小さいころ以来、撮ってなかった3人での写真も増えた。

 

 

今なら胸を張って言える。

 

 

あたしは【家族】が、大好きだ。

 

 

なんて想いはまだ、面と向かっては言えないけれど
(というか、そればっかりは言えるようになる気がしない。笑)

 

それでも3人で、もっともっと【家族】になっていきたいと思う。

 

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「上手くやろう」となんて、しなくていい。

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何があったわけでもない。

 

どちらかと言えば、むしろ上手くいってるほう。

 

授業で自分の伝えたいことをちゃんと伝えられたし、
目が合っても、そらさなかったし、
自分のつくった掲示物が他県の校舎で評価されたし、
距離感があるなって思ってた生徒が名前呼んでくれたし、

 

上手く、上手くいってるのに…

 

どうしようもないほどの、憂うつ感。
満月だから?なんて思っても、ちっともスッキリしない。

 

何が嫌なのか全くわからないけど

「いやだなあ…」

そんな想いがずっと頭の中を浮遊してて
もやもやして、イライラしたから、


嫌な理由を、必死にかき集め始めた。

不安な理由を、
上手くいってないことを、

必死に探した。

 

そんなことしても、落ち着けるはずもなにのに。

 

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そんな負のループに自ら陥りかけていたとき
たまたま坂爪さんのツイートが目に留まった。

  

 

そう、まさに誰かに訊きたかった。

 

 

「ねえ、あたしの生き方、これでいいのかな?」


「本当に、間違ってないのかな?」

 

 

って。

 

誰かに言って欲しかったんだ。

 

「大丈夫だよ」

 

って。

 

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それは、あたしが大きな1歩を踏み出したからだった。

 

marinashimazu.hatenablog.com

 

もっと【自分】を大切にする教育がしたい。

 

そんな想いで、今週の授業は色んな挑戦をした。

今まで止まってたのに、急にギアをあげたんだ。
要するに緩急が激しすぎたんだよね。笑

 

それで、不安になったんだ。

 

 

 

 

「これで、本当に上手くいくのかな?」

 

って。

 

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あたしは教育が変えたいわけじゃなくて
ただ「自分の感じたことを表現したい」それだけなんだ。

 

だから、【自分】を大切にする教育。

 

そこには、もちろん、あたし自身も含まれてる。
そう、ただ「自分を信じたい」だけ。

 

自分を信じるってことは、
「自分」で、「自分」を信じるってことなのに

いつも気が付けば、
「自分じゃない誰か」の承認を求めてた。

 

そうやって、誰かの承認を求めるから、「上手くやろう」としてしまう。

 

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自分で自分を大切にしたいと思ったから

 

【自分】を大切にする教育、を伝えていこうと思ったのに


いつの間にか
誰かに自分を大切にしてもらうために

「上手くやろう」としてる自分がいた。

 

 

誰かに承認して欲しくて、嫌われたくなくて、

上手くやろうとしてして、
どうすればいいかにばかり目が向いてしまって、苦しくなってた。

 

それが正しいとか、正しくないとかじゃなくて
あたしは、それを求めてないってこと。

 

誰かよりも、まずは自分で自分を認めたいってこと。

 

苦しさは、それを教えてくれてたのかな。

 

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どうしたら上手くいくかとか、どうしたら傷付かないか

あたしが大切にしたいのは、そういうことじゃない。

 

ダメージを受けることだってあるだろう。
また、不安になることだってあるだろう。

 

でも、それでもいいじゃない。

 

それも含めて「自分を生きた証」なんだから。

 

自分が信じているものがあるなら、
それをどう上手く伝えるかよりも、

 

まずはそれを自分が楽しんで、幸せな姿を見せることから。
そんな姿こそ、人に伝わっていくものだから。

 

明日からまた「自分を生きる」ことを、楽しもうと思う。