ただ、ありのままに。水のように、生きる。
いつの間にか最後にブログを書いてから
1ヶ月以上も経っていた。
この1ヶ月、他のSNSもほとんど更新してないから
何かあったのかと心配されたりもしたけれど
正直、特になにもない。笑
特別、忙しかったわけでもなくて、
落ち込んで、引きこもっていたわけでもない。
ただ「書こう」という気にならなかっただけ。
なのに今、なんでこうしてまた書いているかというと
ただ「書きたい」と思うようになったから。
ただ、それだけなんだけど、それで十分だと思う。
早々に梅雨入りした割には、たいして雨も降らなかった6月。
SNSから離れて、何をしてたんだろうと振り返れば
色々と試されてた月だったなと思う。
結構、精神的にしんどいこともあったし
逆に、久々にびっくりするような嬉しいこともあった。
いいことも、悪いことも
当たり前だけど、自分の意志とは無関係に
次から次へと起こるもんだから
「え、ちょっと待って。なんで?なんで?」
そんな風に理由を探したときもあった。
けど、どの出来事にも理由なんてなくて
「あたしは、どうしたいの?」
そうやって、自分の在り方を問われてばかりだったような気がする。
逃げたくても、逃げれないほど
何度も、何度も、その問いを突き付けられた。
「あたしは、どうしたいの?」
…ホント荒療治にも、ほどがある。
でも、おかげで嫌というほど自分と向き合って
やっぱり同じ答えにたどり着いた。
『ありのまま、生きていたい』
それはずっと思ったいたことだけど
この1ヶ月に及ぶ荒療治のおかげで、
「ありのまま」の意味を誤解していたことに気付いた。
ありのまま生きることにこだわりすぎて
いつの間にか「ありのまま生きられない自分」を恥ずかしいと思っていた。
けれど、今のその姿も「ありのままの自分」であることに変わりはなくて
そんな自分を認めることが
あたしが本当に望んでいた生き方なのだと思う。
「ありのまま」という言葉は魅力的だ。
けれど、自分という『今』を認めなければ
「ありのまま」という理想は、決して現実にならないと思う。
理想を持つこと、未来を描くことは
もちろん大切なことで
だけど、今はまだはっきりとした未来が描けないのなら
無理に理想を追い求めるより
まずは、自分という『今』を認めていけばいいと思う。
ありのままの自分で生きていきたくて
けど、
不器用で、心配性で、
人からの愛を受けとるのが苦手で
自分に自信が持てなくて、ついつい自分を責めてしまう。
先を描くのが苦手で
まだ自分がどんな未来を創りたいのかわからない。
そんなあたしという『今』を
恥ずかしがらず、堂々と認めて生きていこうと思う。
7月は、そうやって「自分を認めていく」月にしようと思う。
色々決めすぎてしまうと
自分で自分を縛ってしまう癖があるから
あまり決めすぎずに。
水のように、ゆらゆらと、変幻自在に。
たぶん、それくらいのゆるさがあたしには調度いい。