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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

生き方に"答え"はあるのか

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「四六時中、あなたのことを想う人生は選ばない」


そんなことを言いながら、
ついつい恋愛のことばかり書いてしまうのは
やっぱり恋愛がくれる幸福感が1番、私の感性を刺激するから。

それでもやっぱり私は、四六時中、恋愛モードではいられない。

それは、時に憎たらしく、疎ましさも感じるけれど
それでも愛おしくて仕方ない「生徒」という存在がいるからだ。

 

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学生時代のアルバイトを含めれば
塾講師という仕事を始めてもう10年以上になり、今の職場で働き始めてもうすぐ5年になる。


といっても、正社員ではなく、なろうという気も到底ない。
時期が来れば、塾講師という仕事は辞めると決めている。


そもそも昔から、
テストの点数にも偏差値にも、さほど興味は持てないし、
極論、勉強をしたくないなら、やらなきゃいいと思っているし、
なんなら、たまに生徒たちに言うことさえある。


もちろん、任された仕事はきちんとやるけれど、
今こうして書いてみて、こんな私をよく雇ってくれているうえに、自由にさせてくれているなと、改めて上司の懐の深さに気付く。


最近、わかったことがあって
私にとって、英語を教えるということは「趣味」にすぎないのだ。

塾講師という仕事は好きだけれど、いわゆる「プロ」になりたいとは思えないし、この先もずっと思うことはないと思う。

 

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じゃあなぜ私は、この職場に居続けるのか。

その理由は、去年から始めた「生徒面談」にある。

面談と言っても、学校や多くの塾が実施しているような
成績や学習態度に関してどうこういうような面談ではない。

コーチングやカウンセリングの手法を組み合わせながら
生徒たち自身が自分の今抱えている課題と向き合っていくための手助けをしてくための時間。

基本は高3生対象で、
受験勉強へのモチベーションや志望校、将来の夢、学校や親のこと、勉強の仕方など、話題は多岐にわたり、そのときの生徒の状態に合わせて選ぶようにしている。

コーチングやカウンセリングは大人たちにとっては少し身近にはなってきたけれど、高校生対象となるとこれといったロールモデルがあるわけでもない。

だから、本当に手探りで進めているプロジェクトだ。

それでも、私はこの「プロ」になりたいと思っている。

 

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数日前まで「高校生」だったはずの生徒たちは
4月1日になると同時に急に「受験生」となり、

せいぜい学校と部活と友達のことさえ
考えていれば何も言われなかったはずなの日々は

急に「どの大学に行く?」「どんな仕事に就く?」と
キャリアプランを決めるよう迫られる日々へと変わる。

決めてない、わからないと答えようものなら、甘いだの意識が低いだのと言われる始末だ。


その癖、数式や文法について高らかに語る大人たちは
仕事やキャリアプランとなると、急に薄っぺらい話しかしなくなる。

数百年かかった変化が数十年で起こっているといわれる現代。

おそらく、様々なものが多様化しているし、
さらにこれからそれが加速していく現代の生き方に正解などない。
大人たちが子どもの頃に正解だったものは、どんどん正解でなくなっていく。

けれど、大人たちはそれしか知らないから
自分たちの頃の正解を押し付けてくる。

「いい大学に行って、いい会社に入って、結婚して、子どもをつくって…」 

そんな正解に違和感を覚えながらも、どうすればいいかわからない。

どうすればいいのかも、サポートしてくれる人も見つからないまま
時間だけは確実に過ぎていく。そして、決断を迫られるのだ。

 

トータル60名ほどの生徒たち1人1人と話をしてきて確信した。

そんな環境の中で、なんとか自分の正解を見つけようと
大人たちが思っている以上に、生徒たちは必死でもがいている。

「自分はどうしたいのか」を、必死に見つけようとしている。

 

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そんな生徒たち1人1人と向き合い、一緒に考えていく。

そして「自分はどうしたいのか」という、問いの答えを一緒に見つけていく。


そんな時間が、そんな大人が、間違いなく必要だと思う。

だから、私はその「プロ」になりたいのだ。
もちろん、まだ具体的な形は出来上がっていないけれど、
生徒たちがもがいているように、私ももがき続けようと思う。

それが私が出した、私の生き方の"答え"だから。