キミの「一部」に なりたい。
なんだか、まるで恋人への愛の言葉ようなタイトルだけれど
残念ながらこれは、恋人への愛ではなく、
"生徒たち"への愛の言葉。
昨日は、去年から仕事として、やらせてもらっている
高3生対象のセッションの日だった。
勉強をするということも、
塾に行くことも、
大学に行くことも、
何もかもが、当たり前になってしまった今の子たち。
彼らにとって
選ぶことのない世界も当たり前。
授業は受けなきゃいけないし
校則は守らなきゃいけない。
塾にだって、大学にだって、「行かなきゃいけない」
親の言うことや先生の言うことは、聴かなきゃいけない。
でも、本当は聴きたくないから、
聴いている"振り"をする。
あたしたちゆとり世代は、さとり世代と呼ばれたりするけど
今の高校生たちは、なんというか、
その斜め上を行っているような気がする。
さとるとかどうこうの前に
彼らの生きる現代社会は、選ぶことが多すぎるけれど
その選ぶものは誰かが与えてくれるもんだから
自分の意志が抜け落ちているか
他人の意志を自分の意志だと信じ込んでいることが多い。
「ああ、受験?しなきゃいけないものなんでしょ?」
どこか常に諦めている。そんな印象をよく受ける。
とはいえ、とても繊細で、
本当はたくさん迷っていて、考えようとしている。
けれど、迷ったり、考える時間を与えてもらえない。
「志望校が決まっていない」
「なりたい職業がない」
そんなことを口にしようものなら
四方八方から、大人のお節介や押し売りが飛んでくる、、らしい。
「まだ決めてないのか?」
「ここ、なんてどうだ?」
「今の時代、資格を持っておいたほうがいい」
先生や親の言葉として
生徒たちから聞くこんな言葉たちは
何も間違ってないと思うし
生徒たちのことを想ってなのかもしれない。
いや、でもね。
…まだ、6月ですけど?
高3になって、2ヵ月も経ってませんけど?
そして何より、
答えを急かして
迷い、考える時間を
自分の人生を生きようとする機会を
奪うな。
もう少し、落ち着け。
生徒たちから話を聴くたび、そう思う。
大人がそんなに焦るから、子どもたちだって焦るんだ。
迷えばいい。
悩めばいい。
考えればいい。
そうやって、自分で「答え」を選べばいい。
去年は、あたしが少し焦ってしまったこともあって
今年は、このスタンスを貫いている。
約1時間、たくさん話をするけれど
そこで「答え」を出さないことにしてる。
それでいいのかなんて、わからないけれど
あたしがそうやって焦ったら、生徒たちに伝わってしまうし
何より、今こうしてやってることに
意味があると信じようと言い聞かせていた昨日。
今日はひたすら"お外"でお仕事の日。正直、今はまだ自分のやっていることが、彼女たちの世界にどんな影響を与えているのかはわからない。けど、少なくともこの時間は、あたしがいることで、彼女たちの世界に生み出されているのは確かだ。
— Malina (@marina1988s) 2017年5月27日
1人の生徒が、あたしに教えてくれた。
「迷えばいい」とは言いつつも、
その生徒は、あまりに盛大に迷っていたので(笑)
1ヶ月前に話を聴いたばかりだけれどまた、話を聴く時間を取った。
正直、前回の迷い具合を考えたら
ほとんど進展はしていないだろうと思ってた。
おそらく、長期戦になるだろうなと。
けれど、その生徒の口から出てきた言葉は、
「先生、やりたいこと、見つかったよ」
あたしに、さらに衝撃を与えたのは、その後の一言。
「前にね、先生がやってくれたみたいに、紙に書き出してみたの」
確かに、前回のセッションのとき
色んなことを考えすぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだったから
今感じることを付箋に書き出してもらって
それをグルーピングしながら、一緒に整理をしていった。
時間にして、20分程度。
やり方も、意図も、そこまで詳しく説明なんてしてない。
けど、前のセッションでやってみて
これだと思ったから、ひたすら自分でやってみた、と。
つい1ヶ月前まで
多すぎる選択肢と現実に揉まれ
自分の考えがわからなくなってた彼女は、
自分が好きなこと、やってみたいと思うこと
そして、どんな人の役に立ちたいのか
そこまで、自分の考えを整理してきていた。
まだ自分の想いを語ることは、少し恥ずかしそうだけれど
そこには、間違いなく
前回と違う彼女の姿があった。
はにかみながら想いを語る彼女を見ながら、
あたしは、気付いた。
彼女がやりたいことを見つけたことは、もちろん嬉しい。
けど、それ以上に
その「きっかけ」になれたことが、あたしは、嬉しいのだと。
教育とは、「正解を教える」こと。
正解を教えるため、「絶対的な正解を持っていなければならない」と。
あたしの頭の中には、いつの間にかそんな想いがあった。
だから
教育者というものは
間違ってはいけないし、
生徒が間違わないように
日々、最善の努力を尽くすべきだと。
常に、生徒たちの「答え」であらなければいけないと。
その想いがいつの間にか
目の前の1人の人間を「生徒」としか見られなくなり
その人間を「変えよう」としてしまう。
正解である「自分」のように、変えようとしてしまうんだ。
まるでクローンをつくるかのように。
そうして、アメとムチを使い分けながら、
自分の言うことをきかせようとしてしまってきた。
でも、本当はいつも、そんな自分に違和感を覚えていた。
「クローンなんてつくっても、何の意味もない」
でも、それ以外の方法がわからなくて、
ずっと、もがいてきたけれど
自分で考え、1つの答えを見つけ、はにかむ生徒の顔
そんな彼女の顔を見ながら感じた感情
ようやく、わかった。
あたしは、キミの「一部」になりたい。
「答え」になんて、なりたくない。
「答え」を見つけるための、「きっかけ」になりたい。
あたしがやりたい理想の教育は、
あたしの中に「あたしの答え」がちゃんとあって、
それが絶対的な正解だと押し付けるのではなく
「こんなやり方、考え方もあるんだよ」と
ただ、見せ続けるだけ。
伝え続けるだけ。
その中のどれをやるか、やらないかは生徒たち次第で
その決定にどうこう介入はしない。
ただ、見守り、受け止め、また自分の中の正解を伝えていく。
返事が来るかどうかわかならいラブレターを
ただただ、書き続けるだけ。
それで、いい。
ううん、それが、いい。
「答え」なんてものは、1人1人違って当たり前。
もちろん
自分の「答え」という想いに自信を持つことは大切だけれど
それを人に押し付けてしまうのは、悲しいなと思う。
だから、あたしは「答え」や「全て」になりたいとは思わない。
キミの「一部」でいい。
あたしを通して、何かに気付いて、
自分の「答え」を見つけて、行動を起こしてほしい。
それが何よりも嬉しいのだ。
そして、
そうやって進んでいく後姿こそが
あたしが送り続けたラブレターへの最高の返事だと思う。
行け、自分の道を。