NO TITLE

本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

キミの「一部」に なりたい。

f:id:marina0821:20170528092021j:plain

 

なんだか、まるで恋人への愛の言葉ようなタイトルだけれど

 

残念ながらこれは、恋人への愛ではなく、

 

 

 

"生徒たち"への愛の言葉。

 

 

f:id:marina0821:20170528092632j:plain

 

昨日は、去年から仕事として、やらせてもらっている
高3生対象のセッションの日だった。

 

勉強をするということも、
塾に行くことも、
大学に行くことも、

 

何もかもが、当たり前になってしまった今の子たち。

 

彼らにとって
選ぶことのない世界も当たり前。

 

授業は受けなきゃいけないし
校則は守らなきゃいけない。

 

塾にだって、大学にだって、「行かなきゃいけない」

 

親の言うことや先生の言うことは、聴かなきゃいけない。
でも、本当は聴きたくないから、

聴いている"振り"をする。

 

あたしたちゆとり世代は、さとり世代と呼ばれたりするけど

 

今の高校生たちは、なんというか、
その斜め上を行っているような気がする。

 

さとるとかどうこうの前に
彼らの生きる現代社会は、選ぶことが多すぎるけれど
その選ぶものは誰かが与えてくれるもんだから

自分の意志が抜け落ちているか
他人の意志を自分の意志だと信じ込んでいることが多い。

 

 

「ああ、受験?しなきゃいけないものなんでしょ?」

 

 

どこか常に諦めている。そんな印象をよく受ける。

 

f:id:marina0821:20170512230930j:plain

 

とはいえ、とても繊細で、
本当はたくさん迷っていて、考えようとしている。

 

けれど、迷ったり、考える時間を与えてもらえない。

 

「志望校が決まっていない」

「なりたい職業がない」

 

そんなことを口にしようものなら
四方八方から、大人のお節介や押し売りが飛んでくる、、らしい。

 

「まだ決めてないのか?」

「ここ、なんてどうだ?」

「今の時代、資格を持っておいたほうがいい」

 

先生や親の言葉として
生徒たちから聞くこんな言葉たちは
何も間違ってないと思うし

生徒たちのことを想ってなのかもしれない。

 

 

いや、でもね。

 

 

…まだ、6月ですけど?

 

高3になって、2ヵ月も経ってませんけど?

 

 

そして何より、

 

答えを急かして

迷い、考える時間を

 

 

自分の人生を生きようとする機会

 

奪うな。

 

 

もう少し、落ち着け。

 

 

生徒たちから話を聴くたび、そう思う。
大人がそんなに焦るから、子どもたちだって焦るんだ。

 

f:id:marina0821:20170526153329j:plain

 

迷えばいい。

悩めばいい。

考えればいい。

 

 

そうやって、自分で「答え」を選べばいい。

 

 

去年は、あたしが少し焦ってしまったこともあって
今年は、このスタンスを貫いている。

 

約1時間、たくさん話をするけれど
そこで「答え」を出さないことにしてる。

 

それでいいのかなんて、わからないけれど
あたしがそうやって焦ったら、生徒たちに伝わってしまうし

何より、今こうしてやってることに
意味があると信じようと言い聞かせていた昨日。 

 

 

1人の生徒が、あたしに教えてくれた。

 

f:id:marina0821:20170528100110j:plain

 

「迷えばいい」とは言いつつも、

その生徒は、あまりに盛大に迷っていたので(笑)
1ヶ月前に話を聴いたばかりだけれどまた、話を聴く時間を取った。

 

正直、前回の迷い具合を考えたら
ほとんど進展はしていないだろうと思ってた。

おそらく、長期戦になるだろうなと。

 

けれど、その生徒の口から出てきた言葉は、

 

 

 

「先生、やりたいこと、見つかったよ」

 

 

 

あたしに、さらに衝撃を与えたのは、その後の一言。

 

 

「前にね、先生がやってくれたみたいに、紙に書き出してみたの」

 

 

f:id:marina0821:20170507023144j:plain

 

確かに、前回のセッションのとき
色んなことを考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだったから

今感じることを付箋に書き出してもらって
それをグルーピングしながら、一緒に整理をしていった。

時間にして、20分程度。

 

やり方も、意図も、そこまで詳しく説明なんてしてない。

 

けど、前のセッションでやってみて
これだと思ったから、ひたすら自分でやってみた、と。

 

つい1ヶ月前まで

多すぎる選択肢と現実に揉まれ
自分の考えがわからなくなってた彼女は、 

 

自分が好きなこと、やってみたいと思うこと
そして、どんな人の役に立ちたいのか

 

そこまで、自分の考えを整理してきていた。

 

まだ自分の想いを語ることは、少し恥ずかしそうだけれど
そこには、間違いなく

 

前回と違う彼女の姿があった。

 

 

はにかみながら想いを語る彼女を見ながら、

あたしは、気付いた。

 

彼女がやりたいことを見つけたことは、もちろん嬉しい。

 

 

けど、それ以上に

 


その「きっかけ」になれたことが、あたしは、嬉しいのだと。

 

 

f:id:marina0821:20170506234946j:plain

 

教育とは、「正解を教える」こと。

正解を教えるため、「絶対的な正解を持っていなければならない」と。

 

あたしの頭の中には、いつの間にかそんな想いがあった。

 

だから

 

教育者というものは
間違ってはいけないし、

生徒が間違わないように
日々、最善の努力を尽くすべきだと。

 

 

常に、生徒たちの「答え」であらなければいけないと。

 

 

その想いがいつの間にか
目の前の1人の人間を「生徒」としか見られなくなり
その人間を「変えよう」としてしまう。

正解である「自分」のように、変えようとしてしまうんだ。

まるでクローンをつくるかのように。

 

そうして、アメとムチを使い分けながら、
自分の言うことをきかせようとしてしまってきた。

 

でも、本当はいつも、そんな自分に違和感を覚えていた。

 

 

 

 

「クローンなんてつくっても、何の意味もない」

 

 

 

 

f:id:marina0821:20170528091226j:plain

 

でも、それ以外の方法がわからなくて、
ずっと、もがいてきたけれど

 

自分で考え、1つの答えを見つけ、はにかむ生徒の顔

そんな彼女の顔を見ながら感じた感情

 

ようやく、わかった。

 

 

 

あたしは、キミの「一部」になりたい。

 

 

 

「答え」になんて、なりたくない。

「答え」を見つけるための、「きっかけ」になりたい。

 

 

あたしがやりたい理想の教育は、

 

あたしの中に「あたしの答え」がちゃんとあって、

それが絶対的な正解だと押し付けるのではなく

「こんなやり方、考え方もあるんだよ」と

ただ、見せ続けるだけ。

 

伝え続けるだけ。

 

その中のどれをやるか、やらないかは生徒たち次第で
その決定にどうこう介入はしない。

ただ、見守り、受け止め、また自分の中の正解を伝えていく。

 

返事が来るかどうかわかならいラブレターを
ただただ、書き続けるだけ。

 

それで、いい。

ううん、それが、いい。

 

f:id:marina0821:20170528183103j:plain

 

「答え」なんてものは、1人1人違って当たり前。 

 

もちろん

自分の「答え」という想いに自信を持つことは大切だけれど
それを人に押し付けてしまうのは、悲しいなと思う。

 

だから、あたしは「答え」や「全て」になりたいとは思わない。

 

 

キミの「一部」でいい。

 

あたしを通して、何かに気付いて、
自分の「答え」を見つけて、行動を起こしてほしい。

 

それが何よりも嬉しいのだ。

 

そして、

そうやって進んでいく後姿こそが
あたしが送り続けたラブレターへの最高の返事だと思う。

 

 

f:id:marina0821:20170528184450j:plain

 

 

行け、自分の道を。

 

 

あたしは、"ここ"で 生きていく。

f:id:marina0821:20170526082011j:plain

 

 

それは、突然やってきた。

 

 

 

 

とある生徒に対して、感情的になってしまった、その日。

 

自分の感情に負けて
1人の生徒を傷付けてしまった、その日。

 

生徒に対してレッテルを貼り
生徒を「変えよう」として
先生という立場を利用して、力でねじ伏せようとしていた

そんな自分に気付いた、その日。

 

 

すぐに力を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる
心の底から大嫌いだったはずの
"教師"という生き物と同じことをしていた

 

そんな自分が

 

あまりにも情けなくなった、その日。

 

 

 

 

そしてそれは、全て

 

自分に自信がないからだと受け止めた、その日。

 

 

f:id:marina0821:20170526153329j:plain

 

 

 

「あたしは、"ここ"で 生きていくんだ」

 

 

 

そう、思った。

 

 

f:id:marina0821:20170505211712j:plain

 

それは、とても不思議な感覚で、

今までの「気付き」が「これがいいと思うから、こうしよう」と
言葉にすることで、自分に言い聞かせるような
どこか「決意」に近いものがあったとしたら、

 

今回の「気付き」は、

 

『初めから、こう決まっていたんだ』と

 

生き別れの母親に初めて会って
理屈もなにもないんだけれど
直観的に「この人が母親だ」とわかったような感じ。

いや、生き別れたことなんてないけどね。笑

 

 f:id:marina0821:20170505215812j:plain

 

だから、理由は全くわからない。

 

ただ、準備が整ったのかな?なんて思う。

 

 

予兆は、ずっと前からあったのかもしれない。

 

 

約1年前、
コーチングやSNS起業に出逢って

「これで、変われるかもしれない」

 

そんな想いで、ただただひたすら
がむしゃらに突き進んだ。

 

ブログやFacebookを1日何投稿もしてみたり、
自撮りもたくさんあげたし、色んな人に会いにも行った。
ブログの読者やFacebookの友達をひたすら増やしたりもした。

セッションをやって、お金を頂くという経験もした。

 

 

そんな経験を通して
間違いなくあたしは変われたと思う。

 

 

けれど、いつからか、そうしたことに魅力を感じなくなって
少しずつ手離していった。

 

 

f:id:marina0821:20170526160643j:plain

 

去年、1年間が"非日常"だったとすれば、

今年は”日常”に、戻る年なのだと思う。

 

それは決して
非日常をなかったことにするというわけではなくて

1度、非日常を経験して、こうしてまた日常に戻ることで

今までとは違う日常を感じることができる。

 

あたしが生きる日常自体は、何も変わってないのだけれど

 

受け止められるもの
受け入れられるものが、増えた。

 

 

 

f:id:marina0821:20170526161708j:plain

 

そうは言ってもやっぱり、

 

「読者が増えた」

「売上が上がった」

「セミナーを開催する」

「出版することになりました」

 

そんな投稿を見れば、心はざわつく。人間だもの。

 

 

こうして言葉を綴るからには
たくさんの人に読んで欲しいし、

お金だって欲しいし、

仕事だって、自分の名前でできるようになりたいし、

本だって、出版したい。

 

でも、

 

今、生きていきたいのは、そんな"お外"の世界じゃない。

 

f:id:marina0821:20170526162619j:plain

 

今は”外”の世界より、"自分"の世界を、旅していたい。

 

 

「どんな自分も、自分なんだ」

 

 

ようやく、この世界の楽しみ方がわかったから
今はまだ、もう少し、この世界を旅してたいと思う。

 

そうやって、この世界を楽しんだら、

 

きっとまた、お外に出たくなるから。

 

そして、そのときは、

 

きっとお外は、もう”非日常”じゃなくて、
"日常"になってると思うから。 

 

f:id:marina0821:20170526161740j:plain

 

 

だから、まだもう少し、このままで。

 

 

柔らかな芯をもつ。

f:id:marina0821:20170522190019j:plain

 

 

「信念」、「理想」、「自分軸」

そんな言葉から、あなたは何を想像するだろう?

  

あたしはずっと、「こうありたい」という
未来予想図や理想を持った人は素敵だと思って

そんな"芯のある人"になりたいと、思ってた。

 

 

"芯のある人"とは

 

f:id:marina0821:20170522190518j:plain

 (あたしの中の"芯のある人"のイメージは、こんな感じだった)

 

「ブレない」

「媚びたりしない」

「強くて、カッコいい」

 

芯がある人=そんなイメージを持っていて

まずは形から!と
キツめのメイクや振る舞いをしてみた。

そして次に内面と、自分の軸や理想を必死で探した。

 

もちろん、自分の軸や理想が言葉になった瞬間は嬉しかったし

 

「これだ!あたしはこうやって生きていけばいいんだ!」

心から、そう思った。


そうやって自分の世界に潜って見つけた
自分軸という名の未来や理想。

 

けれど、1歩、現実の世界に踏み出してみると

 

そう、上手くはいかなかった・・・。

そうあろうとすればするほど、苦しくなっていく。

 

 

「未来」や「理想」のワナ

 

f:id:marina0821:20170522191758j:plain

 

「なんで、うまくいかないんだろう?」

 

あれほど探し求めていた
未来や理想が見つかったのに、思うように生きられない。

そんな現実に直面するたびに


自分の努力が足りないとか
自分にはやっぱり無理なのかもしれない

 

そうやって、自分を責めるようになった。

 

そして、あるとき気付いてしまった・・・。

 

 

 

「こうありたい」と思えば思うほど、

「こうでないといけない」そんな風に思うようになって

 

自分の思い描いた未来や理想に縛られていた

ということに。

 

そして、その事実に気付いてしまった瞬間

どうしようもないほどの絶望を感じた。

 

だって、

 

自分軸や未来や理想が見つかって
そうやって生きていけば、変われる。

自分らしく、生きられる。

幸せになれる。

 

そう、信じていたから。

 

 

絶望の中で、気が付いたこと

 

f:id:marina0821:20170522193049j:plain

 

ブレない芯のある人は、カッコいいと思ってきたし
自分もそんな風に生きていきたいと思った。

 

そうすれば、周りの反応なんて気にせず
堂々と、自分のまま、生きていけると、信じてた。

 

ブレちゃいけない。

周りに左右されちゃいけない。

 

そうやって、いつの間にか

「”芯”とは、硬くなければならない」

そう思い込んでいた。

 

 

そうか、芯を硬くしようとして
誰かにその芯を折られてしまうのが怖くて

あたし自身が頑なになっていたから、苦しかったんだ。

 

 

 

 

"芯"は、硬くなくても、いい

 

f:id:marina0821:20170522195211j:plain

 

なにかの本で

「欲しいものへの想いが強すぎると、
 それはないことを強調してしまって逆効果になる」

そんなことを読んだのを、思い出した。

 

 

「こうありたい」

「こんなことがしたい」

「こんな風に生きたい」

 

そうやって、未来や理想を描く時間は、楽しいし、必要だと思う。

 

でも、あまりにもそこに執着しすぎると
未来や理想は、自分を縛り付ける最強で最悪の鎖になってしまう。

だって、まさか誰もそんな幸せの象徴みたいなものが、
悪さをするなんて予想もしないから。

 

だからもし、


未来や理想に縛られているのに気付いたら
未来や理想のために生きてるはずなのに、苦しいと感じたら、


思い切って、破り捨ててしまえばいいと思う。

 

どんなにワクワクする未来の理想の自分でも、勝てないものがある。

 

 

それは、"今この瞬間の自分"。

 

 

どんなに未来や理想を描いていても
今この瞬間、目の前で起きていること、感じていることから

目を背けることはできない。

 

できなくはないけど、
目を背けようとするから、苦しくなるんだと思う。

 

無理に未来や理想の自分になろうとする必要なんてない。
未来や理想を描こうとする必要なんてない。

 

あたしは、

今この瞬間の自分を
1つ1つ積み重ねたものが、

 

ホンモノの未来であり、理想の自分

 

なんじゃないかなと思う。

 

f:id:marina0821:20170522200414j:plain

 

未来や理想に縛られず、

今この瞬間を大切に。

 

そうやって、柔らかな芯を、育てていく。

 

認めたくない感情にほど、そっと寄り添う。

f:id:marina0821:20170519194853j:plain

 

昨日の代表*1からの電話が気付かせてくれたこと。

 

基本的に、代表や他の校舎からの電話は、
非常勤のあたしが出たところで2度手間になるだけだし
最近は、新入社員さんたちの電話対応の練習もあるしで、


他に人がいる場合は、あんまり電話をとることもなくなった。

 

 

 

でも昨日は、たまたまみんな授業に入っていたので

「あ、代表だ。めずらしい」

それくらいの軽い気持ちで電話に出た。

 

 

 

『お疲れ様です。島津です』

 

初っ端、声がかすれて、上手くでなかった。

 

『・・・』

 

反応がなかったので、聞こえなかったのかな?と思い、

『お疲れ様です?』

 

と、少し探る感じで、聞き返した。
そしたら返事があり、その後、すぐに上司に引き継いだ。

 

たった、それだけのこと。
ほんの一瞬、電話に出ただけだった。

 

 

f:id:marina0821:20170519202707j:plain

 

 

それから上司が電話を済ませて、言いにくそうに一言。

 

「代表からの電話だけは、明るく出よう」

 

そう言えば、何度か聞いたことがあった。
代表は、電話や挨拶にすごく厳しいって。

 

あたしとしては、普通に明るく出たつもりだった。
最初、かすれてたから、聞こえてなかったのかもしれないし
聞こえてたけど、あまりいい印象じゃなかったのかもしれないけど

そんなことで、言い訳するのもめんどくさかったし
いずれにせよ、あたしの電話応対で
上司が注意を受けてしまったんだと思ったので、

 

「すみません。何か言われたんですか?」

 

気を付けなきゃなと、思って謝った。

 

「うん。まあ、”あれじゃ、期待できんな”って・・・」

 

f:id:marina0821:20170519203709j:plain

 

・・・はぁ?

 

たった 電話1本で、
なんでそんなこと決められなあかんねん。

 

沸々と色んなどす黒い感情が生まれるのを感じたけれど
まだ授業も残っていたので、必死に押し殺した。

 

 

f:id:marina0821:20170519204302j:plain

 

どす黒い感情はずっと渦巻いて、家に帰って一気に吐き出した。

 

「明るい」=「有能」ってわけちゃうやん。

てか、よく知りもせんのに、決めつけんな。

頭固すぎやろ。
古くさい考え。
めんどくさすぎるわ。

正社員になんて、絶対なりたないわ。

ボケ。

 

・・失礼しました。笑

 

でも、そうやって吐き出して、
どす黒い感情に居場所を与えることで、

今までやったら無理に押し殺してた感情を
素直に受け入れることができるようになってきている。

 

 

f:id:marina0821:20170505211712j:plain

 

そうやって、自分の中に生まれた
全ての感情をちゃんと受け止めることで、気付けたこと。

 

昔から自分を認めてくれる人がごく一部しかいなくて
それがずっと自分の引け目だったこと。

何より、素直に悔しかった。

 

そうやって、1つずつ受け止めていくことで、

 

正しいとか、正しくないとかは関係なくて
代表には、代表の大切にしているものがある。
その1つが、あいさつであり、電話応対の明るさ。

 

だということも、素直に受け止められた。

 

だってそれは、あたしにも大切にしているものがあるのと同じだから。

 

f:id:marina0821:20170519210715j:plain

 

同じ「元気よく電話に出る」という行動を選ぶとしても

 

1:めんどくさいから、そうしてやってやる

2:権力的に、そうやらされている

3:納得して、自分でそうやる

 

その行動の裏にどんな気持ちがあるかで
自分の心地よさは全然、違ってくると思う。

 

だとしたら、あたしは

相手も、自分も、大切にする行動をしていきたいな。

 

 

あ、でも、無理やり明るくは性に合わないから、適度にだけどね♡

 

f:id:marina0821:20170519211202j:plain

 

 

最後に、こうしてどす黒い感情を受け止めようと思わせてくれた
坂爪さんのツイートをご紹介。

 

 

孤独も、寂しさも、悲しみも、怒りも
無理に昇華したり、押し殺したりする必要なんてなくて

そっと寄り添って、居場所を与えてあげればいいのだと思う。

 

そうすることで少なくとも
自分の心はとっても穏やかになるから。

それで、十分だなーとあたしは思うのです。

*1:うちの塾はフランチャイズ経営なので、本社があってほぼ全国に校舎がある。なので、代表とはそれらすべてのトップ。ようするに1番、偉い人

今も、ちゃんと、幸せ。

f:id:marina0821:20170515231812j:plain

 

よく「大切なものはもうすでにある」そんな言葉を聞くけれど
今日はまさに、それを実感した1日だった。

 

f:id:marina0821:20170408020213j:plain

 

 

ふと、Facebookにこんなことを書いた。

 

 

 【たくさんの反応が「羨ましい」と思った】
 
少しずつブログや発信を再開してみて
やっぱり自分の想いを
言葉や形にすることが好きだと思ったし
そうすることで改めて、自分の想いを感じることができる。 
 

 
けど、やっぱり、「いいねの数やコメントの数」は気になるもので。。
 
昨日も、母の日にちなんだブログを書いたんだけど
友達の投稿にはめっちゃコメントあって・・
(あたしもコメントしたから、コメントが入る度に、通知が届くんだよね。笑)
 
 
正直、「羨ましい」って、思った。
 
 
もちろん、そんな風に反応してもらえるのは
彼女の人柄であり、努力の賜物。
 
わかってる、わかってるけど、、
一瞬、「あたしはダメなんだ。努力が足りないんだ」
そうやって自分を責めそうになった。
 
でも、違うんだよね。
 
 
そこにあるのは、
 
 
あたしの「反応してもらいたい」って気持ちと
彼女の「人柄と努力」
 
 
ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
 

 
それでいいじゃないか。
 
羨ましいなら、その気持ちを認めて、やれることやればいいし、
彼女の人柄と努力を心から認めればいいし、
 
自分を責める必要なんてないんだよね。
 
って、認めたらスッキリした。
 
ただ、あたしの場合は
「反応してもらう」にフォーカスしちゃうと
自分の感じたことを後回しにしちゃうから
あたしは、あたしのペースで(*´▽`*)
 

 
こうして表現できるようになった。
次は、たくさんの人に届きますように・・♡
ぼちぼち、いきます(*'ω'*)

 

やっぱりこうして発信をするからには
1人でも多くの人に届けたいって思うわけで。

 

もちろん、この投稿にも
決してたくさんのいいねがあったわけじゃない。
そもそも、広める工夫や努力なんてしてないもん。当たり前っちゃ、当たり前)

 

でもね、ふと気付いたんだ。

 

 

あたしは、発信を何度もやめたりしてるのに、
それでもコメントやいいね!をくれる人がいる。

 

しかも、それは大好きな人たちだった。

 

ちゃんと、届いてた。
ちゃんと、受けとってもらってた。

 

なんだ、今もちゃんと幸せじゃないか。

 

f:id:marina0821:20170515233757j:plain

 

あたしたちは、

目の前にある幸せを
つい、当たり前だと思ってしまって
見過ごしてしまうこともある。

 

お金がない。友達がいない。恋人がいない。
才能がない。誰もわかってくれない。

 

そんな風に
ないものばかり探してしまって、悲しくなることもある。

 

 

でもね、今"も"ちゃんと"幸せ"なんだよ。

 

 

そして、これからも。

 

f:id:marina0821:20170515234324j:plain

  

たぶん、人間ってどん欲な生き物だから、
きっと心から満足することってないんじゃないかなと思う。
(満足したときって、成長をやめたり、諦めたときだと思う)
 

少なくともあたしは、1つ手に入れたら、次が欲しくなる。
1つできるようになったら、次のことにチャレンジしたくなる。

 

そうやって、人は成長して、
どんどん素敵になっていくんだと思う。

 

どん欲だからこそ
つい、あるものよりも、ないものを探してしまって
羨ましくなったり、嫉妬したりする。

 

それで、いいんじゃないかな。

 

ただ、忘れないでほしいのは
今も決して不幸じゃないってこと。

 

だって、振り返ってみれば、後ろにはたくさんのものが「ある」


そして、少し遠くを見すぎてた目を、
戻してあげれば、そこにもたくさんのものが「ある」 から。

 

f:id:marina0821:20170515235900j:plain

 

誰だって、

 

今も

 

ちゃんと

 

幸せ。

  

「生まれてきてくれて、ありがとう」

f:id:marina0821:20170514185055j:plain

 

今日は、母の日。

ささやかだけれど、手紙を添えて、プレゼントを贈った。

 

そしたら、2回に分けて、母からLINEが届いた。

 

1通目は、プレゼントに対するお礼。
それから少しして、2通目は手紙への返事。

 

この時間差は、きっと母のことだから、

届いた瞬間にLINEをくれて
それからゆっくりと中身を整理していて、手紙に気付いて
慌てて、またLINEをくれたんだろうな。

…なんて、想像してたら、自然と笑みがこぼれた。

 

あたしと同じで不器用だけれど
とっても純粋で、可愛い人だから。

 

f:id:marina0821:20170514190437j:plain

 

そんな母からの2通目のLINEにあった

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 

という言葉。
この言葉自体、とっても嬉しいのだけれど、

それ以上に、
そんな言葉を交わせるようになったことが
たまらなく嬉しかった。

  

f:id:marina0821:20170514190046j:plain

 

母の日、父の日、それぞれの誕生日。
今でさえ、 当たり前にお祝いをしているけど
こんな風に祝うようになったのは、最近のことだったりする。

 

あたしは、ずっと【家族】と距離を置いてきた。

 

正直、厳しくて、感情の起伏が激しい
母のことが嫌いだったし、顔を合わせばいつもケンカをしていた。
酷い言葉をぶつけて、傷付けてしまったことだってある。

 

父は、母とは正反対で、
物静かで、いまだに何を考えているのかわからない人。笑
だから、怒られることもないから、よく一緒にいたけれど
決して、好きってわけではなかった。

 

そうやって、いつも距離をとっていたように思う。

 

2人が悪いわけじゃない。
ただ、あたしに余裕がなかったんだよね。

 

あたしは「素直に自分の想いを伝える」勇気がなかったんだ。

 

f:id:marina0821:20170514192229j:plain

 

だから、あたしはずっと、
自分が伝えようとしてもいないのに

「わかってくれない」

 

そう思い込んで、自分から距離をとってた。

友達やテレビの中で

【仲のいい家族】を見るたび、

本当はずっと羨ましかった。

 

「なんで家は、あんな風になれないんだろう」って。

 

そうしてたのは、自分なのにね。

 

f:id:marina0821:20170505211712j:plain

 

でも、自分と向き合うことを知って、
ようやく、少しずつ「自分の想いを伝える」ことができるようになった。

 

 

「ありがとう」

 

「おめでとう」

 

「ごめんね」

 

「身体に気を付けてね」

 

そんなささやかな言葉だけれど
まだ照れくさくて、直接言えないときもあるけれど

それでも少しずつ
今までの距離を埋めていってくれた。

 

そうやって、あたしが想いを伝えられるようになったら
家族関係はもちろん、夫婦関係も変わっていった。

 

「応援してるよ」

 

「まりななら、大丈夫」

 

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 

ずっと言われたいと思ってた言葉も
自然と言われるようになった。

 

一緒にいる時間が楽しくて、愛しくなった。

f:id:marina0821:20170514193947j:plain

 

自然と、誰かの誕生日には、家族3人で集まるようになった。

 

f:id:marina0821:20170514193938j:plain

 

小さいころ以来、撮ってなかった3人での写真も増えた。

 

 

今なら胸を張って言える。

 

 

あたしは【家族】が、大好きだ。

 

 

なんて想いはまだ、面と向かっては言えないけれど
(というか、そればっかりは言えるようになる気がしない。笑)

 

それでも3人で、もっともっと【家族】になっていきたいと思う。

 

f:id:marina0821:20170514194519j:plain

 

「上手くやろう」となんて、しなくていい。

f:id:marina0821:20170505212923j:plain

 

何があったわけでもない。

 

どちらかと言えば、むしろ上手くいってるほう。

 

授業で自分の伝えたいことをちゃんと伝えられたし、
目が合っても、そらさなかったし、
自分のつくった掲示物が他県の校舎で評価されたし、
距離感があるなって思ってた生徒が名前呼んでくれたし、

 

上手く、上手くいってるのに…

 

どうしようもないほどの、憂うつ感。
満月だから?なんて思っても、ちっともスッキリしない。

 

何が嫌なのか全くわからないけど

「いやだなあ…」

そんな想いがずっと頭の中を浮遊してて
もやもやして、イライラしたから、


嫌な理由を、必死にかき集め始めた。

不安な理由を、
上手くいってないことを、

必死に探した。

 

そんなことしても、落ち着けるはずもなにのに。

 

f:id:marina0821:20170512224914j:plain

 

そんな負のループに自ら陥りかけていたとき
たまたま坂爪さんのツイートが目に留まった。

  

 

そう、まさに誰かに訊きたかった。

 

 

「ねえ、あたしの生き方、これでいいのかな?」


「本当に、間違ってないのかな?」

 

 

って。

 

誰かに言って欲しかったんだ。

 

「大丈夫だよ」

 

って。

 

f:id:marina0821:20170512225937j:plain

 

それは、あたしが大きな1歩を踏み出したからだった。

 

marinashimazu.hatenablog.com

 

もっと【自分】を大切にする教育がしたい。

 

そんな想いで、今週の授業は色んな挑戦をした。

今まで止まってたのに、急にギアをあげたんだ。
要するに緩急が激しすぎたんだよね。笑

 

それで、不安になったんだ。

 

 

 

 

「これで、本当に上手くいくのかな?」

 

って。

 

f:id:marina0821:20170512230930j:plain

 

あたしは教育が変えたいわけじゃなくて
ただ「自分の感じたことを表現したい」それだけなんだ。

 

だから、【自分】を大切にする教育。

 

そこには、もちろん、あたし自身も含まれてる。
そう、ただ「自分を信じたい」だけ。

 

自分を信じるってことは、
「自分」で、「自分」を信じるってことなのに

いつも気が付けば、
「自分じゃない誰か」の承認を求めてた。

 

そうやって、誰かの承認を求めるから、「上手くやろう」としてしまう。

 

f:id:marina0821:20170412091543j:plain

 

自分で自分を大切にしたいと思ったから

 

【自分】を大切にする教育、を伝えていこうと思ったのに


いつの間にか
誰かに自分を大切にしてもらうために

「上手くやろう」としてる自分がいた。

 

 

誰かに承認して欲しくて、嫌われたくなくて、

上手くやろうとしてして、
どうすればいいかにばかり目が向いてしまって、苦しくなってた。

 

それが正しいとか、正しくないとかじゃなくて
あたしは、それを求めてないってこと。

 

誰かよりも、まずは自分で自分を認めたいってこと。

 

苦しさは、それを教えてくれてたのかな。

 

f:id:marina0821:20170513000159j:plain

 

どうしたら上手くいくかとか、どうしたら傷付かないか

あたしが大切にしたいのは、そういうことじゃない。

 

ダメージを受けることだってあるだろう。
また、不安になることだってあるだろう。

 

でも、それでもいいじゃない。

 

それも含めて「自分を生きた証」なんだから。

 

自分が信じているものがあるなら、
それをどう上手く伝えるかよりも、

 

まずはそれを自分が楽しんで、幸せな姿を見せることから。
そんな姿こそ、人に伝わっていくものだから。

 

明日からまた「自分を生きる」ことを、楽しもうと思う。