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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

さよなら、9月。おかえり、10月。

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9月が終わった。

たったそれだけのことなのに
自分が何かをしたわけでもなく、いつの間にか時が経って
9月という月が終わっただけなのに

なんだかとても、すがすがしい気分なのは、それだけ9月に大きなものを捨ててきたということ。

 

たった1つ何かが崩れただけなのに
どうしてああも簡単に、日常の歯車は狂い始めるのだろう。

恋愛がうまくいかないときは、仕事もうまくいかない。
仕事がうまくいかないときは、友人ともうまくいかない。
友人とうまくいかないときは、見ず知らずの人とさえうまくいかない。


そうやって全てが、狂い始めていった。というより、
全てを狂わせていってしまった。と言ったほうが正しいのかもしれない。

 

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この間、「好き」とは「根拠はないが、自信を持って、たとえ間違ってもいいから、それを選びたい」という覚悟をもつことなのだ、と書かれてある本に出逢った。


確かになぜかこの9月は、恋愛にしても、仕事にしても、こうやって言葉にすることにしても、「好きなものを好きだ」と認めなければいけない時が度々訪れた。

けれど、「好きなものを好き」と言ってしまうことで

1人になってしまうような気がして、そのことになぜかひどく怯えてしまって「好きなものを好き」だと、ずっと言えないでいた。


残念ながら、これは本当に大切で心から好きだから、好きだと言えないんなんて、そんな綺麗な話じゃない。

ただ、好きだと言ってしまうことで、その相手から拒否されたり、そんなものが好きなのかと好奇の目で見られたりするのが、ただただ怖かったというどうしようもないくらい情けない話だ。

昔、ひっそりと書いていたポエムを同級生に笑われ、たまらなく傷付いたときのような想いをもう2度としたくないというそんな情けない話。
 

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そんな昔の話をふと思い出して、気付いたことがある。

笑われるなんて微塵も思わずに、夜な夜なノートにポエムを書いていたあの頃は、1人の怖さなんてまだ知らなかったし、だからこそ、1人に幸福を感じていた。


好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。


と、はっきり言葉にする覚悟を持っていた。 


歳を重ねて、1人の怖さを知ってしまってからは、
1人に怯え、自分以外の何かにすがることで、その怖さを誤魔化してきた。

自分が好きな人が自分のことを好きかどうかとか、自分の言葉にどれだけいいねが貰えるかとか、そんなことにばかり頭を悩ませてきた。

だから、「好きなものを好き」と言うのが怖かった。

 

あの頃に、戻ろう。

相手の気持ちなんて気にもせず、ただ好きという想いを募らせていた、あの頃の自分に。
誰かに評価されることなど気にもせず、ただ自分の想いを言葉にしていた、あの頃の自分に。

そうやって1人で幸せを感じながら、1人という絶望を飼いならしていた自分に。

 

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9月。それは、ずっと1人に怯えていた自分。

 

10月。それは、1人で幸福に絶望していた、あの頃の自分。

 

さよなら、9月。おかえり、10月。

 

エッセイなんて自分には書けないと思っていたけれど
やっぱり書いてみたいと思ったから、これから書いていこうと思う。

たぶん、それが1番好きな形だから。

理想の未来を選べるかどうかわからないけれど、最悪の未来は選べる。

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9月も半ばを過ぎ、

この季節が好きなあたしは
秋の気配を感じる度になんだか幸せな気分になり、
そして、そんな穏やかな自分に気付き
自然とほころんでしまっている顔は、きっとかなりのまぬけな顔だ。

 

とはいえ、この2週間はそれなりに忙しく
あっという間に時間が経ったような気がする。

仕事でも、プライベートでも、
色々と試されることの多い2週間だった。

 

だけど、後悔はないと言いきれる選択ができた2週間だった。

昔のあたしなら
確実にできてなかっただろう選択。

 

もしかしたらそれも
顔がほころびやすくなった理由の1つかもしれない。

 

とはいえ、この先もまだ
大きな選択を迫られているのだけれど

それでも「大丈夫」だと思える。

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なぜなら、自分が何を大切にすべきなのかようやくわかったから。

 

それは「自分が好きだと思える自分かどうか」ということ。

 

 

仕事にしろ、プライベートにしろ、
何か選択をしなければいけなくなったとき

そこには、必ず"相手"が存在している。

もし本当に自分1人にしか関係のないことなら
そもそも迷ったりしない。

 

だから迷うときって
というか人生って

きっと1人じゃどうしようもできないことの連続で

だから毎日、悩んだり、迷ったりしてきたし、

そうやって立ち止まる度
いつもどこかに正解を求め、未来や結果を
コントロールしようと必死になってきたけれど

そこには正解も、不正解もないし、
コントロールなんてできないこと

頭ではずっとわかっていた。


ただ、怖かっただけなんだよね。

 

自分で決めてしまうと、全て自分のせいになるから。
だから、誰かの何かのせいにしておきたかった。

そうすれば、たとえ悪い結果でも耐えられると思ったから。

 

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でも、違った。


悪い結果になるときは、なるし
ならないときは、ならない。

そして当たり前だけど
悪い結果になれば、どんなに人のせいにしようとも、苦しい。


たぶんね、あたしたちがどんなに悩んで、迷おうと
宇宙とか神様とかよくわかんないけど、
あたしたちに人間にはわかんない次元で
未来は、結果は、もう決まってるんじゃないかと思う。

 

だから
どうせ決まっているのなら

 

「自分が好きだと思える自分でありたい」

 

そう思った。 

そうやって選んできたこの2週間。


よくない結果や未来もあったけれど 
それでも、少なくとも最悪な結末にはならなかった。

 

そのときに思ったんだよね。

これまでも未来は決まっていたかもしれないけど
最悪な結末を選んでたのは、自分だったんじゃないかって。

 

自分で勝手に最悪のシナリオを書いて、
悲劇のヒロインになって、その通りに行動してきたからだって。

 

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正直、自分が好きだと思える自分を選べば
必ずいい未来が訪れるなんてことは言えないけど

少なくとも

自分が思う最悪な結末には、ならない。

だってその結末は
あなたが自分の未来を選ぶことから逃げ
誰かのせいにすることを選んだその結果だから。

 

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自分1人じゃどうしようもないことの連続の毎日

 

未来に怯え、そこから目を背けるか

今、この瞬間を自分が好きだと思える自分でいるか

 

少なくとも
あたしは後者であり続けたいと思う。

 

ただ、自分を愛したいと思った。

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何から、書けばいいのだろう。

こうやってパソコンに向き合うことも
自分と向き合い、想いを言葉にしていくことも

それをしていたのが随分と遠い昔のことのように思えて
少し、戸惑ってしまう。

 

今の職場で、塾講師として働き始めて4度目の夏。


そこそこ自分のスタイルを確立して働けるようになってきたとはいえ
この7・8月は、塾にとって、繁忙期となる講習期間。


おまけに、私は暑さにめっぽう弱い・・・

そんな私には、しんどくない夏など
もしかしたらそもそも存在しないのかもしれない。

 

それでも、この夏のしんどさは異常だった。

 

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間違いなく私はそこにいたし、毎日授業をしていた。
話しすぎて、声が出なくなるほど、毎日毎日、授業をしていた。

 

けれど、


授業をしているのも自分。話をしているのも自分。


なのに。


そんな自分が全く知らない人のように思えて
授業をしながら、今、本当に自分は生きているのだろうか、なんてことを考えていたような気がする。
(正直、記憶がほとんどなくて、あまり詳しくは思い出せない)


確かに今年は、今までと比べると担当する学年も増えて
メインである高3の講座数も増えていた。

それでも、寝る時間や休む時間が0だったわけじゃない。

けれど、どんなに眠っても、
目が覚める度、身体は重くなる一方だった。

 

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多忙な毎日を乗り切るのに精一杯で、
私は、完全に自分を見失ってしまってた。

そうやって心のバランスを崩し、身体のバランスも崩れていった。
人間って、本当よくできていると思う。

 

 

"壊れる"

 

 

久々に、そんな心と身体の悲鳴を聞いた気がする。


程度の差はあれど、今までにも何度かこんな悲鳴を聞いたことがある。

おそらくそれを初めて聞いたのは、中3の秋ごろ。
気付けば、クラスの女子全員が敵になっていたあのとき。

そして、1番最近で聞いたのは、
この職場に来て2年目の、やっぱり夏だった。

十何連勤が当たり前で、上司との関係も最悪で、本気で辞めることを考えていたときだ。

 

そうやってもう1人の私が、私に訴えかけてくれていた。

 

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"そろそろ、だよ"

 

間違いないくそれは心と身体からの悲鳴なのだけれど、
いつもそうやって、壊れてしまうと

その度に、新しい自分を創るエネルギーがどこからともなく湧いてくる。


壊れないことに越したことはないのだけれど、
このしんどさは、私にとって、次のステージに行く合図みたいなものなのだ。

 

 

そうやって、見えてきた次のステージ。
静かに、けれど確かに体中に感じるエネルギー。

 

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『自分で自分を、愛せる自分になる』

 

エネルギーだとか、もう1人の自分の声だと、自分を愛するとか
いかにもスピリチュアル的なことを語っているけれど
正直、その辺の知識はほとんどなくて、
この感覚を表現するのにいい言葉が見当たらなくて、借りただけだったりする。


もう少し大衆向けの表現をするなら、
これまで踏み出したかったけれど、踏み出せなかった道へ
進んでいく覚悟が決まった。とでも言うのだろうか。

私は物心ついたころから自分に自信がなくて、ずっと自分を愛したいと思っていたし、
普通とか常識に魅力を感じなくて、やってみたいこともたくさんあった。

実際に色々とやってみたけれど、いつもどこか中途半端だった。

 

やっぱり・・・怖かったから。

 

 

そう、周りから浮く勇気がなかった。
自分が進みたい道に気付いていながら、人と違う道へ進むのが怖かった。

だから中途半端に自分を主張して、誰かを批判することで、
自分は間違っていないと思い込みたかった。

いや、思い込ませてきた。

 

そのツケが回ってきたのが、この夏だったんだろう。

 

自分を誤魔化し続けて、現実から目を背け続けて、
嘘で自分を塗り固めて、とうとう耐えきれなくなって、壊れてしまった。

 

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― だからまた、ここから始めるの。

 

自分の進みたい道。
自分の信じたい想い。

 

それを貫く覚悟が、ようやくできた。

 

自分の人生のシナリオは、自分で書いていく。
そうやって、私は『自分の愛せる自分』になっていく。

 

私は、私を愛したい。

 

だから、そのためにやれることは全てやる。
たとえそれが報われなくても、後悔なんて残らない。

 

そう言えるように、今日からまた生きていく。
壊して、創って、その繰返し。

 

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Restart.

ごめんね。先に逃げたのは「あたし」だった。

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 ある日の授業前、

『授業以外の日に、単語練習をしに来るように伝えてください』


そんな指示を中学生担当の社員さんから受けた。

 

どうやらこの間の期末テストで、単語のスペルミスがかなり多くて、点数もあまりよくなかったかららしい。

 

 

正直、そう言われた瞬間に違和感は覚えていた。

 

中学生とはいえ、そうやって強制することに意味があるのだろうか。
強制すれば、生徒たちは従うだろう。


けど、学校でも、家でも、塾でも、そうやって何かを強制される。

 

それを強制ではなく「リード」ととらえることもできるだろうけど
「リード」にするためには、まず考えさせる時間

つまり、自分と向き合う時間とそれを受け止める相手が必要だと頭ではわかっていた。

 

 

 

『わかりました』

 

でも、あたしはそれを誤魔化したんだ。

 

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あたしは、自分の考えをまとめるのに少し時間がかかるタイプで
授業が始まってからも、どうしようか悩んでいた。

そんなあたしの葛藤を生徒たちが知るはずもなく
いつものように、無邪気に騒ぐ笑い声が教室に響く。

 

 

「でも、言わなきゃけないよね」

 

 

そんな義務感に、あたしは負けたんだ。

 

 

『手を止めて、ちょっと前を向いて』

 

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そうして、あたしは話し始めた。

 

『期末テストの点数、なかなか悲しいことになってたよね』

 

いつもと同じ少しおどけたトーンだった。
そのまま伝えていくつもりだったけれど、それだと生徒たちはこちらをきちんと向こうとしなかった。

 

ただでさえ、考えがまとまっていなくて
何をどう話そうか、葛藤して余裕のなかったあたしは、

その態度にイラッときてしまった。

 

 

『いつまで、そうやって逃げるの?』

 

 

一気にトーンを落とし、ゆっくりと、そして淡々と話し始めた。
自分のその話し方が人を震え上がらせると知ったうえで。

 

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期末テストのこと、日頃の宿題の仕方、再テストを受けずに溜めてばかりいること、テスト直しの答えを写していること・・・

 

生徒たちが日頃から逃げ続けていた嫌なこと
そして、その事実をただ淡々と突きつけ続けた。

 

『そのままいけば、どんどん選択肢は減っていくよ?』

『いつまで、そうやって逃げ続けるの?』

 

そうやってあたしの話す先にあったのは
いつもの無邪気な眼ではなく、少し脅えたような眼。

 

でも、まっすぐな眼だった。

 

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「こんなことを言いたいんじゃない…」

 

脅えながらも、まっすぐこちらを向いている生徒たちの眼を見て
あたしはたまらなく後悔した。

でも、もう後には引けなかった。

 

「言わなきゃいけない」

「今更、カッコ悪い」

 

そんなよくわからない義務感と、ちっぽけなプライドが邪魔をした。

 

そして結局、生徒たちに考えさせることも、生徒たちを受け止めようとすることもなく、ただ強制した。

 

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自分に嘘をついたこと
あんなにまっすぐな眼をする生徒たちを受け止められなかったこと

 

自分を責めるのには、十分すぎる理由だった。

 

生徒たちに『逃げるな』と言いながら、
先に逃げたのは「あたし」だ。

 

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「この業界に一生いるつもりはないし、
ましてやまだまだ目的意識が低い中学生の授業なんて面倒だ」

 

そう思っていたけれど、それが何よりの逃げだった。

 

今、あたしは塾講師としてお金を貰っているし
プロとして、中学生だろうが目的意識があろうとなかろうと、授業を任されている。

 

 

そんな現実から、目を背けていた。

 

 

あたしは、やっぱり生徒たちには「自分と向き合える」人になって欲しいし
そうやって向き合うことで「自分の人生を生きていける」人になって欲しい。

 

そして、そのサポートがしたくて、今ここにいる。

 

中学生だからとか
一般的な教育がどうだとか

 

そんなものは関係ない。

 

本当にあの子たちに伝えたかったのは


逃げずに「自分と向き合える」人になって欲しいということ。

そうやって向き合った結果、何かにチャレンジしたいと思ったのなら全力でサポートするということ。


「向き合う」ということは、難しい。

だから、あたしもつい逃げてしまったんだ。ごめんね。

 

今度はちゃんと向き合うし、受け止めるから。

 

 

そう、ちゃんと伝えようと思う。

 

https://www.instagram.com/p/BWmyp0Hh9Il/

 

どんな「今」でも、きちんと受け止めることができるからこそ
未来を変えていくことができるのだと思う。

 

否定からは、何も生まれない。

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ここ数ヶ月、基本的に作業は家でやっていたのだけれど
昨日はなんだか家じゃどうも集中できなくて、近くのタリーズへ出掛け、夏期講習のテキスト内容を練っていた。

 

今年はいつもに比べて作るテキストが多いんだよなあ…なんて心の中で弱音を吐きながら、テクニックなどの知識情報ではなく

「夏期講習で伝えたいこと」

まず、自分の想いを明確にしていくのが、毎年の流れ。

 

そもそも、点数を上げることや英語そのものに対して、そこまで興味を持てないので、まずはこうして、
自分の想いを明確にしないことには、やる気が起きないのだ。

 

なぜ、勉強するのか

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 最近は少なくなたけれど、そんな質問を生徒からされるよくあって
「将来のため」だとか「自分を磨くため」だとか、

色んな理由を考えてきたけれど、最近のお気に入りは、

『可能性を拡げるため』

という答え。


それはもちろん、受験できる大学を減らさないという意味も含まれるけれど、正直に言えば、そんなものおまけにすぎない。

 


もっと根本的なところから話をすれば、勉強をするということ、点数を上げるということは、

『どれだけ自分と向き合えるか』だと思ってる。


模試や問題集を解いて、自分の現在地を知る。つまり、自分のできていないところをきちんと認める。

そして、そこからどこまで行きたいのかを明確にし、そこに行くために必要なことを洗い出し、あとはひたすらそれを実行していく。

 

よく「何をすべきか」にばかりフォーカスして、その答えを求めてくる生徒がいるけれど、現在地も目的地も曖昧で、そんなものわかるわけがない。

とは言え、当たり障りのないというか、平均的なテクニックというものが存在するのも事実で、昔はよくそれを教えてしまっていた。
というよりも、それを見つけて、教えてくのが仕事だと思い込んでいた。

 

けれど今は、そんなことを聞かれても答えない。
逆に「今、どんな状況で、どうしたいの?」と質問をし返す。

 

それはやっぱり、小手先のテクニックを教えて目先の結果を出させても、その生徒の『可能性』は拡がらないと思うし、

そもそもそんな風に結果を出したところで、意味がないと思う。

 

どうせしなければいけないのなら

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今、大学入試改革だと言って、お偉いさんたちが色々と考えていらっしゃるようだけれど、どんなに入試の形を変えたとしても、根本は変わらないと思っていて


結局、大人たちがどんなに改革をしようとも

子どもたちにとって「勉強」が『しなくてはいけないもの』であることは変わらないと思う。


そして、どんなに興味がないとは言え、塾講師という立場上あたしは、生徒たちの点数を上げるような夏期講習をしなければいけない。

 

「勉強なんてしたくないけれど、しなければいけない」

「点数なんて興味はないけれど、点数につなげなければいけない」

 

悲しいけれど、それだけは、変わらない事実だ。

 

そんな事実や今の日本の教育制度、学校の授業内容、学校の先生たちの進路指導など、到底、受け入れがたいことはたくさんある。否定し始めればきりがない。

 

でも、どうせ逃れられないのだったら、そこに意味を見出せばいい。

 

否定からは、何も生まれない。

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誤解のないように言っておくと、あたしはこの仕事が決して嫌いなわけではない。むしろ、好きだからこうして続けている。


この仕事が好きだけれど、現状の教育には疑問を持っているというだけ。

 

そしてこの先、この仕事をずっと続けていくのかどうか、現状の教育を変えるために奮起するかどうかは、正直わからない。

 

 

ただ1つだけ言えることは・・・

 

 

 

「夏期講習はやってくる」ということ。笑

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なんて冗談はさておき、

今すぐに教育制度をどうこう変えることなんてできないし、だからもちろん、勉強をしなくていいようにはならないし。

そんな現状で、「教育がダメだ」とか「勉強なんてしたくない」とか否定をすることは簡単だけれど、否定からは何も生まれない。

 

今を否定することは簡単だけれど、そこからは何も生まれない。

 

だったら、今は今できちんと受け止めて
自分の想いに従って、自分にやれることを精一杯やろうとあたしは思う。

 

勉強なんてしたくないけれど、しなくてはいけない生徒たちにとって
なにか1つでも意味のある夏期講習を創ろうと思う。

 

自分と向き合い、夢を思い描き、未来と今を選んでいく

 

そうやって自分の可能性を拡げ、自信を感じることができるような
夏期講習を創っていこうと思う。

それがあたし自身の可能性を拡げることにもなるからね。

 

https://www.instagram.com/p/BWYg_clBm2j/

勉強も、仕事も、人間関係も、
否定からは何も生まれないと思う。

受け入れて、そこから何を創っていけるか、考えていけたらいいなと思う。

 

変わる必要なんてないのだ。

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満月だったからなのか、それともただの暑さのせいか。
ひどく身体がだるくて、ただ身体を休ませ続けた1日だった。

 

そろそろ本格的に夏期講習のテキストを作らなければいけないし
以前だったら、こんな風に1日を過ごした日はかなりの自己嫌悪に陥って、せめて何か理由を探そうと必死になったりもした。

でも今は、「ああ、今日はそんな日なんだな」と素直に受け入れるようになった。


だって、あたしたちはロボットでもコンピュータでもない。
ふと原因不明の疲れを感じたり、落ち込みやすい日があることは
何もおかしいことではないのだから。

むしろ、人間らしくていいじゃん。なんて、思ってしまう。

 

ここまで書いてみて、随分と能天気な思考になったものだなー、なんて感心してしまった。

 

なったというより、元々そうだった。

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そもそも、こんなのどかな場所で生まれ育って、
能天気じゃない人間ができるわけがない。

子ども頃のことはあんまり覚えてないのだけれど、
とりあえず自由奔放で、我が強くて、よく周りを困らせていたような気がとてもする。


そんな野生児だったはずなのだけれど、街に出て、たくさんの人と関わっていく中で、着飾ることを覚え、痛い目を見ながら人と合わせることを学び、常識というものを体感して、そうやって、縛られるものが少しずつ増えていった。

いや、自分で増やしていったと言ったほうが正確かもしれない。

そんな日々は苦しかったけれど、否定する気はない。
間違いないくあたしは、ただがむしゃらに生きてた。それだけだった。

 

だけどあたしは、そんな自分に嫌気がさし、「変わろう」と必死になっていた。

 

変わる必要なんてないのだ。

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飾ることや、空気を読むこと、常識や他人の目
そんなものに縛られて生きている自分が苦しくて、嫌になって、


「自分らしさ」だとか「自分を生きる」とか、そういう生き方をずっと追い求めてきた。

あたしにはそれがないから、
手に入れるために「変わらなければならない」ずっとそう思ってきた。

 

でも、今はそうじゃないと思っている。

「自分らしさ」は、誰しも持っているし、「自分を生きる」ことだって、誰でもできることなのだと思う。

 

じゃあなぜ今、あたしを含め多くの人がそれを求め、そんな生き方ができないのか。

 

答えは意外と簡単で、みんな「変わろう」としすぎなんだと思う。

本当は変わる必要なんてなくて、変わらないほうがずっと幸せに生きていける。
それなのに変わろうとしてしまうのは、「変わらなくていい」ことを誰も教えてくれないから。


「このままでいい」と自分で、自分を認められないから。
変わらないと、自分を認められないと思い込んでいるからなのだと思う。

 

「自分を認める」ということ。

https://www.instagram.com/p/BWGs9-dBbU6/

 

「変わらなきゃ」と思っていた頃、いろんな人に会ったし、いろんな人のブログや本を読んだ。もちろんそのたびに、色んな気付きをもらってきたのだけれど、

今まで出会ったどの言葉よりも、先日、ある人が言ったこの言葉に衝撃が走った。


今までずっと自分が抱えてた矛盾というか、もどかしさが一瞬にして消えたし、心から「素敵な人だな」と思った。本当に輝いて見えた。

 

 

変わる必要なんてない。

 

 

あたしたちが自分らしく、幸せに生きていくために必要なものは、
ただありのままの自分を認める「変わらない覚悟」なのだと思う。

 

そろそろ「変わらない」覚悟を、しようと思う。 

 

 

「今」という『自分』を認めるということ。

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今日は1日、夏期講習のテキスト案を考えていた。

 

いつもは高3だけなのだけれど
今年は、学年も、内容もバラエティーに富んでいる。

 

それでも、何か1つ
自分の中でテーマが欲しくて、ずっとそれを考えていた。

 

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正直、そんなもの考えずに
点数を取らせることにだけ集中すれば楽なのだけれど

 

それは講習に限らず、日頃の授業でも同じで

 


どうしても、したくない。

 

 

わかりやすくて、おもしろくて、
点数に直結する授業。

 

それが塾講師が行うべき"理想の授業"なのだとずっと思ってきた。

 

実際、そうなのかもしれない。

 

けど、そんな授業をしようとすればするほど
気持ちが冷めていってしまう。

 

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点数を上げることには興味がないし
強制や1から10まで面倒を見ることも好きじゃない。

性格だって、人見知りで、1人の時間がすごく大切で
ずっと人といると疲れてしまう。

 

もしかしたら、塾講師には向いてないのかもしれない。
(そう思い悩むことがまだ今も度々ある)

 

でも、

 

 

それが『あたしだから、しゃーない』

 

 

今はそう思うようにしている。

 

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だいぶ、話がそれてしまったけれど

この感覚こそが、あたしが伝えたいことで
それこそが、一般的な塾講師像とはかけ離れているあたしが
何度も悩み、凹み、上司やほかの先生に助けられながら、
塾講師をしている理由の1つだと思っている。

  

 

「今」という『自分』を認めること

そして、そんな自分を認めた先にある無限の可能性

 

 

あたしは、それを生徒たちに伝えていきたい。

 

勉強をただの「しなきゃいけないこと」や
「点取りゲーム」にしてしまうのは、もったいない。

勉強や受験をきっかけに
自分の人生を自分でつくることを体感して欲しい。

 

これこそが

あたしが「今」という『自分』を
認めたからこそ、出てきた答えだから。

 

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というわけで、今年の夏期講習のテーマは

 

「今」という『自分』を認める

 

どんなテキスト、授業になるんだろう。
正直、全く予想はつかないけれど、ひとまずやってみるのみ。

 

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