表現することは、愛すること。
仕事が秋休みに入ったこともあり
相変わらず、スローペースな日々を送っている。
空が徐々に色付きはじめ、まだ街は眠っている頃
一応、かけておいたアラームを止める。
少し起き上がってみるけれど
結局、部屋の寒さとベッドの温かさのコントラストを感じながら、また眠りに落ちる。
そんな日々に少しの罪悪感と幸せを感じながら
やっぱり私には、こんな時間が必要なのだと再認する。
ここ数ヶ月、いやもっと前からかもしれないけれど
ずっと「表現」という言葉が、いつも頭の片隅にある。
確かに昔から文章を書くことが好きだったけれど、
なぜここまで頭から離れないのか正直、不思議でたまらなかった。
そういえば、美術は苦手だったな。
いつからだろう。美術が苦手と思うようになったのは。
小さいころは、絵を描くのも好きだったのに。
そんなことをふと考えたりできるこの時間がまた、幸せだと思う。
たぶん、私が美術を苦手だと感じるようになったのは
通知表で「4」がついたあの日からだ。
自分の想いを思うままに表現したものが
他人によって評価される。
そして、その評価に直面した、あの日からだ。
あの日から、私は「美術が苦手」になった。
それから、色んなことが重なって
アートや芸術なんて自分とは縁がないものと決めつけていたし
表現すること自体も、なんだか億劫になっていた。
自由に描くよりも、模写が好きだったし、
自分の意見を書く作文よりも、誰かが書いたものをまとめるほうが好きだった。
そうやっていつからか
自分の想いを表現することに怯え、遠ざけてきたけれど、
心の中ではいつも表現したくて仕方なかった。
だから、mixiやアメブロがまださほど有名でなかった時期に
匿名で表現できるブログやSNSという世界にはまっていったのかもしれない。
今は、誰でも簡単に自分の想いを表現できるようになった。
日々のちょっとしたできごとをTwitterでつぶやいたり、
日常の一コマをおしゃれにインスタでアップしてみたり、
自分の想いや恋愛テクニックなんかをブログに書いてみたり、
そこから普段出会えないような人々と出逢えたり、
自分の好きなことを発信することが仕事につながったり、
そうやって、人生が一気に変わったりさえもする。
いちはやくSNSの世界にはまった割には
上手く使いこなせていなかった私も
そんな世界に憧れて、飛び込んでみたけれど、
いつも途中で違和感や劣等感を覚えてしまって、
結局、なかなか続けられずに今に至る。
それでも「表現する」ということが捨てきれなくて、
形を変えながら、細々と続けてきた。
そうやって諦め悪く続けているうちに、1つの想いが生まれてきた。
私がこんなに「表現する」ということに惹かれるのは、
誰かに評価されたいからでも、人生を変えたいからでもない。
もちろん、評価されるのは嬉しいし、人生を変えてみたいという野望もある。
ただ、それはおまけにすぎないし、そこを1番の理由にしてきたから、今まで上手く続けられなかった。
例えば、毎日当たり前に見ている景色さえも、
昨日と今日ではそれを見て感じることが違うように
昨日は好きだったものが、
今日は嫌いになってしまうかもしれないように、
そんな風にふぞろいで、矛盾だらけの自分の想いを
「自分という存在」を認めたいからなのだと思う。
私にとって「表現する」ということは「愛する」ことた。
日々変わっていく矛盾だらけの自分の想いを表現することで認めていき、
そうやって自分の世界というものを確認し、
そこからみえる矛盾だらけの人間という存在を認めていく。
そうすることで、自分を愛することができるし、
同じように他人を愛することができるようになる。
それが私が表現する意味なんだと今は思う。
とは言え、私は矛盾だらけの生き物だから、
ひょっとすると明日には変わってしまうかもしれないけれど、
今は強く、そう思う。
いつからから表現することへの想いが強くなっていて、
— Malina (@marina1988s) 2017年10月31日
それきっとあたしにとって
「表現する」ということは、
矛盾だらけの自分を受けとめて、愛していくことだったからなのだと思う。
そうやって
矛盾だらけの自分を愛し、
矛盾だらけのあなたを愛せるように。 pic.twitter.com/XAMW2XB7S7
矛盾だらけの自分を愛し、
矛盾だらけのあなたを愛したいと、強く。