「変わっていたい私」と「変わらない君」<4>
出逢いは15年前。
私たち3人は、同じクラスになり、いつからだったかもう覚えていないけれど、気が付けばいつも一緒にいるようになった。
確かリクとは、中1の1学期にクラス委員に指名されたのがきっかけで、そこからなんだかんだ私の世話を焼いてくれていた。
あの頃からずっと、見た目は厳ついし、口数も少ない。
けど、誰よりも優しくて、人の世話をするのが趣味のような奴だ。
一方のユウキはお互い、第1印象は最悪で、入学式後のHRで、派手に言い合いをしたような気がする。
何をそんなに言い合ったのか、そしてそこから何が起きてこんなに仲良くなったのか全く覚えていないけれど、中学3年間で何度噂になったかわからないほど、私たちは一緒にいた。
超が付くほどのマイペースで独特の世界観を持ち、少しオタク気質。それでも誰からも好かれるそんな奴だった。
そして、私は・・・彼らにはどんな風に見えていたんだろう。
でも少なくとも今よりずっと伸び伸びと、自由に、笑い、泣き、怒り、毎日を全力で生きていたような気がする。
「いやー俺は、今が1番幸せだよ」
卒業してから他の同級生を交えて何度か会ったことはったけれど、3人でこんな風に並んで歩くのは、間違いなく15年振りだ。
「ネガティブ?ネガティブでもいいじゃない。ネガティブって才能だよー」
3人で歩いて帰りながら、ネガティブすぎる生徒がいるんだなんて話をしてたら、そうやって何の躊躇もなく笑うユウキの方を見てハッとした。
ーあの夢と同じ笑顔。
そうだ。私はこの笑顔が大好きだった。
どんな自分でも恥じることなく受け入れ、だからこそ人を肩書や表面上の何かで判断したりせず、"その人"として当然のように扱うこの笑顔にあの頃、純粋すぎるがゆえに毎日傷を作ってばかりだった私はいつも、救われていた。
「お前はホント、変わんねぇなぁー」
そう言いながら温かい目でユウキを見るリク。
ユウキの笑顔が生み出す柔らかい空気。
そして、リクのぶっきらぼうな一言と温かい瞳が、
傷付きやすい私の盾となって、包んでくれていた。
「ホント、2人とも、相変わらずだね」
「変わらないよー。俺は」
「だな。って、俺も?」
そうだ。ずっと、私はこうやってこの2人に守られてたんだ。
そして、この世界が私は大好きで、ここだったからこそ、いつも私でいられた。
どんなに傷付いても、どんなに批判されても、
突き進んでいくことができた。
"私"として、生きていくことができた。
正直ずっと、苦しい時期が1年近く続いてる。
自分の向かいたい道が、生きたい世界がわからなくなって、
不安で、孤独で、得体の知れない何かに押しつぶされそうで…
だからまたあの頃のように、自分で敵をつくって、自分の殻に閉じこもるしかなかった。
それでも持ち前の諦めの悪さで、必死にもがき続け、ようやく
昨年の11月ごろから少しずつ流れが変わり始めたところだった。
そして、そのタイミングでこうして、
忘れかけていた大好きな人たちと、大好きな世界と再会できた。
ずっと戻りたかった世界、
ずっと戻りたかった自分を、思い出せた。
ユウキのようにどんな自分も、他人も、受け入れた笑顔を見ながら
時には、リクのようにその笑顔を守りながら、
優劣も、勝ち負けも、良し悪しもない。ただフラットな世界で、
何もできない自分を認めて、誰かに甘えながら、
時には、人の世話を焼きながら、
「今が1番幸せ」そう笑って、ただがむしゃらに生きていたい。
自分を、人を、好きでいたい。
”私”を生きていたい。
「ありがとう!またねー」
15年前とこの先の分も含めてお礼を言って
私たち3人はまた、それぞれの道を歩き出した。
次に会うのはいつになるのか
もしかしたらもう、会わないかもしれない。
それでも、この日。
2人が思い出させてくれたこの想いとぬくもりは
きっと、ずっと私を守ってくれる。
こうしてまた、2人と笑えて、本当によかった。
あの頃からずっと
私は「変わっていたい」性格で、
できなかったことができるようになったり
今までとは全く違うことに挑戦したり
とにかく、変わることが好き。
だから、ときに変わっていない自分に不安になることもある。
そんなときはいつも「変わらない」2人の存在が、私を安心させてくれた。
「変わらない君」がいてくれるからこそ、私は変わっていける。
それはきっと、あの頃も、これからも、
「変わらない事実」なのだと思う。<完>
「変わっていたい私」と「変わらない君」<3>
いつの間にかもう別の話題で盛り上がっている彼らを横目に、
私は少し中学時代を思い出していた。
間違いなく、あの3年間が私にとって大きな転機だった。
そう言えるほど、色々なことがありすぎた。
綺麗な世界も見たし、汚い世界も、たくさん見た。
そして、たくさん救われたし、たくさん傷付いた。
あの時、自分を傷付けた人たちを許すことなんてできるほど私の心は広くないけれど
それでも、ずっと腹の底に渦巻いていた憎しみのようなどす黒いものはかなり薄くなった気がする。
なにより今、こうしてあの頃と何1つ変わらず、笑っている彼らを見ていると
あれほど辛かったことさえも、全て必然だったように思えてくるから、驚くほどくだらない話でここまで盛り上がっているこの人たちは、本当はすごい人なのかもしれない。
とは言え、知らない人が見れば、どう見てもただの陽気なおじさん3人組にしか見えないけれど。笑
そんなことを思いながら彼らの会話をBGMのようにして、過ごす。
無理に話に入ることを求めないし、それでいて絶妙なタイミングで話を振ってくる。
ここにいて、いいんだ。と思わせてくれる。
本当に不思議な人たちだ。
今にも限界に達しそうだったあの日、不思議な夢を見た。
そして今、こうして彼らと同じ時間を共有できていることがたまらなく幸せだった。
きっと今だったからこそ、この奇跡に素直に感謝することができた。
そんな風に過ごす時間はあっという間で、時計は0時をとっくに過ぎていた。
本当はもう少しこの世界にいたい気もしたけれど、明日も仕事なうえに、
少量のアルコールと久々の幸福感が混ざり合って、眠気を誘い始めた。
「お前、どうやって帰んの?」
飲み会の帰りはいつもそう。
初めから1人で歩いて帰るつもりだった。
今日、こしてここで同じ時間を共有できたことが奇跡だと思っていたし、本当にそれで充分だった。
ただ、まだ奇跡は続く。
「「俺らも、歩いて帰るよ」」
大学を卒業してからの飲み会は、みんなタクシーか代行で帰っていった。
だけど私はアルコールで少し火照った身体で、夜風に当たりながら帰るのが好きだったし、マンションも街から遠くはないので、いつも歩いて帰ることにしていた。
だいたい誰にも賛同されなくて、1人で帰ることが多いから、
今日も1人だと思っていたから、予想外の返答にひどく間抜けな顔をしていたと思う。
リクとは帰る方向が同じで、ユウキが泊まることになっていたホテルは、偶然にも私のマンションの目の前のホテルだった。
「懐かしいな、こうやって3人で並んで歩くの」
そう。私たちは15年前もよく、こうして3人で歩いていた。
「変わっていたい私」と「変わらない君」<2>
自分が無理をしていることに気付いたところで
どうすればいいのか、私にはわからない。
ただ自覚した上で、無理をし続けるしかない。
いつからかずっと聞こえている
身体と心の叫びを聞こえない振りをしながら
また今日も私は教壇に立つ。
仕事納めまであと2日と迫った日。
あまりに懐かしく、そしてあの頃と何ひとつ変わらない笑顔で、
彼は私に笑いかけていた。
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これは心身ともにボロボロだった私に起こった
嘘のようで本当にあった不思議なお話
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彼の夢を見た10日後、ふと携帯に目をやると
1人の旧友からLINEが届いていた。
「明後日、ユウキが帰ってくるんやけど、久々に集まらん?」
成人式に会って以来だから、約10年振りの再会。
冬期講習、真っ最中で超繁忙期。
ただでさえ心身ともにボロボロだった。
もし、あの夢を見ていなければ断っていたかもしれない。
「会いたい」
心からそう思った。
仕事が終わり、LINEを打ちながら駆け足で待ち合わせ場所に向かう。
「よぉ」
迎えに来てくれていたのは今日誘ってくれたリク。
中学時代はユウキとよく3人で一緒にいた。
あの頃からお父さん感はあったけれど、今は本当にいいお父さんだ。
そして、もう1人、中学時代の同級生を加えて、4人での再会。
何の縁か、共通していたのは、不規則な仕事をしていることぐらいで、あとは結婚していたり、子供ができていたり、
15年前、同じ教室で同じ時間を過ごしていたときとは明らかに、違う世界をそれぞれ生きていた。
もうすぐ30歳。世間ではもういい大人だ。
正直なところ、こういう再会の場にはあまり行きたくなかった。
自分で選んだ道とはいえ、きちんと就職していないうえに、結婚の予定すらない自分がなんだか惨めに思えて、世間一般のアラサーの少数派として、好奇の目に晒されるのが嫌だったからだ。
「で、お前は今、何やってんの?」
一通り、軽口をたたいて笑った後、投げかけれれた言葉に、自分の顔が引きつるのがわかった。
「あーうん、塾講師だよ。でも、正社じゃないからねー」
少しずつ聞かれて、徐々に変な空気になっていくくらいなら、先に自分から言ってしまった方が楽だ。
そう思って、なるべく平静を装って答えた。
胸の奥が少し痛むけれど、大丈夫。絶対に伝わらない。
だって、私はそうやってずっと本心を隠して生きてきた。見破られたことなんて1度もない。
「お、俺も。俺もー!日雇い、日雇い!」
"医師"という明らかに世間から見て、私とは別世界にいるカズが声を上げる。
「お前は超、高日給だろー」
「どれぐらいの子たちを教えてんのー?」
変な空気になるどころか、まるで何事もなかったかのように会話が進む。
「センター試験かぁー?あれー記述だっけ?」
「いや、思いっきりマークだろ!てか、お前も受けたやろ?」
ああ、そうだ。
彼らは、こういう人たちだった。
非正規だろうと、未婚だろうと、どんな仕事をしていようと、
どんな人間だろうと、彼らにとって全く関係ない。
常に"その人"という1人の人間としてしか見ていない。
15年前からずっと。何も変わらない。
そうだ。私はずっとこの世界で生きていたんだ。
昔から些細なことで傷付きやすかった私はずっと、
この世界に、彼らに守られて、生きてきたんだ。
「変わっていたい私」と「変わらない君」
昨日、久々に1日中動き回ったからなのか
何度か目を覚ました記憶はあるものの、結局、昼過ぎまで眠っていた。
少し前までは、眠っているときに夢なんて全く見ることがなかった。
それくらい「眠る」ということに没頭していた。
けれど、最近はよく夢を見るようになり
目が覚めていたとしても、夢の余韻に引きずられる。
どんな夢だったかは、ほとんど覚えていない。
けど、良い目覚めではないことは確かだ。
お腹の底のほうから何とも言えない感情が押し寄せてくる。
鉛のように重い身体をベッドから起こし、
顔を洗うために向かった洗面台の鏡に映った自分の顔をみてつぶやいた。
「最後に、心から笑ったのっていつだっけ…」
いつの間にか、私は笑い方を忘れていた。
そのつぶやきに答えてくれる人もいない。
こんな生活にも、もう慣れてしまった。
私は顔を洗いながら、
さっきまで見ていた夢を思い出していた。
見た夢の内容というよりも、
ある瞬間だけが鮮明に記憶に残っていたのだ。
中学の頃、兄弟のように仲が良かった男の子が目の前に立っていて
どんな内容だったのかわからないけれど、
何かに固執して、周りと溝を深めてしまった私に
「本当、お前のそーゆーところが、心配なんだよ」
そう呆れているのか笑っているのかわからない顔で
けれど、とても優しい眼で私を見ていた。
なぜ彼だったのか
なぜその瞬間だけ覚えているのか
全く見当もつかないけれど、
ただいつも夢から覚めたときのような後味の悪さはなく
すごく温かいものが私を包んでいた。
初めてではない、どこか懐かしい感覚。
しっかりと働くようになった頭で、少し思い出してみると
そういえば、彼はいつもあんな顔をして、あの瞳で、
すぐに敵を作ってしまう私を見ていたような気がする。
夢のようにはっきりと想いを口に出すことはなかったけれど
それでもいつも、彼の温かさに救われていた。
幼かった私は、そのことに気付くことなく、
クラスの女子の中で、自分の孤立が深まっていく中
彼のことすら、信じられず、心を閉ざし始めた。
「私は1人なんだ。でも、1人でも、生きていってやる」
はっきりとした記憶ではないけれど
あの頃の私は、そんなことを強く心に決めていたような気がする。
今と、同じ。
仕事に対しての情熱を見失い、職場の人たちと距離をとり、
全て自分で選んだこととはいえ、孤立を感じずにはいられない今。
「私は1人なんだ。でも、1人でも、生きていってやる」
そう、肩に力を入れていたような気がする。
約15年前、そうやって肩に力を入れていた私に、
唯一、彼が言葉にしてくれた想いがあった。
「そんな辛そうな眼して、笑うなよ」
その先のことはもう、覚えていないけれど
今、その言葉をかけられたら、間違いなく涙腺は崩壊してしまうだろう。
私、また無理、してたんだ。
slow start
年末までの喧騒がまるで別世界のことだったように思える
実家で過ごす穏やかな2018年の始まり。
目が覚めたら、2017年は終わっていて、
当たり前だけれど、何もしなくても、2018年が始まっていた。
海と山に囲まれた片田舎。
築何年かわからないほど年季の入った実家で、母が作ったお節を家族3人で食べて、年始の特番を観ながら、こたつで居眠りをする。
決してインスタ映えするようなお正月ではないし、
自分が孫の顔どころか、結婚の報告すらできない娘であることに、
罪悪感を覚えないわけではないけれど、それでも、
何も頑張らなくても、迎えることができた幸せな2018年の始まり。
もちろんその裏には、母さんの必死の準備があって、
父さんも、たぶん何かをしてくれていて(笑)
だからこそ、私はこうして肩の力を抜いて、過ごせる。
気が付けば、肩に力が入っていて、
とはいえ、がんばることや成長していくことが趣味みたいなものだから、
きっと0にすることはできないし、する必要もないけれど、
「何もしなくても、幸せ」
2018年は、この感覚を大切にしていきたいと思う。
何もしなくても、何もがんばらなくても、今のままの私でそこにいてもいい。そして、それでも十分、幸せだということに気付く。
さらに、その幸せに気付くことで、そうさせてくれる周りの存在に感謝することもできれば、なおよし。
2018年の目標とか、2019年どんな年にしたいとか、
色々と考えてみたけれど、どうもしっくりこないから、
今年はとりあえず、具体的な目標は何も立てないことにした。
「何もしなくても、今のままでも、充分幸せなんだけれど、色々とやっていみたいから、色々とやってみるし、疲れたときは休む」
たぶん、このくらいが調度いいような気がする。
今年はこんなスロースタートが、今の私らしい気がするから。
そう思わせてくれた2017年12月に起こった奇跡について
少しずつ書いていこうと思います。
世界は、ひとつなんかじゃない。
さっきまで、なんともなかったはずの笑い声が
急に、耳にまとわりつき始める。
そうやってよく笑うところも、オーバーリアクションで、空気の読めないところも、それでいて人懐っこくて、いとも簡単に人から愛されてしまうところも全て、吐き気がするくらい嫌いだ。
この瞬間、私は彼女の世界に入り込んでいく。
彼女という人間の中から、私自身を眺め、
そして、彼女を通して、自分に自分でダメ出しをし始める。
「私にとってはこれが普通なのに、なんであなたにはできないの?」
彼女には当たり前にできて、私にはできないことを探しては、そうやって、嫉妬や不安を自分で、生み出していく。
「世界は、ひとつだ」
なんて一体、誰が言い出したのだろう。
この言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、まだ他人の世界なんて知らなかった小学生の頃に音楽の授業で歌った「小さな世界」という曲だ。
世界はせまい
世界はまるい
世界はおなじ
ただひとつ
この歌詞に別のメッセージが込められていることくらいわかっているし、だからこの歌詞を批判しようなんて思ってもいない。
ただ、私の心にはそのメッセージではなく、別の形で思いのほか強く残っていただけのこと。
「同じでなければいけない。ひとつでなければいけない」と。
けれど、私たちは一人一人、見えてるもの、感じてるものが違う。
それを言葉に表現できていないだけで、私たちはきっと微妙に違う世界を毎日見ながら生きているのだと思う。
そうやって自分が見て、感じたもので創られた、自分だけの世界で、私たちは生きている。
そして、それぞれの世界の一部を誰かと共有し、そしてまた別の部分を別の誰かと共有し、そうやって複雑に絡み合ってこのは世界が出来ているのだと思う。
だから、世界は同じでも、1つである必要もないし、
一方で、「自分」という世界は、1つしかない。
唯一無二の存在なのだから、他の誰とも比べる必要なんてないはずなのに、たくさんの人が人と比べてしまうことに悩み、苦しんでいる。
SNSを通して、自分以外の誰かの世界を感じやすくなった今、
そこに溢れている一見、魅力的で、同じように見える世界が全てのように思えてしまうから
私たちは、どうしても自分の世界を見失いやすい時代に生きているのかもしれない。
私もよく、誰かの世界に入り込んでしまう。
もちろん、それはいわゆる共感力として、強みになることもあるし、誰かの世界を知ることは楽しい。
けれど、使い方を誤れば、それはすぐに嫉妬や不安を生み出してしまう。
だから、最近は特に何か強い感情を感じたときは「今いるのは自分の世界なのか、他人の世界なのか」意識するようにしている。
そうするようになって、かなり楽になった。
それと同時に、今までの自分を好きになるだとか、自分を信じるという意識が、どれだけ根性論で、苦しいものだったのかにも気付けた。
世界は、ひとつなんかじゃない。
今、あなたがいるその世界は、一体、誰の世界?
私の世界と、誰かの世界は違って当然なのだからこそ、
自分の世界を見失わないように、
自分という世界を守り、育てながら、
今この瞬間に幸せを感じながら、生きていけたらなと思う。
そして時々こうやって、自分の世界の一部を誰かとシェアすることも楽しみながら。
私は、私の世界を生きていきたい。
December...
「他人の不安や迷いが好きだ」
日々、不特定多数の人の目の前に自分を晒して、
それと同時に不特定多数の人間に一挙一動を監視されている有名人や芸能人がもし、
そんなことをブログやTwitterに書こうものなら間違いなく、
"炎上マーケティング"とやらが成功してしまいそうなこの台詞。
一方で、あなたのよく知る友人が急にそんなことを真顔で言い始めたりなんかしたら、
あなたは血相を変えて、その友人の精神状態を心配するかもしれないし、
もしかしたら、そんな変な人とは距離を置くことを決めるかもしれない。
いずれにせよ、私は有名人でも、あなたの友人でもないので
心置きなく、公言することができる。
「私は、他人の不安や迷いが好きだ」
そうは言っても、残念ながらこれから先、
反社会的で、過激な趣向を書き連ねていくわけでもない。
表現こそ過激かもしれないが、
いたって健全な思考だと自分では思っている。
振り返ってみれば、
少なくとも物心ついたときにはもうすでに
この思考は、私の中に存在していた。
おそらく、生まれ持ったものなのだと思う。
とはいえ、その頃から自覚していたわけではなく
自覚したのは、本当についこないだのこと。
12月。
師走とも呼ばれる1年最後の月。
1年の中で、私はこの月が1番、「自分」を感じられる。
街はクリスマスムード一色で、いたるところにイルミネーションが光り、秋から冬へと徐々に冷たくなる空気の、あの凛とした感じと星空の美しさがたまらない。
そんな風に季節を感じられるからでもあるけれど、
それとは別に、もう1つの理由がある。
それは「センター試験まで、約1ヶ月」ということ。
祝日や大型連休は関係なし、勤務時間も特殊で
基本的に世間と隔離されていると揶揄されがちな私のいる塾業界も
師走という点に関しては、世間と足並みをそろえることになる。
いわゆる「受験シーズン」だ。
特に高3生メインで担当している私にとっては
ここが1番の山場となる。
この時期、指定校や推薦入試で一足先に受験生を終える子もいれば、
不合格という現実を突きつけられる子もいる。
一般入試組にとっても、
どこか先の話だった受験が、センター試験までの日数が
40を切ったあたりから、いよいよ現実味を帯びてくる。
同じ教室で、同じ授業を受け、同じテストに向けて勉強し、
同じ「高校生」だったクラスメイトたちが、自分が経験しないことを経験していく。
そうやって、共感できることが少しずつ減っていく。
高校生という同じ人間の集まりだと思っていたクラスが、
実際は、全く別の人間の集まりだったことに気付き、
孤独と耐えがたい不安に襲われる。
少し残酷だけれど、自分をしっかりと持った大人になるには、
それもまた必要な孤独や痛みだと、私は思う。
周りと自分を比較し、否が応でも
クラスメイトや友人との「違い」を感じる。
そしてその結果、これまで見ないようにしてきた
不安や迷いが顔を出し始める。
もちろん、その種類も度合いも様々で、
同じ不安や迷いなど存在しないし
それを口に出す子もいれば、出さない子だっている。
そして、口に出す出さない関係なく、
毎年この月になると、どんなに気丈に振る舞おうとも
私には1人1人の全身から、強い不安や迷いが伝わってくる。
そうやって日々、生徒たちの不安や迷いを感じながら、
私は少し、ランナーズハイに似たような感覚に陥るのだ。
「いよいよか」
私はどちらかといえば、多感なほうで、
だからこそ、人がたくさんいるとすぐに疲れてしまう。
その人たちが抱く感情が強ければ、尚更。
ただ、今こうして生徒たちが抱く不安や迷いは違う。
最終的に、そこを乗り越えるのは本人たちだけれど
おそらく、それを乗り越えていくための手助けが
私にできると確信しているからだろう。
よく「心、読みました?」なんて言われることがあるくらい
生徒たちの抱える不安や迷いが手に取るようにわかる。
そして、だからこそ、それに寄り添うことができる。
さらに、これまでそうやってこの12月を一緒に過ごしてきた
生徒たちを通して培った単なる点数稼ぎではない
メンタル面からのアプローチも兼ね添えたセンター英語を教える技術がある。
それが存分に生かせるのが、この12月なのだ。
もちろんそれは、魔法でもなんでもないし、
人間同士のことなので、絶対なんてことはありえない。
それでも、私はこの12月に生徒たちが抱える不安や迷いの先に、
確かな未来を感じている。
これまで経験したことのない不安や孤独に押しつぶされそうな中、
必死に自分と闘おうとしている生徒たちが
ひと周りも、ふた周りも成長した未来を
私はそこに、感じずには、いられない。
人の抱える不安や迷いの先には、必ずその人が心から望む未来がある。
そしてその未来のために、
私自身にできることがあると感じられたとき
私は、最高に生を感じることができる。
自分自身がこのために生きていると強く、実感できる。
だから、私はやっぱり、
「他人の不安や迷いが好きだ」
そこには私の生きがいと、
その人の心から望む未来が詰まっているから。