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日常で感じたことを 感じたままに綴るブログ。名前はまだない。

ごめんね。先に逃げたのは「あたし」だった。

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 ある日の授業前、

『授業以外の日に、単語練習をしに来るように伝えてください』


そんな指示を中学生担当の社員さんから受けた。

 

どうやらこの間の期末テストで、単語のスペルミスがかなり多くて、点数もあまりよくなかったかららしい。

 

 

正直、そう言われた瞬間に違和感は覚えていた。

 

中学生とはいえ、そうやって強制することに意味があるのだろうか。
強制すれば、生徒たちは従うだろう。


けど、学校でも、家でも、塾でも、そうやって何かを強制される。

 

それを強制ではなく「リード」ととらえることもできるだろうけど
「リード」にするためには、まず考えさせる時間

つまり、自分と向き合う時間とそれを受け止める相手が必要だと頭ではわかっていた。

 

 

 

『わかりました』

 

でも、あたしはそれを誤魔化したんだ。

 

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あたしは、自分の考えをまとめるのに少し時間がかかるタイプで
授業が始まってからも、どうしようか悩んでいた。

そんなあたしの葛藤を生徒たちが知るはずもなく
いつものように、無邪気に騒ぐ笑い声が教室に響く。

 

 

「でも、言わなきゃけないよね」

 

 

そんな義務感に、あたしは負けたんだ。

 

 

『手を止めて、ちょっと前を向いて』

 

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そうして、あたしは話し始めた。

 

『期末テストの点数、なかなか悲しいことになってたよね』

 

いつもと同じ少しおどけたトーンだった。
そのまま伝えていくつもりだったけれど、それだと生徒たちはこちらをきちんと向こうとしなかった。

 

ただでさえ、考えがまとまっていなくて
何をどう話そうか、葛藤して余裕のなかったあたしは、

その態度にイラッときてしまった。

 

 

『いつまで、そうやって逃げるの?』

 

 

一気にトーンを落とし、ゆっくりと、そして淡々と話し始めた。
自分のその話し方が人を震え上がらせると知ったうえで。

 

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期末テストのこと、日頃の宿題の仕方、再テストを受けずに溜めてばかりいること、テスト直しの答えを写していること・・・

 

生徒たちが日頃から逃げ続けていた嫌なこと
そして、その事実をただ淡々と突きつけ続けた。

 

『そのままいけば、どんどん選択肢は減っていくよ?』

『いつまで、そうやって逃げ続けるの?』

 

そうやってあたしの話す先にあったのは
いつもの無邪気な眼ではなく、少し脅えたような眼。

 

でも、まっすぐな眼だった。

 

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「こんなことを言いたいんじゃない…」

 

脅えながらも、まっすぐこちらを向いている生徒たちの眼を見て
あたしはたまらなく後悔した。

でも、もう後には引けなかった。

 

「言わなきゃいけない」

「今更、カッコ悪い」

 

そんなよくわからない義務感と、ちっぽけなプライドが邪魔をした。

 

そして結局、生徒たちに考えさせることも、生徒たちを受け止めようとすることもなく、ただ強制した。

 

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自分に嘘をついたこと
あんなにまっすぐな眼をする生徒たちを受け止められなかったこと

 

自分を責めるのには、十分すぎる理由だった。

 

生徒たちに『逃げるな』と言いながら、
先に逃げたのは「あたし」だ。

 

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「この業界に一生いるつもりはないし、
ましてやまだまだ目的意識が低い中学生の授業なんて面倒だ」

 

そう思っていたけれど、それが何よりの逃げだった。

 

今、あたしは塾講師としてお金を貰っているし
プロとして、中学生だろうが目的意識があろうとなかろうと、授業を任されている。

 

 

そんな現実から、目を背けていた。

 

 

あたしは、やっぱり生徒たちには「自分と向き合える」人になって欲しいし
そうやって向き合うことで「自分の人生を生きていける」人になって欲しい。

 

そして、そのサポートがしたくて、今ここにいる。

 

中学生だからとか
一般的な教育がどうだとか

 

そんなものは関係ない。

 

本当にあの子たちに伝えたかったのは


逃げずに「自分と向き合える」人になって欲しいということ。

そうやって向き合った結果、何かにチャレンジしたいと思ったのなら全力でサポートするということ。


「向き合う」ということは、難しい。

だから、あたしもつい逃げてしまったんだ。ごめんね。

 

今度はちゃんと向き合うし、受け止めるから。

 

 

そう、ちゃんと伝えようと思う。

 

https://www.instagram.com/p/BWmyp0Hh9Il/

 

どんな「今」でも、きちんと受け止めることができるからこそ
未来を変えていくことができるのだと思う。

 

否定からは、何も生まれない。

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ここ数ヶ月、基本的に作業は家でやっていたのだけれど
昨日はなんだか家じゃどうも集中できなくて、近くのタリーズへ出掛け、夏期講習のテキスト内容を練っていた。

 

今年はいつもに比べて作るテキストが多いんだよなあ…なんて心の中で弱音を吐きながら、テクニックなどの知識情報ではなく

「夏期講習で伝えたいこと」

まず、自分の想いを明確にしていくのが、毎年の流れ。

 

そもそも、点数を上げることや英語そのものに対して、そこまで興味を持てないので、まずはこうして、
自分の想いを明確にしないことには、やる気が起きないのだ。

 

なぜ、勉強するのか

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 最近は少なくなたけれど、そんな質問を生徒からされるよくあって
「将来のため」だとか「自分を磨くため」だとか、

色んな理由を考えてきたけれど、最近のお気に入りは、

『可能性を拡げるため』

という答え。


それはもちろん、受験できる大学を減らさないという意味も含まれるけれど、正直に言えば、そんなものおまけにすぎない。

 


もっと根本的なところから話をすれば、勉強をするということ、点数を上げるということは、

『どれだけ自分と向き合えるか』だと思ってる。


模試や問題集を解いて、自分の現在地を知る。つまり、自分のできていないところをきちんと認める。

そして、そこからどこまで行きたいのかを明確にし、そこに行くために必要なことを洗い出し、あとはひたすらそれを実行していく。

 

よく「何をすべきか」にばかりフォーカスして、その答えを求めてくる生徒がいるけれど、現在地も目的地も曖昧で、そんなものわかるわけがない。

とは言え、当たり障りのないというか、平均的なテクニックというものが存在するのも事実で、昔はよくそれを教えてしまっていた。
というよりも、それを見つけて、教えてくのが仕事だと思い込んでいた。

 

けれど今は、そんなことを聞かれても答えない。
逆に「今、どんな状況で、どうしたいの?」と質問をし返す。

 

それはやっぱり、小手先のテクニックを教えて目先の結果を出させても、その生徒の『可能性』は拡がらないと思うし、

そもそもそんな風に結果を出したところで、意味がないと思う。

 

どうせしなければいけないのなら

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今、大学入試改革だと言って、お偉いさんたちが色々と考えていらっしゃるようだけれど、どんなに入試の形を変えたとしても、根本は変わらないと思っていて


結局、大人たちがどんなに改革をしようとも

子どもたちにとって「勉強」が『しなくてはいけないもの』であることは変わらないと思う。


そして、どんなに興味がないとは言え、塾講師という立場上あたしは、生徒たちの点数を上げるような夏期講習をしなければいけない。

 

「勉強なんてしたくないけれど、しなければいけない」

「点数なんて興味はないけれど、点数につなげなければいけない」

 

悲しいけれど、それだけは、変わらない事実だ。

 

そんな事実や今の日本の教育制度、学校の授業内容、学校の先生たちの進路指導など、到底、受け入れがたいことはたくさんある。否定し始めればきりがない。

 

でも、どうせ逃れられないのだったら、そこに意味を見出せばいい。

 

否定からは、何も生まれない。

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誤解のないように言っておくと、あたしはこの仕事が決して嫌いなわけではない。むしろ、好きだからこうして続けている。


この仕事が好きだけれど、現状の教育には疑問を持っているというだけ。

 

そしてこの先、この仕事をずっと続けていくのかどうか、現状の教育を変えるために奮起するかどうかは、正直わからない。

 

 

ただ1つだけ言えることは・・・

 

 

 

「夏期講習はやってくる」ということ。笑

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なんて冗談はさておき、

今すぐに教育制度をどうこう変えることなんてできないし、だからもちろん、勉強をしなくていいようにはならないし。

そんな現状で、「教育がダメだ」とか「勉強なんてしたくない」とか否定をすることは簡単だけれど、否定からは何も生まれない。

 

今を否定することは簡単だけれど、そこからは何も生まれない。

 

だったら、今は今できちんと受け止めて
自分の想いに従って、自分にやれることを精一杯やろうとあたしは思う。

 

勉強なんてしたくないけれど、しなくてはいけない生徒たちにとって
なにか1つでも意味のある夏期講習を創ろうと思う。

 

自分と向き合い、夢を思い描き、未来と今を選んでいく

 

そうやって自分の可能性を拡げ、自信を感じることができるような
夏期講習を創っていこうと思う。

それがあたし自身の可能性を拡げることにもなるからね。

 

https://www.instagram.com/p/BWYg_clBm2j/

勉強も、仕事も、人間関係も、
否定からは何も生まれないと思う。

受け入れて、そこから何を創っていけるか、考えていけたらいいなと思う。

 

変わる必要なんてないのだ。

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満月だったからなのか、それともただの暑さのせいか。
ひどく身体がだるくて、ただ身体を休ませ続けた1日だった。

 

そろそろ本格的に夏期講習のテキストを作らなければいけないし
以前だったら、こんな風に1日を過ごした日はかなりの自己嫌悪に陥って、せめて何か理由を探そうと必死になったりもした。

でも今は、「ああ、今日はそんな日なんだな」と素直に受け入れるようになった。


だって、あたしたちはロボットでもコンピュータでもない。
ふと原因不明の疲れを感じたり、落ち込みやすい日があることは
何もおかしいことではないのだから。

むしろ、人間らしくていいじゃん。なんて、思ってしまう。

 

ここまで書いてみて、随分と能天気な思考になったものだなー、なんて感心してしまった。

 

なったというより、元々そうだった。

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そもそも、こんなのどかな場所で生まれ育って、
能天気じゃない人間ができるわけがない。

子ども頃のことはあんまり覚えてないのだけれど、
とりあえず自由奔放で、我が強くて、よく周りを困らせていたような気がとてもする。


そんな野生児だったはずなのだけれど、街に出て、たくさんの人と関わっていく中で、着飾ることを覚え、痛い目を見ながら人と合わせることを学び、常識というものを体感して、そうやって、縛られるものが少しずつ増えていった。

いや、自分で増やしていったと言ったほうが正確かもしれない。

そんな日々は苦しかったけれど、否定する気はない。
間違いないくあたしは、ただがむしゃらに生きてた。それだけだった。

 

だけどあたしは、そんな自分に嫌気がさし、「変わろう」と必死になっていた。

 

変わる必要なんてないのだ。

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飾ることや、空気を読むこと、常識や他人の目
そんなものに縛られて生きている自分が苦しくて、嫌になって、


「自分らしさ」だとか「自分を生きる」とか、そういう生き方をずっと追い求めてきた。

あたしにはそれがないから、
手に入れるために「変わらなければならない」ずっとそう思ってきた。

 

でも、今はそうじゃないと思っている。

「自分らしさ」は、誰しも持っているし、「自分を生きる」ことだって、誰でもできることなのだと思う。

 

じゃあなぜ今、あたしを含め多くの人がそれを求め、そんな生き方ができないのか。

 

答えは意外と簡単で、みんな「変わろう」としすぎなんだと思う。

本当は変わる必要なんてなくて、変わらないほうがずっと幸せに生きていける。
それなのに変わろうとしてしまうのは、「変わらなくていい」ことを誰も教えてくれないから。


「このままでいい」と自分で、自分を認められないから。
変わらないと、自分を認められないと思い込んでいるからなのだと思う。

 

「自分を認める」ということ。

https://www.instagram.com/p/BWGs9-dBbU6/

 

「変わらなきゃ」と思っていた頃、いろんな人に会ったし、いろんな人のブログや本を読んだ。もちろんそのたびに、色んな気付きをもらってきたのだけれど、

今まで出会ったどの言葉よりも、先日、ある人が言ったこの言葉に衝撃が走った。


今までずっと自分が抱えてた矛盾というか、もどかしさが一瞬にして消えたし、心から「素敵な人だな」と思った。本当に輝いて見えた。

 

 

変わる必要なんてない。

 

 

あたしたちが自分らしく、幸せに生きていくために必要なものは、
ただありのままの自分を認める「変わらない覚悟」なのだと思う。

 

そろそろ「変わらない」覚悟を、しようと思う。 

 

 

「今」という『自分』を認めるということ。

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今日は1日、夏期講習のテキスト案を考えていた。

 

いつもは高3だけなのだけれど
今年は、学年も、内容もバラエティーに富んでいる。

 

それでも、何か1つ
自分の中でテーマが欲しくて、ずっとそれを考えていた。

 

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正直、そんなもの考えずに
点数を取らせることにだけ集中すれば楽なのだけれど

 

それは講習に限らず、日頃の授業でも同じで

 


どうしても、したくない。

 

 

わかりやすくて、おもしろくて、
点数に直結する授業。

 

それが塾講師が行うべき"理想の授業"なのだとずっと思ってきた。

 

実際、そうなのかもしれない。

 

けど、そんな授業をしようとすればするほど
気持ちが冷めていってしまう。

 

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点数を上げることには興味がないし
強制や1から10まで面倒を見ることも好きじゃない。

性格だって、人見知りで、1人の時間がすごく大切で
ずっと人といると疲れてしまう。

 

もしかしたら、塾講師には向いてないのかもしれない。
(そう思い悩むことがまだ今も度々ある)

 

でも、

 

 

それが『あたしだから、しゃーない』

 

 

今はそう思うようにしている。

 

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だいぶ、話がそれてしまったけれど

この感覚こそが、あたしが伝えたいことで
それこそが、一般的な塾講師像とはかけ離れているあたしが
何度も悩み、凹み、上司やほかの先生に助けられながら、
塾講師をしている理由の1つだと思っている。

  

 

「今」という『自分』を認めること

そして、そんな自分を認めた先にある無限の可能性

 

 

あたしは、それを生徒たちに伝えていきたい。

 

勉強をただの「しなきゃいけないこと」や
「点取りゲーム」にしてしまうのは、もったいない。

勉強や受験をきっかけに
自分の人生を自分でつくることを体感して欲しい。

 

これこそが

あたしが「今」という『自分』を
認めたからこそ、出てきた答えだから。

 

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というわけで、今年の夏期講習のテーマは

 

「今」という『自分』を認める

 

どんなテキスト、授業になるんだろう。
正直、全く予想はつかないけれど、ひとまずやってみるのみ。

 

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ただ、ありのままに。水のように、生きる。

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いつの間にか最後にブログを書いてから
1ヶ月以上も経っていた。

 

この1ヶ月、他のSNSもほとんど更新してないから
何かあったのかと心配されたりもしたけれど

 

正直、特になにもない。笑

 

特別、忙しかったわけでもなくて、
落ち込んで、引きこもっていたわけでもない。

 


ただ「書こう」という気にならなかっただけ。

 

なのに今、なんでこうしてまた書いているかというと

 

ただ「書きたい」と思うようになったから。
ただ、それだけなんだけど、それで十分だと思う。

 

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早々に梅雨入りした割には、たいして雨も降らなかった6月。

SNSから離れて、何をしてたんだろうと振り返れば
色々と試されてた月だったなと思う。

 

結構、精神的にしんどいこともあったし
逆に、久々にびっくりするような嬉しいこともあった。

 

いいことも、悪いことも
当たり前だけど、自分の意志とは無関係に

次から次へと起こるもんだから

 

「え、ちょっと待って。なんで?なんで?」

 

そんな風に理由を探したときもあった。

 

けど、どの出来事にも理由なんてなくて

 「あたしは、どうしたいの?」

 

そうやって、自分の在り方を問われてばかりだったような気がする。

 

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逃げたくても、逃げれないほど
何度も、何度も、その問いを突き付けられた。

 

 

「あたしは、どうしたいの?」

 

 

…ホント荒療治にも、ほどがある。

 

でも、おかげで嫌というほど自分と向き合って
やっぱり同じ答えにたどり着いた。

 

 

『ありのまま、生きていたい』

 

 

それはずっと思ったいたことだけど
この1ヶ月に及ぶ荒療治のおかげで、


「ありのまま」の意味を誤解していたことに気付いた。

 

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ありのまま生きることにこだわりすぎて
いつの間にか「ありのまま生きられない自分」を恥ずかしいと思っていた。

 

けれど、今のその姿も「ありのままの自分」であることに変わりはなくて

 

そんな自分を認めることが
あたしが本当に望んでいた生き方なのだと思う。

 

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「ありのまま」という言葉は魅力的だ。

 

けれど、自分という『今』を認めなければ

「ありのまま」という理想は、決して現実にならないと思う。

 

 

理想を持つこと、未来を描くことは
もちろん大切なことで

 

だけど、今はまだはっきりとした未来が描けないのなら

 

無理に理想を追い求めるより
まずは、自分という『今』を認めていけばいいと思う。

 

 

ありのままの自分で生きていきたくて

 

けど、

不器用で、心配性で、
人からの愛を受けとるのが苦手で
自分に自信が持てなくて、ついつい自分を責めてしまう。

 

先を描くのが苦手で
まだ自分がどんな未来を創りたいのかわからない。

 

 

そんなあたしという『今』を

恥ずかしがらず、堂々と認めて生きていこうと思う。

 

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7月は、そうやって「自分を認めていく」月にしようと思う。

 

色々決めすぎてしまうと
自分で自分を縛ってしまう癖があるから

あまり決めすぎずに。

 

水のように、ゆらゆらと、変幻自在に。
たぶん、それくらいのゆるさがあたしには調度いい。

 

キミの「一部」に なりたい。

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なんだか、まるで恋人への愛の言葉ようなタイトルだけれど

 

残念ながらこれは、恋人への愛ではなく、

 

 

 

"生徒たち"への愛の言葉。

 

 

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昨日は、去年から仕事として、やらせてもらっている
高3生対象のセッションの日だった。

 

勉強をするということも、
塾に行くことも、
大学に行くことも、

 

何もかもが、当たり前になってしまった今の子たち。

 

彼らにとって
選ぶことのない世界も当たり前。

 

授業は受けなきゃいけないし
校則は守らなきゃいけない。

 

塾にだって、大学にだって、「行かなきゃいけない」

 

親の言うことや先生の言うことは、聴かなきゃいけない。
でも、本当は聴きたくないから、

聴いている"振り"をする。

 

あたしたちゆとり世代は、さとり世代と呼ばれたりするけど

 

今の高校生たちは、なんというか、
その斜め上を行っているような気がする。

 

さとるとかどうこうの前に
彼らの生きる現代社会は、選ぶことが多すぎるけれど
その選ぶものは誰かが与えてくれるもんだから

自分の意志が抜け落ちているか
他人の意志を自分の意志だと信じ込んでいることが多い。

 

 

「ああ、受験?しなきゃいけないものなんでしょ?」

 

 

どこか常に諦めている。そんな印象をよく受ける。

 

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とはいえ、とても繊細で、
本当はたくさん迷っていて、考えようとしている。

 

けれど、迷ったり、考える時間を与えてもらえない。

 

「志望校が決まっていない」

「なりたい職業がない」

 

そんなことを口にしようものなら
四方八方から、大人のお節介や押し売りが飛んでくる、、らしい。

 

「まだ決めてないのか?」

「ここ、なんてどうだ?」

「今の時代、資格を持っておいたほうがいい」

 

先生や親の言葉として
生徒たちから聞くこんな言葉たちは
何も間違ってないと思うし

生徒たちのことを想ってなのかもしれない。

 

 

いや、でもね。

 

 

…まだ、6月ですけど?

 

高3になって、2ヵ月も経ってませんけど?

 

 

そして何より、

 

答えを急かして

迷い、考える時間を

 

 

自分の人生を生きようとする機会

 

奪うな。

 

 

もう少し、落ち着け。

 

 

生徒たちから話を聴くたび、そう思う。
大人がそんなに焦るから、子どもたちだって焦るんだ。

 

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迷えばいい。

悩めばいい。

考えればいい。

 

 

そうやって、自分で「答え」を選べばいい。

 

 

去年は、あたしが少し焦ってしまったこともあって
今年は、このスタンスを貫いている。

 

約1時間、たくさん話をするけれど
そこで「答え」を出さないことにしてる。

 

それでいいのかなんて、わからないけれど
あたしがそうやって焦ったら、生徒たちに伝わってしまうし

何より、今こうしてやってることに
意味があると信じようと言い聞かせていた昨日。 

 

 

1人の生徒が、あたしに教えてくれた。

 

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「迷えばいい」とは言いつつも、

その生徒は、あまりに盛大に迷っていたので(笑)
1ヶ月前に話を聴いたばかりだけれどまた、話を聴く時間を取った。

 

正直、前回の迷い具合を考えたら
ほとんど進展はしていないだろうと思ってた。

おそらく、長期戦になるだろうなと。

 

けれど、その生徒の口から出てきた言葉は、

 

 

 

「先生、やりたいこと、見つかったよ」

 

 

 

あたしに、さらに衝撃を与えたのは、その後の一言。

 

 

「前にね、先生がやってくれたみたいに、紙に書き出してみたの」

 

 

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確かに、前回のセッションのとき
色んなことを考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだったから

今感じることを付箋に書き出してもらって
それをグルーピングしながら、一緒に整理をしていった。

時間にして、20分程度。

 

やり方も、意図も、そこまで詳しく説明なんてしてない。

 

けど、前のセッションでやってみて
これだと思ったから、ひたすら自分でやってみた、と。

 

つい1ヶ月前まで

多すぎる選択肢と現実に揉まれ
自分の考えがわからなくなってた彼女は、 

 

自分が好きなこと、やってみたいと思うこと
そして、どんな人の役に立ちたいのか

 

そこまで、自分の考えを整理してきていた。

 

まだ自分の想いを語ることは、少し恥ずかしそうだけれど
そこには、間違いなく

 

前回と違う彼女の姿があった。

 

 

はにかみながら想いを語る彼女を見ながら、

あたしは、気付いた。

 

彼女がやりたいことを見つけたことは、もちろん嬉しい。

 

 

けど、それ以上に

 


その「きっかけ」になれたことが、あたしは、嬉しいのだと。

 

 

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教育とは、「正解を教える」こと。

正解を教えるため、「絶対的な正解を持っていなければならない」と。

 

あたしの頭の中には、いつの間にかそんな想いがあった。

 

だから

 

教育者というものは
間違ってはいけないし、

生徒が間違わないように
日々、最善の努力を尽くすべきだと。

 

 

常に、生徒たちの「答え」であらなければいけないと。

 

 

その想いがいつの間にか
目の前の1人の人間を「生徒」としか見られなくなり
その人間を「変えよう」としてしまう。

正解である「自分」のように、変えようとしてしまうんだ。

まるでクローンをつくるかのように。

 

そうして、アメとムチを使い分けながら、
自分の言うことをきかせようとしてしまってきた。

 

でも、本当はいつも、そんな自分に違和感を覚えていた。

 

 

 

 

「クローンなんてつくっても、何の意味もない」

 

 

 

 

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でも、それ以外の方法がわからなくて、
ずっと、もがいてきたけれど

 

自分で考え、1つの答えを見つけ、はにかむ生徒の顔

そんな彼女の顔を見ながら感じた感情

 

ようやく、わかった。

 

 

 

あたしは、キミの「一部」になりたい。

 

 

 

「答え」になんて、なりたくない。

「答え」を見つけるための、「きっかけ」になりたい。

 

 

あたしがやりたい理想の教育は、

 

あたしの中に「あたしの答え」がちゃんとあって、

それが絶対的な正解だと押し付けるのではなく

「こんなやり方、考え方もあるんだよ」と

ただ、見せ続けるだけ。

 

伝え続けるだけ。

 

その中のどれをやるか、やらないかは生徒たち次第で
その決定にどうこう介入はしない。

ただ、見守り、受け止め、また自分の中の正解を伝えていく。

 

返事が来るかどうかわかならいラブレターを
ただただ、書き続けるだけ。

 

それで、いい。

ううん、それが、いい。

 

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「答え」なんてものは、1人1人違って当たり前。 

 

もちろん

自分の「答え」という想いに自信を持つことは大切だけれど
それを人に押し付けてしまうのは、悲しいなと思う。

 

だから、あたしは「答え」や「全て」になりたいとは思わない。

 

 

キミの「一部」でいい。

 

あたしを通して、何かに気付いて、
自分の「答え」を見つけて、行動を起こしてほしい。

 

それが何よりも嬉しいのだ。

 

そして、

そうやって進んでいく後姿こそが
あたしが送り続けたラブレターへの最高の返事だと思う。

 

 

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行け、自分の道を。

 

 

あたしは、"ここ"で 生きていく。

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それは、突然やってきた。

 

 

 

 

とある生徒に対して、感情的になってしまった、その日。

 

自分の感情に負けて
1人の生徒を傷付けてしまった、その日。

 

生徒に対してレッテルを貼り
生徒を「変えよう」として
先生という立場を利用して、力でねじ伏せようとしていた

そんな自分に気付いた、その日。

 

 

すぐに力を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる
心の底から大嫌いだったはずの
"教師"という生き物と同じことをしていた

 

そんな自分が

 

あまりにも情けなくなった、その日。

 

 

 

 

そしてそれは、全て

 

自分に自信がないからだと受け止めた、その日。

 

 

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「あたしは、"ここ"で 生きていくんだ」

 

 

 

そう、思った。

 

 

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それは、とても不思議な感覚で、

今までの「気付き」が「これがいいと思うから、こうしよう」と
言葉にすることで、自分に言い聞かせるような
どこか「決意」に近いものがあったとしたら、

 

今回の「気付き」は、

 

『初めから、こう決まっていたんだ』と

 

生き別れの母親に初めて会って
理屈もなにもないんだけれど
直観的に「この人が母親だ」とわかったような感じ。

いや、生き別れたことなんてないけどね。笑

 

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だから、理由は全くわからない。

 

ただ、準備が整ったのかな?なんて思う。

 

 

予兆は、ずっと前からあったのかもしれない。

 

 

約1年前、
コーチングやSNS起業に出逢って

「これで、変われるかもしれない」

 

そんな想いで、ただただひたすら
がむしゃらに突き進んだ。

 

ブログやFacebookを1日何投稿もしてみたり、
自撮りもたくさんあげたし、色んな人に会いにも行った。
ブログの読者やFacebookの友達をひたすら増やしたりもした。

セッションをやって、お金を頂くという経験もした。

 

 

そんな経験を通して
間違いなくあたしは変われたと思う。

 

 

けれど、いつからか、そうしたことに魅力を感じなくなって
少しずつ手離していった。

 

 

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去年、1年間が"非日常"だったとすれば、

今年は”日常”に、戻る年なのだと思う。

 

それは決して
非日常をなかったことにするというわけではなくて

1度、非日常を経験して、こうしてまた日常に戻ることで

今までとは違う日常を感じることができる。

 

あたしが生きる日常自体は、何も変わってないのだけれど

 

受け止められるもの
受け入れられるものが、増えた。

 

 

 

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そうは言ってもやっぱり、

 

「読者が増えた」

「売上が上がった」

「セミナーを開催する」

「出版することになりました」

 

そんな投稿を見れば、心はざわつく。人間だもの。

 

 

こうして言葉を綴るからには
たくさんの人に読んで欲しいし、

お金だって欲しいし、

仕事だって、自分の名前でできるようになりたいし、

本だって、出版したい。

 

でも、

 

今、生きていきたいのは、そんな"お外"の世界じゃない。

 

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今は”外”の世界より、"自分"の世界を、旅していたい。

 

 

「どんな自分も、自分なんだ」

 

 

ようやく、この世界の楽しみ方がわかったから
今はまだ、もう少し、この世界を旅してたいと思う。

 

そうやって、この世界を楽しんだら、

 

きっとまた、お外に出たくなるから。

 

そして、そのときは、

 

きっとお外は、もう”非日常”じゃなくて、
"日常"になってると思うから。 

 

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だから、まだもう少し、このままで。