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本当に大切な人を ちゃんと大切にできる私に。

恋をするということ

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「もっと早く出逢えていたら…」

なんて、まるでどこかの恋愛映画のような台詞を
電話越しに君が残すから、その先が気になって仕方ない。

飲み込まれてしまった先に、一体どんな未来があったのだろう。

君が見ている未来に、私の居場所はあるんだろうか。

君との電話を終えた後、
そんなありふれたラブソングのような言葉を
思わずノートに書いてしまった自分に苦笑いがこぼれた。

 

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恋は盲目とはよく言ったもので、
不器用な私は昔から、恋をすると周りが見えなくなった。

だから、恐ろしいほど恋愛が下手だった。

ようやくこの歳になって、
バランスを取るということを覚えたくらいに。


今、私は恋をしている。

些細な一言に一喜一憂したり、
LINEの通知を待ちわびたり、
増える通話履歴に幸せを感じたり、

気が付けば彼のことを考えている。

だからこそ
今もこうして、来るかもしれない別れを想像しては
不安に震えている。


けれど、昔と大きく変わったことが1つだけある。


それはそんな自分に、彼のことばかり考え、他のことが手がつかなくなっている自分にストレスを感じている。ということ。

 

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彼のことは好きだし、できることなら別れなんて来てほしくない。


けれど

そうやって彼のことばかり考えて
恋に溺れてしまいそうになっている自分がいる一方で

どんな結末になろうとも、私の生き方は変わらない。
そんな冷静な自分もいる。

それが昔の私と決定的に変わったこと。



「恋になんて振り回されないし、私には、譲れない生き方がある」

 

けどそれは、

彼に出逢い、恋をして、
たくさん笑い、たくさん泣いたからこそ
できるようになった生き方。


「矛盾だらけの自分を愛し、信じて生きる」という

彼が、教えてくれた生き方。

 

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昔は恋をしてしまうと、全てが上手くいかなくなった。
だから恋なんてしないと思ったこともあった。

けど今は、恋をしているからこそ、全てが上手くいっている。

そしてもし、この恋が終わってしまったとしても
私は、私として生きていけると思える。


終わってほしくなんてないし、
けど、もし終わってしまったとしても大丈夫だと思える。

つくづく不思議な恋。

 

 


「恋をするということ」

 

それは、誰かを愛することだと思っていた。

けど今は、誰かを愛することで、
自分を愛せるようになることなのかもしれないと思う。

不可解で、つかみきれない。 

それはまるで君のようで、
結局、私はこの得体のしれない存在に
振り回されながら生きていくのだろうと思うけど、

1つだけはっきりしていることがある。

 

「君に恋をして、よかった」

 

先のことなんて、きっと誰にもわからないし、
私はただ、いま目の前にある君がくれる幸せを
見落とさぬように、しっかりと感じていこうと思う。

 

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生き方に"答え"はあるのか

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「四六時中、あなたのことを想う人生は選ばない」


そんなことを言いながら、
ついつい恋愛のことばかり書いてしまうのは
やっぱり恋愛がくれる幸福感が1番、私の感性を刺激するから。

それでもやっぱり私は、四六時中、恋愛モードではいられない。

それは、時に憎たらしく、疎ましさも感じるけれど
それでも愛おしくて仕方ない「生徒」という存在がいるからだ。

 

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学生時代のアルバイトを含めれば
塾講師という仕事を始めてもう10年以上になり、今の職場で働き始めてもうすぐ5年になる。


といっても、正社員ではなく、なろうという気も到底ない。
時期が来れば、塾講師という仕事は辞めると決めている。


そもそも昔から、
テストの点数にも偏差値にも、さほど興味は持てないし、
極論、勉強をしたくないなら、やらなきゃいいと思っているし、
なんなら、たまに生徒たちに言うことさえある。


もちろん、任された仕事はきちんとやるけれど、
今こうして書いてみて、こんな私をよく雇ってくれているうえに、自由にさせてくれているなと、改めて上司の懐の深さに気付く。


最近、わかったことがあって
私にとって、英語を教えるということは「趣味」にすぎないのだ。

塾講師という仕事は好きだけれど、いわゆる「プロ」になりたいとは思えないし、この先もずっと思うことはないと思う。

 

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じゃあなぜ私は、この職場に居続けるのか。

その理由は、去年から始めた「生徒面談」にある。

面談と言っても、学校や多くの塾が実施しているような
成績や学習態度に関してどうこういうような面談ではない。

コーチングやカウンセリングの手法を組み合わせながら
生徒たち自身が自分の今抱えている課題と向き合っていくための手助けをしてくための時間。

基本は高3生対象で、
受験勉強へのモチベーションや志望校、将来の夢、学校や親のこと、勉強の仕方など、話題は多岐にわたり、そのときの生徒の状態に合わせて選ぶようにしている。

コーチングやカウンセリングは大人たちにとっては少し身近にはなってきたけれど、高校生対象となるとこれといったロールモデルがあるわけでもない。

だから、本当に手探りで進めているプロジェクトだ。

それでも、私はこの「プロ」になりたいと思っている。

 

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数日前まで「高校生」だったはずの生徒たちは
4月1日になると同時に急に「受験生」となり、

せいぜい学校と部活と友達のことさえ
考えていれば何も言われなかったはずなの日々は

急に「どの大学に行く?」「どんな仕事に就く?」と
キャリアプランを決めるよう迫られる日々へと変わる。

決めてない、わからないと答えようものなら、甘いだの意識が低いだのと言われる始末だ。


その癖、数式や文法について高らかに語る大人たちは
仕事やキャリアプランとなると、急に薄っぺらい話しかしなくなる。

数百年かかった変化が数十年で起こっているといわれる現代。

おそらく、様々なものが多様化しているし、
さらにこれからそれが加速していく現代の生き方に正解などない。
大人たちが子どもの頃に正解だったものは、どんどん正解でなくなっていく。

けれど、大人たちはそれしか知らないから
自分たちの頃の正解を押し付けてくる。

「いい大学に行って、いい会社に入って、結婚して、子どもをつくって…」 

そんな正解に違和感を覚えながらも、どうすればいいかわからない。

どうすればいいのかも、サポートしてくれる人も見つからないまま
時間だけは確実に過ぎていく。そして、決断を迫られるのだ。

 

トータル60名ほどの生徒たち1人1人と話をしてきて確信した。

そんな環境の中で、なんとか自分の正解を見つけようと
大人たちが思っている以上に、生徒たちは必死でもがいている。

「自分はどうしたいのか」を、必死に見つけようとしている。

 

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そんな生徒たち1人1人と向き合い、一緒に考えていく。

そして「自分はどうしたいのか」という、問いの答えを一緒に見つけていく。


そんな時間が、そんな大人が、間違いなく必要だと思う。

だから、私はその「プロ」になりたいのだ。
もちろん、まだ具体的な形は出来上がっていないけれど、
生徒たちがもがいているように、私ももがき続けようと思う。

それが私が出した、私の生き方の"答え"だから。

表現することは、愛すること。

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仕事が秋休みに入ったこともあり
相変わらず、スローペースな日々を送っている。


空が徐々に色付きはじめ、まだ街は眠っている頃
一応、かけておいたアラームを止める。

少し起き上がってみるけれど
結局、部屋の寒さとベッドの温かさのコントラストを感じながら、また眠りに落ちる。

そんな日々に少しの罪悪感と幸せを感じながら
やっぱり私には、こんな時間が必要なのだと再認する。

 

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ここ数ヶ月、いやもっと前からかもしれないけれど
ずっと「表現」という言葉が、いつも頭の片隅にある。

確かに昔から文章を書くことが好きだったけれど、
なぜここまで頭から離れないのか正直、不思議でたまらなかった。


そういえば、美術は苦手だったな。

いつからだろう。美術が苦手と思うようになったのは。
小さいころは、絵を描くのも好きだったのに。

そんなことをふと考えたりできるこの時間がまた、幸せだと思う。


たぶん、私が美術を苦手だと感じるようになったのは
通知表で「4」がついたあの日からだ。

自分の想いを思うままに表現したものが
他人によって評価される。

そして、その評価に直面した、あの日からだ。


あの日から、私は「美術が苦手」になった。

 

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それから、色んなことが重なって
アートや芸術なんて自分とは縁がないものと決めつけていたし
表現すること自体も、なんだか億劫になっていた。


自由に描くよりも、模写が好きだったし、
自分の意見を書く作文よりも、誰かが書いたものをまとめるほうが好きだった。


そうやっていつからか
自分の想いを表現することに怯え、遠ざけてきたけれど、
心の中ではいつも表現したくて仕方なかった。

だから、mixiアメブロがまださほど有名でなかった時期に
匿名で表現できるブログやSNSという世界にはまっていったのかもしれない。

 

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今は、誰でも簡単に自分の想いを表現できるようになった。

日々のちょっとしたできごとをTwitterでつぶやいたり、
日常の一コマをおしゃれにインスタでアップしてみたり、
自分の想いや恋愛テクニックなんかをブログに書いてみたり、

そこから普段出会えないような人々と出逢えたり、
自分の好きなことを発信することが仕事につながったり、
そうやって、人生が一気に変わったりさえもする。

いちはやくSNSの世界にはまった割には
上手く使いこなせていなかった私も
そんな世界に憧れて、飛び込んでみたけれど、
いつも途中で違和感や劣等感を覚えてしまって、
結局、なかなか続けられずに今に至る。


それでも「表現する」ということが捨てきれなくて、
形を変えながら、細々と続けてきた。

そうやって諦め悪く続けているうちに、1つの想いが生まれてきた。

 

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私がこんなに「表現する」ということに惹かれるのは、
誰かに評価されたいからでも、人生を変えたいからでもない。

もちろん、評価されるのは嬉しいし、人生を変えてみたいという野望もある。
ただ、それはおまけにすぎないし、そこを1番の理由にしてきたから、今まで上手く続けられなかった。


例えば、毎日当たり前に見ている景色さえも、
昨日と今日ではそれを見て感じることが違うように
昨日は好きだったものが、
今日は嫌いになってしまうかもしれないように、


そんな風にふぞろいで、矛盾だらけの自分の想いを
「自分という存在」を認めたいからなのだと思う。


私にとって「表現する」ということは「愛する」ことた。

日々変わっていく矛盾だらけの自分の想いを表現することで認めていき、
そうやって自分の世界というものを確認し、
そこからみえる矛盾だらけの人間という存在を認めていく。

そうすることで、自分を愛することができるし、
同じように他人を愛することができるようになる。

それが私が表現する意味なんだと今は思う。

 

とは言え、私は矛盾だらけの生き物だから、
ひょっとすると明日には変わってしまうかもしれないけれど、
今は強く、そう思う。

 

 

矛盾だらけの自分を愛し、
矛盾だらけのあなたを愛したいと、強く。

 

 

My Life is ...

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少しスローペースな日。

けれど頭の中は、あなたのことでいっぱい。
会った次の日は、いつもそう。

そうやって、あなたがくれた幸せの余韻に浸る。



この幸福感が私の感性を刺激する。

次々と言葉が浮かんでは、消えていく。
それはシャボン玉が一瞬で消えてしまうようなものではなくて
インクがじわーっと広がっていくような、そんな感覚。

 

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そんな感覚をくれる彼のことが
きっと、たまらなく好きなのだけれど

けれど、そのまま溺れてしまいたくはない。


溺れてしまえば、この幸せは、きっと簡単に崩れてしまう。


私は器用じゃないから、上手くバランスがとれなくなる。
そんな自分は、好きになれないから。

私は、未来にも、あなたにも、振り回されたくないの。

 

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恋は、私を美しくしてくれる。
けど、美しくなるために、恋なんてしない。


私が、私だからこそ、美しい。


それを教えてくれたのも、あなただけれど
そんなあなたへの愛さえも、私の人生は変えられない。


私の人生、好きなように生きていくの。

 

かたちあるもの

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ずっと秋が苦手だった。


だって、あなたがいなくなってしまった季節だから。

 

街の空気が少しずつ冷たくなっていくのを感じる度、
自分のしてしまったことの重さを思い出しては、たまらなく後悔する。


私にとって秋は、そんな季節だった。
もう、あの日から12年が経つ。

 

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思えば、12年前も
私は「かたち」ばかり欲しがって、あなたを困らせた。

そうやって、あなたのことも、自分のことも、傷付けてばかりいた。

 

愛されている「かたち」が欲しくて

1人じゃないという「かたち」が欲しくて

あなたがいるという「かたち」が欲しくて

自分は間違ってないという「かたち」が欲しくて

 

求めてばかり、だった。
一体、何にそんなに怯えていたんだろうね。

 

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あの日から、何度、同じことを繰り返してきたんだろう。

大切な人の言葉さえ信じられず、
自分を信じることすらできず、

そうやって、数えきれないくらい人を傷付けてきたし、
同じように自分のことも、傷付けてきた。 


そんな自分に気付く度、あの日から
全く成長できてないよに思えて、たまらなく情けなかった。


だけど、

途方もないくらい時間はかかってしまったけれど
ようやく、わかった気がする。

 

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「かたち」なんて、なくてもいい。

 

確かに、かたちがあることで、安心は得られる。

けれど、目に見えるものばかり気にしていたら、
本当に大切なものが見えなくなってしまう。

 

だって心は、目には見えないから。

 

そんな目に見えない心を伝えるために
人間は、言葉を発達させてきたのかもしれない。

けれど言葉も人間も厄介で、
不器用だったり、なんらかの意図があったりして、
心とは裏腹の言葉を使ってしまう。

 

むしろ、ありのままの心を言葉にできる人のほうが少ない。

 

だからこそ私たちは、
言葉だけではなく
目に見えるものにばかりとらわれず

目に見えないもの

かたちのないものを、感じることができる術を
身につけたのだと思う。

 

目の奥に秘めた哀しみ

ふとした動作から伝わってくる愛情

何か言おうとして飲み込んだ迷い

笑顔に隠された不安…


それら全てを1つも落とさず、感じることはできないけれど
それでも、

かたちのないものこそ、大切にしたいと思う。

相手のものも、自分のものも。

 

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本当はね、ずっと前から、そんなこと気付いていた。

 

もう今は、かたちのなくなってしまったあなたを
こんなにも愛しく、想い続けてこれたんだもの。

 

あの日からずっと
たくさん人を傷付けて、
たくさん自分も傷付いて、

何も変わってないと思っていたけれど
ちゃんと、その度に少しずつ成長してきていたんだ。

 

ただ少しだけ、それを受け入れる勇気が足りなかっただけ。

ようやく、前に進める。 

 

 

ずっと、あなたがいなくなってしまった秋が、苦手だった。

 

でも今は

大好きだったあなたへの
かたちのない想いを感じられる、大切な季節だと

笑顔で言えるようになったよ。

その勇気をくれる人に、出逢えたんだ。

 

ありがとう。大好きだったよ。

 

これからもずっと、大切なあなたへ。

 

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「強い女」

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そういえば、昔から「強い女」に憧れていた。

たぶん、最初にそれを意識し始めたのは、小学5年頃だと思う。

それまでぼんやりとしていた、男女の区別が明確になり始め、
周囲の対応の変化にも、少しずつ変わっていく自分の身体にも、戸惑いを隠せなかった。

そんな急な変化になかなか対応できなかったし、
とにかく負けず嫌いで、「女だから」とバカにされるのが嫌でたまらなかった。

だからそのエネルギーというか、敵意というべきかなのか、
それらは全て、"男"という生き物に向けられていた。


ありがちだけれど、自分のことを俺と言ってみたり、暴力的に振る舞ったりもしていたし、勉強であれ、運動であれ、”男”に負けるのだけは絶対に嫌で必死に食らいついていた。


そんな小学生時代だった。

 

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それでも、中学に上がる頃にはさすがに男女の差というものもさすがに受け入れられるようにはなった。

そして、それと同時に敵意は、憧れ・仲間意識へと変わっていた。


自分は男にはなれないけれど、
それでも、女として「男のような強さが欲しい」と思い始めていた。

だから、女として褒められるよりも「女とは思えない」と言われることのほうが嬉しかった。

その感覚は高校までずっと続いていたし、だからなのか高校では女子によくモテた。

中学生当時、周囲が誰が好きだとか、誰と誰が付き合うだとか
そんな恋愛話に色めきだっていても
私にとってほとんどの男は、恋愛対象というより、仲間にしか思えなかった。
自分出来ないことができる男という生き物はすごいと思っていたし、自分もそこに少しでも近づきたいと思っていた。



ただ、そんなあたしの「強さ」への想いを
男たちは受け入れてくれたけれど、

女たちには受け入れられなかった。

 

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たぶん、そこから私の「強さ」は、歪み始めていったんだと思う。 


憧れであり、自分を鼓舞するためのものだったはずの強さは、
いつしか自分に向けられる心ない言葉や好奇の目から
自分を守るための"武器"へと、変わっていった。


それは鎧でもあり、人を傷付ける刃にもなった。

 

そうやって自分を守ることに必死で過ごすうち

人を寄せ付けない威圧感と
人を攻撃する強い言葉こそが

「強さ」なのだと思うようになっていた。

 

なめられたら、弱さを見せたら、やられる。

そんなどこぞの不良ドラマのような台詞は
高校に上がって、人間関係が落ち着いてからも、

ずっと頭の片隅にこびりついていた。

 

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「サバサバしている」「毒舌」「ドS」
そんな形容をされるような性格も、

ロックやV系にはまったり、黒が好だったり、
キツめのメイクや煙草に憧れたのも、

 

全部、そうすれば「強い女」でいられると思ったから。

弱い自分を隠せると思ったから。

 

ただ、それだけだった。でも、必死だった。

 

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けれど最近、ようやくわかったような気がする。

 

キツめのメイクも、煙草も、レザージャケットも、
相手を打ちのめすような厳しい言葉も、

何一つ必要ない。

 

本当の「強い女」とは

どんな状況でも、
そしてたとえ1人でも

 

自分が好きなものを好きだ

 

と、とびきりの笑顔で言いきれるそんな女性で、
たとえ、そうでなかったとしても

私はそんな「強い女」で、ありたいと思っている、ということが。

 

だから

これからは、そうやって生きていこうと思うし、
これまでのそんな自分のことも好きだと、

笑い飛ばしてしまおうと思っている。

 

「証」なんて、なんの意味もない。

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昔、初めてペアのネックレスを貰ったとき、たまらなく嬉しかった。

まだお互い学生だったから高いものではなくて
お風呂に入るとき以外はずっと身につけていたから
少しずつ少しずつ、塗料がはがれていってしまったけれど、

なんだかそれさえも、嬉しかった。

そんな淡い恋をしていたあの頃から、月日は流れ、
行方のわからなくなったネックレスとともに
そんな気持ちも、どこかに置いてきてしまったのかもしれない。

 

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正直、過去の恋愛話は好きじゃない。

相手を責めるつもりはないし、あの頃の自分を否定する気もないけれど、
少なくとも、あの頃のあたしは、相手も自分も大切にしない恋愛ばかりしていた。


今じゃ考えられないけれど、
四六時中、相手のことを考えていたし、相手にも同じでいて欲しかった。
束縛こそしなかったけれど、されるのは嬉しかったし
求められることが、愛されている証だと思い込んでいた時期もあった。

相手のことも、自分のことも、見ようとしていなかった。
そんなどうしようもない恋愛ばかりして、自分で自分を傷付けてきた。


だからいつも不安で、人一倍「証」を、求めてしまっていたのかもしれない。

 

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昔から「グレーな関係」が苦手で、
友達か恋人か、好きだと言われればなぜ、どこが好きなのか
そんなことをいつもはっきりさせたがっていた。

もちろんそれは、恋愛に限ったことではなくて
中学の頃、クラスの女子の間で孤立していたあたしに
何の迷いもなく差し伸べてくれた友人の手さえも、握ることができなかった。


そうやってあたしはいつも
相手の気持ちも、自分が愛されていることも
何ひとつ信じられなくて、疑って、

常に何か「証」となるものを求めていたんだと思う。

きっとあの時もらったネックレスは
そんなあたしにとって、心地よい鎖であり、
自分が愛されていると信じられる唯一の「証」だったのかもしれない。

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そんな歪んだ愛しか知らなかったあたしも
ようやく、少しずつ「証のない愛」がわかるようになった。


それはとても不思議な感覚で

初めは2人の関係に
はっきりとした「名前」を欲しがって、困らせてしまった恋。

2人の関係に
はっきりとした「約束」を欲しがって、1度終わってしまった恋。

そして終わったその瞬間に
自分がどれだけ愛されていたのかを
そして、自分がどれだけ愛していたのかを
思い知らされた恋。

そのとき、やっとわかったんだ。

 

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あんなに欲しかった「名前」にも「約束」にも
そして「証」にも、なんの意味もないということ。

私はあなたが好き。

ただそれだけで十分なんだということ。

 

https://www.instagram.com/p/BZ49W8LhdiS/

 

そう胸を張って言える自分でいようと、思わせてくれた恋ができた。


昔のような恋をもう繰り返したくはないけど
全部、必要だったと思える。

恋愛なんて必要ないと思った時期もあったけど
きっとこうやって、理想の自分になっていく、そんな気がしてる。