NO TITLE

本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

「星野 源」という人

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特に目的もなく、本屋に行くのが好きなので
その日もふらっと立ち寄って、たまたま目に留まった

 

『いのちの車窓から』

 

「逃げ恥」「恋ダンス」で、彼が有名なのは知ってたけど
なぜか昔から「みんなと同じもの」いわゆる流行に乗るのが嫌で

本当はちょっと気になるなー、なんて思ってても
ブーム絶頂期には決して手を出さない"あまのじゃく"なあたし。

 

 

でも、買ってしまった。

 

 

"自分自身"への優しい言葉であふれていた

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なんとなく読み始めて、あっという間に
彼の言葉の、彼の感性の虜になった。

 

昔から、アーティストな感性を持った人たちが好きで
堂本剛さん、中島美嘉さん、有村竜太朗さんや
最近で言えば、ぼくのりりっくのぼうようみとか
そんな独特な世界観を表現している人たちが好きだ。

 

彼らのそんな世界観は、少しダークで、
奇抜と揶揄されることもあったけど
それでも彼らの紡ぐ言葉が好きで、真似してよく詩を書いたりもした。

 

星野源さんの世界観にも
どちらかと言えば彼らのようなダークなものを感じる。

 

でも、圧倒的に違いを感じたのは彼は「そんな自分を楽しんでいる」

 

彼の言葉は人への優しさも感じるのだけれど
なにより、そんな"自分自身"への優しさに溢れていた。

 

人と違うことは、恥ずかしいことじゃない

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なんて言葉は今や色んなところで見るようになったし
あたし自身もよく使うようになった。

けれど、やっぱり違うということは目立つし、怖いのが本音。

 

だからいつの間にか
誰かと同じになろうとしてしまう。


でも、なれるわけなくて、そんな何者にもなれない自分が情けなくなったりする。

 

あたしの頭の中は忙しいし、
基本的にどうにかして自分を責めたいらしい。


そして、ポジティブでハッピーというよりは、クールでダークだ。

 

こうしてSNSやブログで発信するようになって
少しずつ人と違うことは恥ずかしいことではないって思えるようになったけれど
いつの間にかポジティブでハッピーでないといけないと思うようになってた。

 

だって、みんなキラキラしてるんだもの。

 

ダークでクールも悪くない

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ついつい自分の話になってしまったけれど
星野さんの文章からはダークやクールさなんて
一見、感じられないかもしれない。

 

でも、よく読んでみると結構、ダークだ。

 

なのにそれを感じさせないのは
その感性を無理やりポジティブに変換しているわけではなく

 

彼がそんな自分の感性を心から楽しんでいるからなのかなと、この本を読んで思った。

 

ダークでクールで、人も自分も好きな人

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あたしが昔から好きだった
アーティスティックな人たちは
ダークでクールな自分の感性を受け入れてはいるけれど
決して、楽しんでいるようには思えなかった。

(今はそうでもない人もいるけれど)

どちらかといえば、
そんな人と違う自分の感性を悲嘆しながら、もがきながら、
表現することでなんとか自分を救おうとしていた。

 

あたしも何度もそんな生き方を試みて、何度も挫折した。

 

自分の感じたことを感じたままに表現して
SNSやブログの反応が悪かったり、批判されたりすると、
ああ、やっぱりポジティブでハッピーじゃないとダメなんだと思い込んだ。

 

ポジティブでハッピーに
人も自分も大好きになって生きるか

ダークでクールな自分を受け入れ
人と距離を置いて生きる覚悟を持つか

 

その2択しかないと思ってた。

 

 

ダークでクールで、人も自分も好き。

 

 

そんな新しい生き方をこの本は、教えてくれた気がする。
そして、そんな生き方があたしには合っているような気がする。

「NO TITLE」という始まり

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今年もようやく無事に大学受験が終わったと、ひと息つく間もなく
講師不足のため、久しぶりに朝から夜までずっと授業という生活を
約3週間続けて、昨日ようやくそんな生活が終わった。

 

体力的にも決して楽ではなかったけど
それ以上に、頭とか心とか、胃とかで育っていく
「違和感」のほうがしんどかった。

  

「違う」

  

確かに自分がそこにいて
確かに自分が喋っているんだけれど
自分じゃない感覚。

 

 

この3週間、あたしの口から出ていた言葉は
あたしという1人の人間が伝えたいことなんかじゃなくて
当たり障りのない、いかにも塾講師らしいこと。

 

自分に興味を持ってくれない生徒たちの
「勉強」という「不安」を揺さぶる言葉ばかり。

 

かれこれもう約10年の講師生活。
生徒たちを緊張させることぐらい朝飯前になってしまった。

 

 

でもいつも、そんな風にスラスラと喋る自分を
もう1人の自分がただ黙って見つめている。喋りながらそんな感覚になる。

 

 

 「なに、やってんの?」「また、逃げるんだ」

 

 

そう言いたげな眼差しで。

 

 

 

嫌われないように。

間違わないように。

傷付かないように。

 

  

 

そんな自分に気付き、
他の先生と比べて、自分をひたすら責め続けた。
何1つ 自分を認めることなく、自分で自分をボロボロにしていった。

 

誰かに何かを言われたわけでも、批判されたわけでもないのに
勝手に自分で自分を批判する。長年の癖も困ったもんだ。

 

たぶん、こうやって人は鬱になっていくのかもしれない。

 

メンタル的には結構やられているんだけど
それさえもどこか人ごとで

 

 

「さて、どうするかな」

 

 

そんな風に考えられるのが
あたしの強みなんだろうなと思う。
なんて、のんきに考えてる自分もいる。 

 

とはいえ、
自分を責め続ける生き方はしんどいことに変わりはないし
別にあたしはドMなわけでもないから、こんな生き方はもう勘弁なのだ。

  

 

嫌われない

間違わない

傷付かない

  

 

そんな風に生きれたら幸せだとずっと思っていた。
でも、そうやって生きようとしたこの3週間、幸せどころか地獄だった。

  

 この3週間を振り返ったら、「楽しむ」とか「笑う」ってこと忘れてた。

  

あたしは、嫌われない、間違わない、傷付かない生き方より
「楽しんで、笑って」生きてたい。

 

 

 

じゃあ、あたしの好きなこと、楽しいことって何だろう?

  

ブログ、音楽、オシャレ、写真、読書、教えること、人の想いを整理すること

  

そんな好きなことに共通すること。

 

  

"感じたことを表現すること"

   

そして何より、自分の"感じたこと"を認めること。

 

 

そうやって生きていけたら、もう最高だろうなと。
この苦しかった3週間が気付かせてくれた。 

 

 

この3週間だけじゃない。
アメブロにも、自分の発信内容にも
実のところ、結構前から違和感を覚えていた。

 

でも「まあ、気のせいか」そうやって、ずっと誤魔化してきた。

  

それはきっと今まで
嫌われない、間違わない、傷付かない
そんな基準がずっとあたしの中にあって
自分の感じたことを認めることができてなかったんだと思う。

 

 

だから、これからは、
自分の感じたことを大切に、感じたままに綴っていこうと思う。

 

タイトルは思いつかないから「NO TITLE」で。
そんな新たな始まり。

 

感じたことを認めて、表現することが、1番幸せだと気付いたからね。